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強制不妊救済法案:おわびの主体が「我々」では敗戦処理内閣東久邇宮の「一億総ざんげ論」と同根の発想。教訓を学び伝えるため責任と事実の明確化を。曖昧は政府と国会の無責任権利侵害の体制を蔓延させる

2024-07-03 21:57:23 | ハンセン病

 2019年3月15日の新聞が、「強制不妊救済法案」についての記事を掲載していた。それによると、「おわび」では「憲法違反」である事を認めておらず、主語についても「政府」や「国会」などを明記せず、責任の所在が明確にならない曖昧模糊とした意味をもつ「我々」とした。これについてWT座長の田村憲久元厚労相(自民)は「『我々』には政府と国会が含まれる。広くは地方自治体、優生思想の風潮があった社会も含まれるかもしれない」と説明した。この「おわび」に見られるWTと議連の意識は、「おわび」を意味する「常套語」を使用すれば「謝罪」したと受け取ってもらえるだろうという一方的な思い込みがうかがえるとともに、そのような意識は、被害者当事者の気持ちをまったく無視したものであり、そのような「常套語」は被害当事者にとっては、どんなに丁寧な「言葉」であっても、いくつ並べられても、言い回しを変えても、「謝罪」とは受け取れない事を理解できていない。むしろ被害当事者としては、再び馬鹿にし人権を無視しているとしか受け取れない事を理解できていないのである。この点は「一時金」にも表れている。「お金で納得させる解決できる」とする、被害当事者を馬鹿にした姿勢がうかがわれるのである。「賠償金」ではないのである。被害当事者に対して、「国家賠償を求める権利」をも進んで認めようとする意志はないという事のようである。さらに重大な事は、責任の所在を曖昧にする事は、主権者国民が歴史の事実を知り再発防止の教訓とする事を妨げ、政府や国会が責任を負わない無責任体質がさらに蔓延するであろう事が憂慮される事である。

※下記は「優生保護法(強制不妊)救済法案:おわびの主体が「国民」では敗戦処理内閣東久邇宮の「一億総ざんげ論」と同根の発想。教訓を学び伝えるため事実を明らかにする事を要求する」を再録したものである。

 2018年11月2日の新聞は、優生保護法による強制不妊手術について、超党派議連は救済法案の「おわび」の主体を、国会議員を含めた「国民」を意味する「我々」とし、違憲性については触れていない、と報じた。また、与党WT、「各地で続く国家賠償請求訴訟への影響を避けるため、おわびは違憲性や違法性に絡めない形」「政府が裁判(国家賠償請求訴訟)をされているので、立法府が何らかのもの(違憲性や違法性に絡めたおわび)を書くのは難しい」としている。これが世界に通用する理屈だと思っている事に呆れてしまう。

 全国で初めて実名を公表して提訴したKさんは子どもを産み育てる権利を奪われ、憲法違反なのは明らかだ」と訴える。熊本のWさんの代理人弁護士Hさんは「憲法違反は明白で、各地の国家賠償請求事件でも国側は違憲性について積極的に争っていない。なぜ違憲性を認めずに謝罪するのか理解に苦しむ」と訴える。

 弁護団が「優生手術等が憲法に違反する著しい人権侵害であり、国の政策が間違いだった事を認め、真摯な謝罪を表明するよう求める」と要望しているのは極めて妥当である。

 立命館大大学院の松原洋子教授がWT案について、「法律自体やその運用、政策のどこに過ちがあったのか、国の責任を明確にしなければ、真のおわびにはならない」と指摘しているが、その通りである。

 与党WTは、「各地で続く国家賠償請求訴訟への影響を避けるため、おわびは違憲性や違法性に絡めない形」「政府が裁判(国家賠償請求訴訟)をされているので、立法府が何らかのもの(違憲性や違法性に絡めたおわび)を書くのは難しい」としているがこの理屈では、国会の立法行為は司法裁判所の意向に沿うようになされなければならないという事になる。これは国会議員が立法機関の使命や責任の自覚が乏しく、「独立して立法する原則」を放棄しているのに等しい誤った認識をしているといえる。さもなくば、「曖昧」に処理してしまおうと意図しているとしか思えない。与党WTはこの手を使っているのかもしれない。謝罪の言葉で「一件落着」、とする口先だけの軽薄な信用できない体質である。そのため、再び同じ過ちを犯すものである。国民は同じ過ちを繰り返して欲しくないと思っている。同じ過ちを繰り返さないためには、事実(1948年の法制定から95年の廃止までの間の法改正の経緯と内容も含めて)を明らかにしそこから教訓を学びとりそれを共有し後世に伝える事を原則として解決する姿勢こそ政府に要求しなければならない。そのためには、憲法や法律を根拠としない「反省」や「おわび」などの謝罪の「ことば」を並べただけとか、それも「国民」「我々」という言葉で「主体」を「あいまい」な形にして済ます事を許してはならない。この事は超党派議連に対しても同様である。ちなみに反省とは「過去の事実をそのままに現在の人間に見せる事」であるともいわれる。あいまいな解決は真の解決にはならず何も生み出さない。より一層無責任な政治が蔓延するだけである。この手法は、アジア太平洋戦争敗戦後の戦後処理内閣・東久邇宮首相の「一億総ざんげ論」とまったく同根の発想といってよい。「一億総ざんげ論」を一部抜粋して紹介しておこう。

「世界の平和と東亜の安定をおもい、万邦共栄を願うは、肇国以来帝国が以て不変の国是とする所であった、世界の国家民族が相互に尊敬と理解を念として相和し、相携えてその文化を交流し、経済の交通をあつくし、万邦共栄、相互に相親しみ人類の幸福を増進し、益々文化を高め、以て世界の平和と進運に貢献する事こそ歴代の天皇が深く念とせられたところである、世界平和の確立に対し、常に海の如く広く深き聖慮を傾けさせられたのであり、……、敗戦の因って来る所はもとより、一つにして止まりません、後世史家の慎重なる研究批判にまつべきであり、今日我々がいたずらに過去に遡って、誰を責め、何を咎める事もないのである、前線も銃後も軍も官も国民ことごとく静かに反省する所がなければならない我々は今こそ総ざんげをして神の前に一切の邪心を洗い清め、過去を以て将来の戒めとなし、心を新たにして、戦の日にも増して挙国一家乏しきを分かち、苦しきをいたわり、温かきを心に相援け、相携えて、各々その本文に最善を尽くし、来るべき苦難の途を踏み越えて帝国将来の進運を開くべきである……」以上

 東久邇宮内閣(初の皇族内閣)の使命は「天皇制に対する国民の離反を防止する事と、占領に先立って天皇制支配体制の安定を作り上げておく事」であった。ちなみに、この内閣の閣僚の顔ぶれは、いずれも第1級の戦争責任者ばかりであった。

 さて、1945年9月26日、治安維持法違反でいまだに投獄されていた哲学者・三木清が獄中で病死した事をきっかけに、外国人記者たちが治安維持法について10月3日、山崎内相や岩田法相に見解を求めた。この回答がポツダム宣言第10条を否定する内容であったため、GHQが10月4日に人権指令治安維持法や特別高等警察の廃止、政治犯の即時釈放など、自由を制限する制度の廃止)を発した。それに対し東久邇宮内閣は実施困難として翌日の5日総辞職した。

(2019年3月15日投稿)

 

 

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強制不妊手術は障害者に人権を認めない差別政策だったのであり、障害者雇用率の偽装も同根。国会審議なしの母体保護法制定

2024-07-03 21:55:03 | ハンセン病

 旧優生保護法は、障害者を劣性とみなし排除抹殺すべきものとした当時の国会議員の大勢の意識風潮により1948年に成立したものであり、また、時の政府はその国会と同じ意識に基づいて障害者に対する施策(国策)を積極的に推進してきた。すでに戦後の政治や社会の基本として日本国憲法が1947年に施行されている点を考えれば、このような前近代的な保護法が成立した背景には、当時の国会議員の意識が、日本国憲法にその原理として定めている、基本的人権の保障についての理解が十分になされていなかった事を表しており、国会議員間においても共通認識となっていなかった事を表している。ちなみに保護法成立時の国会議員は、憲法成立時と同じ構成メンバーであり、1945年4月の新選挙法による第22回総選挙で選出された議員(当選者の50%は保守系で、翼賛選挙での推薦議員中心の日本進歩党が20%、非推薦議員中心の日本自由党30%、のち両党は財界の強い要望により自由民主党を結成)であるにもかかわらずである。強制的に不妊手術を推進した行為は、障害者には人権を認めないとする差別的な価値観を有する政府(自民党)の差別的政策(国策)として実施されたものである。1996年、橋本自民党政府において人権侵害の「らい予防法」を廃止した際にも政府は保護法には意図的に触れなかった。そして、国会議員間においても問題提起されていない。つまり、政府も国会も「人権侵害」という「憲法の原理に背く犯罪とも言うべき重大な間違いを犯してきた」という事実に目を向けなかったのである。

 1993年には障害者基本法を制定し、第1条には「すべての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重される」と規定し、2014年には、その第17条に「全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」と規定し、第23条には「障害者が、他の者との平等を基礎として生殖能力を保持すること」と明記している障害者権利条約を批准しているのである。

 2016年3月には、国連の女性差別撤廃委員会が安倍自公政府に対し、優生保護法下で強制的に行われた不妊手術に対し国による補償や謝罪を求める勧告を出したが、それに対する2016年6月のNHK取材でも厚労省は「当時、不妊手術は合法的なものだった」とまったく理解できない独善的な回答をしている。

 しかし、このような差別(人権侵害)体質は、どのように装っても暴露するものであり、それは2018年8月に発覚した、中央省庁及び地方自治体による障害者雇用数の偽装である。

 それでも安倍自公政府は、未だに「旧優生保護法下の強制不妊手術は合法だった」という姿勢を改めていない。これまでの自民党政権も現在の安倍自公政権もいかに独善的で差別的な体質を有しているかを改めて認識すべきである。

 最後に、優生保護法が1996年に母体保護法に改定された驚くべき経緯を以下に紹介し、この点についても究明する事を求めたい。

 改定の際には、国会での審議はまったくされなかった。改定の理由についても橋本政府まったく説明しなかった。メディアも「らい予防法」の廃止だけしか取り上げなかった。そして、96年9月に施行された。1997年8月、メディアは「スウェーデンで強制的な不妊手術」を報道した。しかし、前年まで日本に存在していた優生保護法について報道する事はなかった。衝撃を受けた女性団体が1997年9月16日、厚生省要望書を提出した。内容は、①優生保護法の下で強制的に不妊手術された人、「不良な生命」と規定された人々への謝罪と補償、②実態検証のための特別調査委員会設置、③優生保護法も禁じている子宮摘出事例の調査と被害者救済、などである。それに対し当時の厚生省母子保健課の課長補佐は「優生保護法の下では、優生手術は合法であった。現代社会にそぐわない法であったとしても、すでに改正がなされている」と回答したのである。すでに法改定したから何もする必要はない、謝罪も補償も実態調査の予定もない、という態度を示したのであった。

(2019年4月17日投稿)

 

 

 

 

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強制不妊救済法も安倍談話も違憲違法性責任明らかにせず:日本の成文法治主義では、人権侵害とは認めないとの意味。動物の去勢処置と同じ認識

2024-07-03 21:39:32 | ハンセン病

※2020年5月29日の新聞が、優生保護法(1948年~1996年まで施行)に基づいて行われた強制不妊手術による被害者に対する救済法(一時金支給法)が昨年4月24日に施行されて一年経つが、5月3日までで一時金の申請者数が想定の27%(厚労省集計)であった事を記載していた。被害者数は約2万5千人。個人が特定でき手術記録が残る被害者の数などから3400人の申請を想定していたが、909人(27%)であった。

以下は、2019年5月30日に投稿した内容であるが加筆修正し改めて掲載した。

 2019年4月24日午前、国会参院本会議強制不妊救済法全会一致で可決し、成立した。

 法律は、「(国家賠償請求)訴訟への影響を避けるため」という事を理由として優生保護法違憲性や制定した国会の責任に触れていない。しかし、その言葉とは裏腹に、このような内容で法律を作る事自体が、司法(裁判官)や判決内容に対して圧力をかけ影響を与える事を意図していると言って良い。また、「違憲ではない」とする判決が出された場合、この支給内容と国会の責任を明記せず曖昧にした前文内容とでもってこの問題を処理しようと意図している事を表しているのである。

 メディアはそれに反論批判せずそのまま正当な理由であるかのように報道しているが、それは偏向した報道姿勢であり、上記の意図を持つ救済法を支持する側に立って報道していると言うべきである。訴訟の際にはさもそのようにしなければならないかのように、「訴訟への影響を避けるために触れない」、というのは単に国会が都合の悪い事を明らかにするのを回避するための屁理屈であり、そのように義務づける法律などもちろんないわけであるから、主権者である障害者(被害者)はもちろん国民は、そんな「触れない理由」に納得するものではない。らい予防法に対する判決(熊本地裁)から推察しても、明らかに違憲である事は間違いない。にもかかわらず違憲性に触れないというのは、「違憲ではない」との意思表示であると理解すべきであり、司法(裁判官)に圧力をかける事が目的と受け止めるべきである。優生保護法(強制不妊手術)は人権侵害には当たらない」との意思表示とみなすべきである。つまり、障害者を人間とは見なしていないのであり優生保護法制定の意識がそうであっただけでなくこの救済法制定の意識においても、障害者(被害者)に対する強制不妊手術を犬や猫など動物に対する去勢手術なみにしか見なしていない(人権侵害問題であるという理解ができていない)という事である。であるから、救済法は物損事故的弁償感覚でしかなく、つまり金銭を渡すだけで解決できるものと考えているといってよい。だから、「救済法」という、主権者である障害者や国民が違和感を感じる名称を使用する事ができたのであり、法の内容の全てが、「一時金」という名の金銭の支給に関する事だけになっているのである。また障害者の高齢化に言及し、平成中の救済法成立(一時金支給)を目指したいとしていたが、そこには障害者がさも金だけが目当てであるように印象づける手前勝手な決めつけ意識がみられ、主権者である障害者や国民の屈辱と憤怒を理解してないだけでなく愚弄している事にも気づいていないのである。

 反省しお詫びする主体を『我々』とし、その責任を明記せず曖昧にしておきながら、その意味を「国会や政府を特に念頭に置くもの」と口頭説明する手法についても主権者である障害者や国民は、「国会は優生保護法制定の違憲性を認めていない、認めないという意思を表明した」と理解すべきなのである。それも制定に関与していないのであるから含めるべきでない「政府」まで含め、安倍自公政権にも忖度した判決を出させる事を狙っているとみるべきである。口頭で「国会を念頭に置く」と説明しておきながら、法律には明記しないというところに国会の不誠実な狡猾さを感じざるを得ない。成文法による法治主義国家においてはこのような手法で制定された救済法は認める事はできない。国会が率直に違憲性を認めた内容の法律を制定しさえすれば、主権者である障害者や国民は訴訟を起こす必要はなかったのである。

 安倍首相も、国会の説明が、「我々」には「政府」が含まれているとしたため、「おわび」談話を発表したようだが、優生保護法の違憲性や政府の執行責任には触れなかった。この事について、官邸関係者が「訴訟に関わる事だから、政府の非を認める形にはならない」とする国会同様の理由を述べていたが、メディアはそれにも反論批判せずただ報道しているだけであった。主権者である障害者や国民は、この談話についても、安倍首相は、優生保護法の「執行は違憲違法ではなく政府に責任はない」との意思表示をしている、と受け止めるべきである。元々安倍自公政府は訴訟においても、違憲性の認否を避け続け、法の執行を続け救済策を講じなかった事についても違法性を認めていないのだから。主権者である障害者(被害者)や国民は、「真摯に反省し深くおわび申し上げます」との抽象的で中身の明確でない、それも極めて世間一般的な「おわび」の常套句に、軽々に思い込みの期待を抱き、騙されてはいけない。談話の最初が「一時金支給」の内容である事からもうかがえるが、障害者が優生保護法によって人生を踏みにじられ変えられた事(人権侵害)の屈辱を理解できているとは言い難いからである。また本来、首相談話は内閣全員の意思として閣議決定されたものをいうが、この談話は「首相談話」と言いながら、閣議決定されていないため、安倍自公政権の意思を示すものではないのである。正確には「首相談話」と言えるものではなく、安倍首相個人のスタンドプレーの意思表示なのである。しかし、安倍首相は、中身の曖昧な「談話」を何故あえて判決前という異例にもかかわらず発表したのか。それはその事により安倍首相の意思を司法(裁判官)に暗示し、圧力をかけるためであり、それによって政府に忖度させ政府に有利な判決を出させようというのが狙いなのである。安倍首相はこの問題の「処理」においてもこれまでの問題以上に存分に自己の常套手法を駆使しようと手を打っているのである。

以下、上記以外に強制不妊救済法に関連して感じた事を書いておこう。

まず、優生保護法全会一致で成立したものであるが、全員が賛成(全員が反対でもよいが)すれば「正しい判断」がなされた事を意味するとは限らないという事を学べる良い例である。例えば、神聖天皇主権大日本帝国政府下において1941年制定された「改正治安維持法」も全会一致であった。そして今回成立した救済法も全会一致で成立したが同様に考えるべきである。

当時の政府も国会も、人権尊重を原則とする新憲法に対する理解は極めて乏しかったという事である。理解しようとする動きも積極的ではなく、それを阻む戦前回帰の動きの方が強くなっていったといえる。今日の日本の政治や社会の姿がその行き着いた姿である。

 国会も内閣も、これまでの誤りを率直に認め、その責任を引き受け主権者である障害者や国民に対する償いを進んで行い、事実を究明し将来の教訓とする姿勢をとれない事が改めて暴露され、その事がまた憲法が定める人権尊重の進展を阻害している事が明らかになった。

国会は救済法を被害者である障害者の意見や要望に耳を傾けないまま成立させた。この手法は、日韓の政府間で解決しようとした「慰安婦問題合意」と同じである。政府も国会も被害者が人間扱いされなかった屈辱(人権侵害)に対し率直に誤りを認め、その屈辱を癒やしてもらうために被害者が納得する謝罪と賠償をする事が大切なのである。人間としての名誉回復こそ最も重要な事である事に気づくべきである。

今回成立した救済法被害者である障害者はもちろん国民をも分断し、訴訟を妨害する効果を生む事が安倍首相や国会の狙いである事が徐々に見えてくるであろう。すでに「優生手術に対する謝罪を求める会」の米津知子さんは「言葉がどうであれ、首相がおわびの気持ちを形にした事が重要だ」と手放しの歓迎ぶりであるのに対し、訴訟原告男性は「法律で『我々』がおわびをするとあるが、ごまかされているように思う。国の謝罪をはっきり書いてほしい。国の謝罪で救われる家族がいるはずだ」と政府の対応に憤っている事からも明らかである。

1966年に開始した兵庫県の「不幸な子どもの生まれない運動」に関する資料集には、「(知的障害や身体障害など)不幸な子どもだけは、生まれないでほしいという気持ちは、お母さん方のみならず、みんなの切なる願いでございます」とあるが、ここから分かる当時の自治体(政府はもちろんであるが)の優生保護法による「強制不妊手術」に対する認識と対応は、ハンセン病に対して「らい予防法」に基づいて全国的に推し進めた「無らい県運動」のものとまったく同じだと認められるのである。

(2020年6月9日投稿)

 

 

 

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津田梅子が女子英学塾(現津田塾大学)創設決意の環境・精神的背景

2024-07-03 11:26:56 | 教育

 1871年11月からの岩倉遣外使節には、神聖天皇主権大日本帝国において最初の官費女子留学生(この時、華族・士族の男子留学生は53人)5人同行した。北海道開拓使開拓次官・黒田清隆が募集した米国への留学生であった。留学条件は、官費留学生で、期間は10年往復の費用・学費・生活費などの支給があった。出発に際して、皇后が「……婦女の模範に……」との沙汰書を授けた。5人の女子の出自はすべて旧幕府側で下記の通りである。

吉益亮子(16歳)⇒旧幕臣の娘。目を患い翌年帰国。

上田悌子(16歳)⇒新潟県士族の娘。病により翌年帰国。

永井繁子(11歳)⇒旧幕臣の娘。東京音楽学校などで教職に就く。後に海軍大将となる瓜生外吉と結婚。10年留学。

山川捨松(12歳)⇒旧会津藩士の娘。後に元帥・陸軍大将となる大山巌の後妻。「鹿鳴館の花」と呼ばれた。11年留学。

津田梅子6歳)⇒旧幕臣・洋学者の娘。女子教育に力を注ぐ。11年留学。山川と帰国。

 さて、津田梅子が、女子のための学校創設を決意した環境・精神的背景についてであるが、何といってもまず、梅子の父親が娘を留学させ、米国と米国人を知る機会を与える決意をしたという点である。梅子の父親、津田仙は元佐倉藩士で、1853年に米国ペリー艦隊が来航した時、江戸海岸防備の任に当たり、米国艦隊の優秀さを見学している。その後、1867年に幕府勘定吟味役・小野友五郎渡米に随員となり、福沢諭吉らと約半年間の米国生活を体験している。維新後、北海道開拓使嘱託となり、開拓次官・黒田清隆が欧米視察から1871年に帰国した時、顧問として同行してきた米国農商務局長・ケプロンから、女子教育振興論を聞かされている。以上の父親の経験体験が、梅子を米国へ留学させる決意をさせ、それが梅子の精神に大きな影響を与えたといえるだろう。梅子がこの留学の機会を与えられた事得た事が先ず、女子の学校創設を決意する大きな要因となったのである。

 次は、ホームステイ先の家族からの影響である。中流家庭(ワシントン、日本大使館勤務のランマン夫妻)に預けられ、「日本人の身体をもった米国人」と評されるほどに米国人的思考を身につけた事である。この事が、帰国してからの日本社会での女性の置かれた立場や夫婦の在り方や男女の在り方に敏感に反応意識思考するようになったようである。彼女は述べている。「女性は猫のようにおとなしく怠惰です。ただ男たちの命令を待っている従者のようです。彼女たちを責めたい気持ちもありますが、同時にその地位に憤りを感じます」と。

 そして梅子は、神聖天皇主権大日本帝国における女子教育の立ち遅れを痛感する中で、女子のための学校創設を自己の使命と考え、再び1889年に米国フィラデルフィア・プリンマー女子大学へ留学し、教育学や教授法の研究をした。

 そして1900年7月、大山捨松(大山巌侯爵夫人)に顧問として協力を得て、念願の私塾「女子英学塾(1948年津田塾大学)」を創立。そして、開校式の式辞今日有名な「オールラウンド・ウーマン(多才な女性)になれ」と彼女の熱い思い訴えたのである。

※『戦後50年 みんな生きてきた』(朝日新聞社編)には、津田塾に関係する方々の「津田ものがたり」が所収されている。

(2022年4月25日投稿)

 

 

 

 

 

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朝日新聞「明日へのLessn」『渋沢栄一 論語と算盤』で作家守屋淳氏が言わなかった事

2024-07-03 10:00:04 | 渋沢栄一

 守屋淳氏は、朝日新聞2024年4月6日『渋沢栄一 論語と算盤』記事で、渋沢が「論語と算盤」という言葉に共感したのは、英国商業会議所会員との意見交換の際、「日本人は約束を守らない。あなたの力で改善してもらえないか」と言われた事が背景にあるとし、「当時の日本の商人たちの間には『稼いだ者勝ち』という考え方が広がり、拝金主義に陥っていたため、商業道徳が国際的に問題視されていたからだ」と述べている。

 このような件に関係して、「高校日本史教科書」にも朝鮮における日本人商人の横暴」というタイトルで紹介されている『1881(明治14)年度農商務卿報告』(「明治前期産業発達史資料」)を以下に紹介しよう。

 「移住人民の中には無頼の徒も亦少なからず、しばしば韓人侮慢し、売買の際不整の秤量を用い、不理の利を謀るの悪習なきにあらず。……ややもすれば石戦拳闘(けんか)を伝える、恐らくはこの徒中より醸起するにあらざるなきを得んや。是を以て韓人も亦漸く此等の徒を嫌忌するの念を生ぜんとす。」

 上記のような事情から朝鮮では反日感情は高まっていったというのが歴史学では定説となっている

(2024年4月6日投稿)

 

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