2019年9月24日の朝日新聞「天声人語」に中国人・郝景芳の短編SF小説『弦の調べ』の批評が載っていた。
宇宙から来た鋼鉄人に侵略され、人間に服従を求めるが、滅亡させるわけではない。人間は従順でいる限り、それ以前と同様に自由に暮らしてゆける。その鋼鉄人が共産党であるように思えるという。そして、共産党の指導(支配)下にある現代中国人を、政治を批判しない限り、それなりに自由であるとしている。加えて鋼鉄人(共産党)に抵抗する中国国民の言葉「みなが受け入れ、運命だとあきらめているのに、どうしてわざわざしなくてもいい事をする必要があるのかと思う事がある」を、民主派の苦悩に聞えるとしている。
この批評を読んで、すぐに頭に思い浮かんだ事は、つまり、現代中国国民の意識状況が上記のようであるとするならば、それはそのまま天皇制民主主義(国体)に基づく安倍自公政権下の日本国民の状況と同じだという事である。
そして、その日本国民の意識状況は、神聖天皇主権大日本帝国政府下の日本国民(臣民)にその淵源があるのである。それ思わせる史料「塩田庄兵衛・渡辺順三編『秘録・大逆事件』上巻 大逆事件被告宮下太吉予審調書」を以下に挙げておこう。
「私は明治40(1907)年以来亀崎地方の人々に社会主義について説いてきましたが、政府や役人などについて話すときは社会主義を納得してくれるようでしたが、皇室に関する事を言うと、我が国は外国とは国体が違うとか、皇統連綿であるとか申して私の説に耳を貸しません。……41年11月10日、天子(天皇)が大府駅を通過されるという事でありましたから、私も同所へゆき、『無政府共産』という小冊子を拝観の群衆に配り、前と同様の説明をいたしましたが、やはり人々は皇室の事になると、私の説にいっこう耳を傾けようとしないのです。そして警察官が天子(天皇)の通行する道筋の2丁以内で農業する事ができないという触れを出せば、人々は喜んでそれに従うのでした。それで私は、我が国の人々はこのように皇室に対して迷信を持っているのだから、とても社会主義を実行する事はできない。そこで……、天子(天皇)も我々と同じく血の出る人間であるという事を示し、国民の迷信を破らねばならむと覚悟致しました」
※大逆事件:第2次桂太郎政府は1910(明治43)年5月25日、信州の宮下太吉を「爆裂弾製造」容疑で検挙したのをきっかけに、6~7月にかけて「天皇暗殺容疑」に切り替え、全国各地で直接行動派を一斉に検挙した。裁判は秘密裏に急がせ、11年1月18日には幸徳ら24人に死刑を宣告した。翌日に半数の12名を無期懲役としたが、24・25の両日には幸徳ら12名の死刑を執行した。それは、社会主義者を「大不忠、大反逆徒、吾人その六族をたおすも、なおあきたらざるの思いあり。万人ひとしくその肉を食い、その屍に鞭打たんとねがうところ」(『東京朝日』『東京日日』)、「天地も入れざる大罪人というべく、その死刑宣告は、法治国として一点の非難すべきものあるを認めざるなり」(『万朝報』明治44年1月19日)とみなし、一切の社会運動を抹殺するために企てられた生贄の儀式であった。この事件をきっかけに社会主義者の活動の自由は極端に制限され、冬の時代が始まり、政府は天皇制思想(天皇教)以外を異端とし、権力で排除できる社会状況を意識的に作り上げていった。この事は言論の自由を抹殺して政府による思想の独占と思想の統合を図ろうとするものであった。富山県知事浜田恒之助は「我国体の万国に卓越せる所以を知らしめ苟も忠孝の大義を誤る事なからしむべく十分の訓諭を加」える事を要請する内訓を、各学校長や郡市長に出すとともに、さらに、専門学校中等学校長会で行った訓示事項の実行状況について報告させ、中等学校の教師に生徒の学問の自由を抑圧する検察官的役割を果たさせようとした。
日本国民は、天皇制を払拭清算できない限り、真の民主主義や人権保障は実現しないのである。そして、安倍自公政権による洗脳政治によって刷り込まれている、「日本は民主主義国家である」とする幻想、の中で生き続けさせられるのである。
最後に、私たちが自覚すべき事がある。それは、
「日本人は褒められた時には、自分を含めて得意になる。また、日本人は欠点を指摘されたり批判された時には、自分の反省材料とするのではなく、それ見た事かと喜ぶ気持ちがある。この時には、自分だけはその例外だと勝手に決めており、自分以外の日本人への批判だと思っている。このような身勝手な矛盾が通用するかぎり、日本人は真の自分を知らないままで不幸になっていくよりほかにない」という事である。
(2019年9月25日投稿)