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ハンセン病家族訴訟についての新聞などメディアの見出しは安倍首相美化の印象操作:「首相『異例』判断」や「人権侵害を考慮」など

2024-07-23 20:30:50 | ハンセン病

 新聞などメディアは、元ハンセン病患者の家族への熊本地裁判決について、安倍首相が2019年7月12日、談話で正式に「控訴しない」と発表した、と報じたが、その新聞などメディアが付けた記事の見出しの言葉にうかがえる考え方に対し、主権者国民の立場から放置できない極めて重大な問題を感じている。

 その見出しの言葉は、「首相『異例』判断」や「人権侵害を考慮」というものである。   

 熊本地裁判決は、厚生相(現厚労相)、法務相、文部相(現文科相)など政府の責任を広く認定し、賠償を命じた。それに対し、新聞などメディアの報道は、安倍自公政府としては、控訴して高裁の判断を仰ぐのが規定路線であり、また、別の患者家族が起こしている訴訟が最高裁で係争中であるため、熊本地裁判決を控訴せずに確定させる事は困難であるという考え方が大勢であったが、安倍首相が、「異例の事ではありますが、控訴しない事と致しました」と表明した談話の言葉をそのまま「見出し」に使い、新聞などメディア自らもその通りとして「異例」と認めた報道しているのである。そこには、安倍首相の談話を、かつて昭和天皇を美化した作り話である「聖断」(反対意見を抑えてポツダム宣言受諾を決定した)というものの「安倍版」のように印象づけようとする意識がうかがえるのである。そうであればそれは明らかに故意に事実でない解釈をして(メディアが無意識に上記のような解釈をするならばメディアを業とする資格はない)国民に対し首相を美化する印象操作をしていると考えるのが妥当であろう。日本国憲法下の政府では政策の最終決定は反対や異議を有する閣僚に首相が理解を求め最高権限を行使して行うのが当たり前だ。それを英雄であるかのように美化する必要はない。神聖天皇主権大日本帝国政府の首相じゃあるまいし、何も驚く事ではないはずだ。

 新聞などメディアは上記のような記事を書く手法ではなく、原告団長の林力さん(94)の「(控訴しないのは)当然の事だと思います。多くの方々、世論の支援があってここまで来た。無念の中で死んでいった多くの(ハンセン病療養所)入所者の人々も喜んでいる事だと思う」という言葉を、政府に侵害されている権利を保障させるために闘う主権者国民の運動を大きく取り上げる事こそ使命としなければならないのではないのか。また、談話には「人権侵害」という言葉は使用していないし、政府による「人権侵害」であるにもかかわらず、「差別が存在した」という加害者意識のない表現をしている。判決は、元患者の隔離(談話では「施設入所政策」と表現)という国策が、家族への偏見と差別という「社会構造」を作ったと断じ、就学や就労の拒否、村八分、結婚差別などの「人生被害」をもたらしたと指摘しているにもかかわらず、安倍首相(談話)は、「差別」(=人権侵害)が政府の政策が根本原因で生み出された事を認めていないのである。それにもかかわらず、新聞などメディアは安倍首相の考え方を糾す事なく、「人権侵害を考慮」という見出しを付けているのである。これは明らかに安倍首相を美化する印象操作をしていると考えざるを得ない。そして、新聞などメディアは安倍首相を幇助していると言わざるを得ない。これまでの政府を幇助してきたように。新聞などメディアは、自己の加害責任にほうかむりしてその謝罪もせずに、国民に対して説教を垂れる事は偽善と傲慢以外の何ものでもなく許されない。そして、責任の負い方は、その国策実施にどのような立場で関わってきたかなどの関わり方によってその軽重もそのあり方も異なるものである。東久邇宮内閣が、負うべき者の戦争責任を曖昧化しようとした「一億総ざんげ」のように、国民に責任を負わせようとしてはならない。

 安倍自公政府声明の内容は、「判決には従えない」と司法と原告や主権者国民に不平不満や文句を権力を悪用して「声明」というカッコつけた名称で言っているだけだ。すべてその責任を認めたくないための「屁理屈」であり、国民に責任転嫁しようとするものである。また、森首相もそのような発言をしたが、公然と司法権を罵倒した考え方であり態度である。政府声明は三権分立の司法への司法権への圧力をかける事を目的としたものであり、三権分立を形骸化させ行政権が牛耳ろうとするものである。新聞などメディアは、前代未聞のこのような態度価値観の安倍首相、安倍自公政権に対して、無視するぐらいの対応が必要である。記者が無視されるように。無視する事によって国民が不利益を被る場合には、政府の非常識や無法を糾すべきであろう。元福岡高裁部総括判事・森野俊彦弁護士が「控訴断念は本来、訴訟の基本的な争点を是認した事と同じだ。政府の対応は、法律論的には相当問題がある」と指摘しているように。

 菅官房長官は政府声明を「法的拘束力はないが、政府としての大変重い意志表明だ」と説明したが、古い意識に凝り固まっている体質が露わになった。自己の正当化と権力維持のため、自己に都合の良い価値観や意識をご都合主義で「正しい」ものとして持ち出し、国民に対してそれを押し付けようとするその姿勢を改めようとしない事がこの件においても露わになった。時を経るとともに、その時間が短い場合もあるが、人間の意識や社会の意識はより良いものに変化発展してゆくものである。安倍自公政権はそれを認めないという事を政府声明で露わにしたという事である。このような事例が他に多々ある事に思い当たるだろう。自民党員公明党員はもうすでに、価値観や意識は化石人類に属しているのである。彼らを権力の座から追い払わなければ国民の権利は保障されず真に幸せにはなれない。国民の進歩発展も国の進歩発展もない。

(2019年7月19日)

 

 

 

 

 

 

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