文科相に就任した荻生田光一氏が2019年9月11日の会見で、17年に文科省で見つかった加計学園の獣医学部新設に荻生田氏が関与した事を示す文書(17年に文科省で見つかった)について、「私の名前を使って省内の調整を図った人たちがいたのだろう」と説明した。
文書は、2016年に、荻生田氏が「官邸は絶対やると言っている」「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた」などと発言したと記している。この文書について上記のように説明したという事である。
加えて、荻生田氏は「(当時の文科)副大臣から、省内の意見の対立を収めるために、名前を使った人たちがいた」との説明を受けた、とも説明したり、「自身の文科政務官時代に知り合った局長級幹部と、官邸以外でもやりとりをした事が文書作成につながった可能性がある」とも説明している。
これらの説明で重要な点はまず、荻生田氏が、責任を問われる事を回避しようとするために、自身の直接の発言ではない(命じたものではない)という事を回りくどく主張したものであるという事である。しかし、それには説得力がなさすぎる。なぜなら常識では、自分の名前を許可なく利用(かたる)された場合、それも自身の部下がそれを行った場合、その利用した人物(この場合は自身の部下)を探し出し、責任を問い処分を下すのが常識であろう。しかし、そのような事を一切していない。この状況をどのように理解するべきであろう。
答えは簡単である。文書の内容は荻生田氏自身の説明によって、荻生田氏の発言以外の誰のものでもない、という事が改めて明確になったという事である。そして、安倍自公政権においては、事を決定する場合、「(権力者の)名前を利用する」という手法は非常識なものではなく、通常良く行われている事だという事を国民に明らかにしたという事である。また、荻生田氏の部下は、それに「服従」「忖度」する資質を培養されているという事を明らかにしたという事である。荻生田氏の会見の狙いとは違い、このように安倍自公政府組織が機能している事を、国民の前に暴露する結果となったといえる。
森友学園問題においても、「(権力者の)名前を利用する」という手法がとられたのであり、その際は安倍首相と昭恵夫人の名前であった。
安倍自公政権は、戦後史上、最も主権者国民を馬鹿にした政権であり、最も主権者国民が馬鹿にされた政権である。
(2019年9月23日投稿)