2019年3月15日の新聞が、「強制不妊救済法案」についての記事を掲載していた。それによると、「おわび」では「憲法違反」である事を認めておらず、主語についても「政府」や「国会」などを明記せず、責任の所在が明確にならない曖昧模糊とした意味をもつ「我々」とした。これについてWT座長の田村憲久元厚労相(自民)は「『我々』には政府と国会が含まれる。広くは地方自治体、優生思想の風潮があった社会も含まれるかもしれない」と説明した。この「おわび」に見られるWTと議連の意識は、「おわび」を意味する「常套語」を使用すれば「謝罪」したと受け取ってもらえるだろうという一方的な思い込みがうかがえるとともに、そのような意識は、被害者当事者の気持ちをまったく無視したものであり、そのような「常套語」は被害当事者にとっては、どんなに丁寧な「言葉」であっても、いくつ並べられても、言い回しを変えても、「謝罪」とは受け取れない事を理解できていない。むしろ被害当事者としては、再び馬鹿にし人権を無視しているとしか受け取れない事を理解できていないのである。この点は「一時金」にも表れている。「お金で納得させる解決できる」とする、被害当事者を馬鹿にした姿勢がうかがわれるのである。「賠償金」ではないのである。被害当事者に対して、「国家賠償を求める権利」をも進んで認めようとする意志はないという事のようである。さらに重大な事は、責任の所在を曖昧にする事は、主権者国民が歴史の事実を知り再発防止の教訓とする事を妨げ、政府や国会が責任を負わない無責任体質がさらに蔓延するであろう事が憂慮される事である。
※下記は「優生保護法(強制不妊)救済法案:おわびの主体が「国民」では敗戦処理内閣東久邇宮の「一億総ざんげ論」と同根の発想。教訓を学び伝えるため事実を明らかにする事を要求する」を再録したものである。
2018年11月2日の新聞は、優生保護法による強制不妊手術について、超党派議連は救済法案の「おわび」の主体を、国会議員を含めた「国民」を意味する「我々」とし、違憲性については触れていない、と報じた。また、与党WTも、「各地で続く国家賠償請求訴訟への影響を避けるため、おわびは違憲性や違法性に絡めない形」「政府が裁判(国家賠償請求訴訟)をされているので、立法府が何らかのもの(違憲性や違法性に絡めたおわび)を書くのは難しい」としている。これが世界に通用する理屈だと思っている事に呆れてしまう。
全国で初めて実名を公表して提訴したKさんは「子どもを産み育てる権利を奪われ、憲法違反なのは明らかだ」と訴える。熊本のWさんの代理人弁護士Hさんは「憲法違反は明白で、各地の国家賠償請求事件でも国側は違憲性について積極的に争っていない。なぜ違憲性を認めずに謝罪するのか理解に苦しむ」と訴える。
弁護団が「優生手術等が憲法に違反する著しい人権侵害であり、国の政策が間違いだった事を認め、真摯な謝罪を表明するよう求める」と要望しているのは極めて妥当である。
立命館大大学院の松原洋子教授がWT案について、「法律自体やその運用、政策のどこに過ちがあったのか、国の責任を明確にしなければ、真のおわびにはならない」と指摘しているが、その通りである。
与党WTは、「各地で続く国家賠償請求訴訟への影響を避けるため、おわびは違憲性や違法性に絡めない形」「政府が裁判(国家賠償請求訴訟)をされているので、立法府が何らかのもの(違憲性や違法性に絡めたおわび)を書くのは難しい」としているがこの理屈では、国会の立法行為は司法裁判所の意向に沿うようになされなければならないという事になる。これは国会議員が立法機関の使命や責任の自覚が乏しく、「独立して立法する原則」を放棄しているのに等しい誤った認識をしているといえる。さもなくば、「曖昧」に処理してしまおうと意図しているとしか思えない。与党WTはこの手を使っているのかもしれない。謝罪の言葉で「一件落着」、とする口先だけの軽薄な信用できない体質である。そのため、再び同じ過ちを犯すものである。国民は同じ過ちを繰り返して欲しくないと思っている。同じ過ちを繰り返さないためには、事実(1948年の法制定から95年の廃止までの間の法改正の経緯と内容も含めて)を明らかにしそこから教訓を学びとりそれを共有し後世に伝える事を原則として解決する姿勢こそ政府に要求しなければならない。そのためには、憲法や法律を根拠としない「反省」や「おわび」などの謝罪の「ことば」を並べただけとか、それも「国民」「我々」という言葉で「主体」を「あいまい」な形にして済ます事を許してはならない。この事は超党派議連に対しても同様である。ちなみに反省とは「過去の事実をそのままに現在の人間に見せる事」であるともいわれる。あいまいな解決は真の解決にはならず何も生み出さない。より一層無責任な政治が蔓延するだけである。この手法は、アジア太平洋戦争敗戦後の戦後処理内閣・東久邇宮首相の「一億総ざんげ論」とまったく同根の発想といってよい。「一億総ざんげ論」を一部抜粋して紹介しておこう。
「世界の平和と東亜の安定をおもい、万邦共栄を願うは、肇国以来帝国が以て不変の国是とする所であった、世界の国家民族が相互に尊敬と理解を念として相和し、相携えてその文化を交流し、経済の交通をあつくし、万邦共栄、相互に相親しみ人類の幸福を増進し、益々文化を高め、以て世界の平和と進運に貢献する事こそ歴代の天皇が深く念とせられたところである、世界平和の確立に対し、常に海の如く広く深き聖慮を傾けさせられたのであり、……、敗戦の因って来る所はもとより、一つにして止まりません、後世史家の慎重なる研究批判にまつべきであり、今日我々がいたずらに過去に遡って、誰を責め、何を咎める事もないのである、前線も銃後も軍も官も国民ことごとく静かに反省する所がなければならない、我々は今こそ総ざんげをして神の前に一切の邪心を洗い清め、過去を以て将来の戒めとなし、心を新たにして、戦の日にも増して挙国一家乏しきを分かち、苦しきをいたわり、温かきを心に相援け、相携えて、各々その本文に最善を尽くし、来るべき苦難の途を踏み越えて帝国将来の進運を開くべきである……」以上
東久邇宮内閣(初の皇族内閣)の使命は「天皇制に対する国民の離反を防止する事と、占領に先立って天皇制支配体制の安定を作り上げておく事」であった。ちなみに、この内閣の閣僚の顔ぶれは、いずれも第1級の戦争責任者ばかりであった。
さて、1945年9月26日、治安維持法違反でいまだに投獄されていた哲学者・三木清が獄中で病死した事をきっかけに、外国人記者たちが治安維持法について10月3日、山崎内相や岩田法相に見解を求めた。この回答がポツダム宣言第10条を否定する内容であったため、GHQが10月4日に人権指令(治安維持法や特別高等警察の廃止、政治犯の即時釈放など、自由を制限する制度の廃止)を発した。それに対し東久邇宮内閣は実施困難として翌日の5日総辞職した。
(2019年3月15日投稿)