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沖縄戦は長野県松代大本営を中心とする「本土決戦」準備のための時間稼ぎ(捨て石)

2024-07-06 11:57:22 | 戦争遺跡

 沖縄戦(1945年3月26日米軍慶良間諸島上陸に始まる)は、「本土決戦」を準備するための時間稼ぎとして位置付けられた戦いであり、住民を巻き込んだ出血持久戦術をとった、いわゆる「捨て石」作戦であった。

 その「本土決戦」の準備の主眼は、大本営を長野県松代移転する事を意味していた。

 沖縄戦は1945年6月22日(23日とも)に司令官牛島中将長勇参謀長が自決し、日本軍の組織的な戦闘は終結したが、その時期の松代大本営工事(1944年11月~45年8月)の進捗状況と、司令官牛島満中将と陸軍中枢との間の情報のやりとりからその事がわかる。

 松代では、6月中旬には陸軍中枢の要人の訪問が続く。6月10日には田中静壱・東部軍司令官、同月16日には阿南惟幾・陸軍大臣などで、彼らは松代大本営が使用可能である事を確認し概ね満足している。阿南陸相は、同行した平林盛人・長野師管区司令官に、「平林君、この大本営や御座所を使用なさる事なく終われば結構だが、その時は、私どもはかく迄準備しましたと一度陛下の行幸をお願いする事ですね」(平林盛人『わが回顧録』)と語っている。

 そしてその後の6月21日、阿南惟幾・陸軍大臣梅津美治郎・参謀総長が連名で、沖縄守備軍牛島満司令官に決別電報を送っている。「貴軍の忠誠により、本土決戦の準備は完了した」と。

 昭和天皇が大本営を松代へ移転する事をどのように考えていたについては、木戸幸一内大臣の日記(7月31日)によれば、「先日、内大臣の話した伊勢大神宮の事は誠に重大な事と思い、種々考えて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移しして御守りするのが一番よいと思う。しかしこれを何時御移しするかは人心に与える影響をも考え、余程慎重を要すると思う。自分の考えでは、度々御移しするのも如何かと思う故、信州の方へ御移しする事の心組で考えてはどうかと思う。此辺、宮内大臣と篤と相談し、政府とも交渉して決定して貰いたい。万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思う。……」(木戸日記研究会『木戸幸一日記』下巻 東京大学出版会)との記録がある。

 ちなみに、松代大本営建設工事の労働者の主力は朝鮮人で、国内のダムなどの工事現場で働いていた人々で、不足を補うためには植民地朝鮮から「強制動員」した。

 また、朝鮮人労働者相手の「労務慰安所」として、松代町内の児沢聡氏宅を接収し、20歳前後の朝鮮人女性4名を「慰安婦」として働かせていた。児沢氏は、「警察が来て、娯楽室を貸してくれって。はじめは朝鮮人娯楽場を作るって言ったが、次の日に詳しく聞いたら、朝鮮人労務者が入ってくるから、付近の婦女子にいたずらをすると困るから、慰安婦を連れてきて料理屋兼ねた娯楽所にするから貸してほしいと言った。それ聞いたらなお嫌になって、貸すのやだって言ったら、児沢さん、こんなにお願いしても、国策に協力できないかって言われたから仕方なく貸した。あの当時、国策に協力できねって事は、国賊だった」との証言を残している。

 もし、1945年11月以降(米軍によるオリンピック作戦…南九州上陸)、本土決戦が実際に行われていたら、沖縄戦が日本全土に拡大し再現する事になっていたであろう。

(2020年6月23日投稿)

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明治150年記念式典反対:大日本帝国憲法を称賛し、国民のルーツである日本国憲法を否定する行為

2024-07-06 10:24:00 | 憲法

 2018年に明治維新から150年を迎えるのに合わせ、自民党安倍政権菅官房長官は2016年10月7日、日本の近代化の歩みを次世代に伝えるとして、政府主催の式典など記念事業を18年10月(2018年8月11日付新聞報道では23日、東京の憲政記念館で式典を開くとの事)に実施すると発表した。「明治150年は、我が国にとって一つの大きな節目。明治の精神に学ぶ、日本の強みを再確認する事は極めて重要だ」との事である。

 この言葉からもうかがえるが、安倍政権が誇りとする思想的ルーツは、「大日本帝国」にあり、「明治天皇」によって制定された、「大日本帝国憲法」の思想である事を明確にした。そして、この事はひじょうに重要な意味を持っている。それは、アジア太平洋戦争の敗戦の結果成立した「日本国憲法」を否定する事をあからさまに表明したものであるからだ。

 彼らは、「天皇主権」の「大日本帝国憲法」の思想こそが日本の本来のもので誇るべきものであるとしており、「国民主権」の「日本国憲法」の思想は抹殺すべきものであるとしているのである。

 また、敗戦まで、明治天皇の誕生日で「明治節」という名称で祝日(休日)としていた11月3日は、日本国憲法の下で、「文化の日」と改称されたが、古屋圭司・選対委員長らは、祝日法を改正して、明治天皇を称賛する目的で「明治の日」と改称する事を目論んでいるようだ。

 ところで1968年10月23日にも、佐藤政権が日本武道館で「明治100年記念式典」を開催し、昭和天皇・皇后、常陸宮正仁親王・正仁親王妃華子、閣僚、国会議員、在日外交団、各界代表、青少年代表ら約1万人が出席している。

 式典は、田中総理府総務長官の言葉、国歌斉唱、佐藤首相式辞、天皇の言葉に続いて、衆議院副議長、参議院議長、最高裁長官、在日外交団長の順で祝辞を述べ、青少年代表の「若人の誓い」を述べた。

 そして、明治100年頌歌「のぞみあらたに」合唱日本体大生の体育演技、最後に佐藤首相の音頭により万歳三唱で終了。

 記念行事や事業では、「青年の船」運行、「祈念公園」建設・整備、「明治美術展」開催などを実施。

 当日は学校で同趣旨の行事を実施させるために休日とはしていない。また、人事院は指令を発し、国家公務員は当日の午後、記念の趣旨に沿うため勤務しない事を承認しうる措置をとった。

 目的については、「明治100年を祝う」と題して5項目を挙げているが、極めて非科学的で恣意的な内容で、「歴史修正主義」に基づく歴史認識そのものであると言ってよい。そのような行事に国民は多額の税金を政府に浪費する事を許した過去がすでにあったのである。この事については、率直に言って、当時の国民の無知、浅い思慮が自らの墓穴を掘った所産と言えるだろう。

 そこで大切な事は、同じ過ちを犯さないという事である。安倍政権の目論見に対して、国民は、「日本国憲法」を思想のルーツにしなければならないという事である。

 今日の日本を、安倍政権のように明治からの(大日本帝国の)連続と見做す事を認めず、敗戦をきっかけにして「日本国憲法」に基づいて新しく生まれ変わったのだという歴史認識に目覚める事が大切である。安倍政権自民党は戦前戦後は連続している、何も変わっていないと認識しているようだが、だから「日本国憲法」を否定するのであるが、安倍政権や自民党の歴史認識に絡め取られないように、歴史認識を明確に自覚し、それを広め彼らを圧倒していく事が大切である。

※エドワード・サイートの言葉

「沈黙というのは最悪の選択である。批判し続けるところからしか希望は生まれない」

 最後に、安倍政権の言う「明治150年記念式典」は2018年10月23日に開催するようだが、この2018年は、現天皇の「在位30年」である。だから、「在位30年記念式典」を同時に行う可能性がある。

(2018年8月11日投稿)

 

 

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