※以下は2017年12月21日に投稿したものを改めて投稿したものです。
2017年8月16日の新聞によると、東京五輪・パラ組織委員会は15日に、五輪マスコットのデザイン案に2042案の応募があったと発表した。9月中旬には、玩具メーカーなどの企業から15人程度が審査員となり、100案程度に絞り、その後、組織委の審査会が3~4案に絞るという。そしてその後が国民として問題としなければならない事であるが、12月11日から来年1月19日まで、全国の小学校のクラス単位で投票をしてもらう、としているのである。一般的に、「してもらう」という言葉は「お願い」するという意味で強制ではないが、この場合は、完全な強制を意味しており、明らかに児童生徒の個々の自由(人権)を侵害する問題であるにもかかわらず、それを認めず、推し進めようとしているのである。組織委の手法は憲法を無視否定するものであり、断じて認める事はできない。安倍政権らしい手法である。
※2017年4月26日の新聞によると、東京五輪・パラ組織委員会が大会マスコットについて、ムードを盛り上げ、子どもたちの記憶に残る大会にする事を狙って、全国すべての小学校に学級単位で投票(投票への参加は各校の任意となる見込み)してもらうという五輪史上初の検討をしているという。学校教育を、国家を私物化する安倍政権に奉仕させるために統制強化がさらに進む事を意味する。
※以下は、2016年7月2日に投稿した「『五輪・パラ教育』は戦時の国民精神総動員運動の安倍版、狙いは挙国一致精神の培養、その先は国家総動員法(緊急事態条項)成立」を再投稿したものです。
大会組織委員会が、「五輪・パラ教育」に取り組む全国の学校を対象に「教育実施校」として認定する仕組みを作る方針を固めたという。そして、認定校に与える権利や表彰も検討しているという。そして、すでに東京都内の公立学校では2016年4月から実施しているという事だ。このような取組みは、日本史上、安倍政権が初めてである。
しかし、大会組織委によるこの「教育」の実施推進の手法には法律上人権上重大な問題がいくつかある。それはまず「五輪・パラ教育」は学校教育における教育内容学習内容を規定している「学習指導要領」には本来含まれていない内容であるから、本来学校教育で扱うべきものでないものでありながら、それを学校教育で扱わせようとするところに問題があるのである。法律に違反しているのである。さらに問題なのは、この「教育」がそのようなものであるにもかかわらず東京ではすでに実施している事、組織委がさらに今後全国の学校教育を通じて実施しようとしている事である。
「東京の五輪・パラ教育」の問題を考えてみよう。まず、「五輪・パラ教育」が法律違反である事を知りながら実施を決定している事が問題である。そして、その「内容」であるが、それは「東京のオリンピック・パラリンピック教育を考える有識者会議」なるものが2015年12月に「最終提言」として発表したが、東京はそれに基づいて実施しており大会組織委が公立各学校を「推進校」として指定し、「提言」に則ってその「教育」を既存の教科科目の「授業」の中に組み込み、すべての生徒を一網打尽式に「五輪・パラ教育」の授業を受けざるをえない形を作って実施しているのである。この「授業」に組み込み実施するという手法が生徒の人権上に重大な問題があるのである。
「提言」によると「重点的に育成すべき5つの資質」とする内容を学校教育の「教科科目の授業」のなかに組み込む事を求めている。生徒個人が「五輪・パラ」自体や「五輪・パラ教育」をどのように受け止めているかをまったく考慮していない内容なのである。そのように授業の内容に組み込む形をとっているのは、意図的なのであるが、個々の生徒がいかなる意志、考え方、価値観を持っているかを問わずすべての生徒にその「教育」を受けなければならないものとして実施する事を求めているのである。生徒個々人の意志を考慮せずすべての生徒に押し付ける形になっているのである。すべての生徒を一網打尽式に強制的に巻き込む事ができるようにしているのである。このような点で「東京の五輪・パラ教育」には生徒の人権を侵害する重大な問題があるのである。ただちに中止すべきであると考える。
さらに問題としなければならないのは、このような「五輪・パラ教育」を東京都の公立学校がどのようにして実施を決定したのかという点である。この動きを不問にせず、 学校、教員の体質を問う必要があるのである。
それは学校側の権力の乱用ではないのか。その決定は法的に正当性があるのかという問題である。実施の決定は、校長の「専権事項」ではないし、教師たちの「多数決」で決定できるものでもないし、生徒たちであっても「多数決」で決定できるものでもないはずである。どのような集団であろうとも「多数決」はこの「五輪・パラ教育」実施の決定方法としては法的に正当性はないはずである。それはなぜかというと、個人に明らかに決定権が存在する事柄には、「多数決」によってその「決定」をその「個人」に強要する事はできないという事である。東京都の公立学校の教員はその事を認識すべきである。教員は大会組織委(安倍政権)の手先となって子どもの人権を侵害しているのである。大いに批判されるべき事である。その事を自覚し、実施しているこの「教育」を止めさせるために行動すべきである。保護者も学校側に対し、自身の子どもに対する教育権を尊重すべき事を認めさせ、この「教育」を中止させる行動をとるべきである。
最後に、「五輪・パラ教育」に関してさらに重要な問題がある。
安倍政権にとっては、「五輪・パラ教育」を推進する事により、国民の「五輪・パラ」に対する翼賛ムードを高めさせようとしているのであるが、それだけが狙いではない。あわせてこの「五輪・パラ」を利用して、自己の真の狙いを実現しようとしているのである。
「最終提言」は、大変崇高な理念がちりばめられているが、安倍自民党政権の現実の政治内容と比べて見れば矛盾だらけの口先だけのきれい事を並べ立てただけである事は誰が見ても明らかである。安倍政権の真の狙いはそのような崇高な理念を実現する事を第一とするのではなく、敗戦前までの日本のように、国民の精神を「挙国一致」(国家主義・全体主義)の方向へ誘導統合する事なのである。また、ウルトラナショナリズムを高揚させる事なのである。そのために「五輪・パラ」実施を利用し、この「五輪・パラ教育」を全国の学校で実施させる事によって、教員の思想統制画一化(国旗掲揚国歌斉唱や安倍政権の政策への翼賛)をすすめ、まず生徒たちを標的にし人質にして教化洗脳し、次にその保護者を巻き込み、そして国民全体を巻き込もうとしているのである。まさしくこれは戦時の「国民精神総動員運動」の焼き直しなのである。「五輪・パラ教育」は、「生徒の人権やその保護者の教育権」を無視し侵害し奪い取る事が狙いなのであり、まず東京都で進められ、さらに今後全国へ広められようとしているのである。「五輪・パラ教育」の「実施認定」は、「申請」形式をとっているのは、この「教育」が文科省から全国の学校に強制する法的根拠がないからである。しかし、彼らは、日本人の強い特徴である「横並び安心心理」や「同調圧力に弱い心理」や「非国民レッテルに弱い心理」などを計算したうえで、この方法が成功する見通しを立てているのである。この「教育」運動は2020年まで継続する計画になっている。その間に、安倍政権又は自民党政権が続いているならば様々なファシズム体制構築への政策を実施していくだろう。それに注意しなければならないのである。
政府・大会組織委員会・教育委員会・学校教師は、極めて恣意的な「五輪・パラ教育」が憲法で保障している子どもたちの自由な意志権利を認めないものであり生徒に強制できないものであるという事に改めて気が付くべきだ。またそのような「教育」の学校教育の中での実施決定は、それぞれの権限の範囲を逸脱した不法行為である。今こそ学校の教員は生徒にどのように対応しているのか、その質、責任が問われている時はないのである。その立場に見合う責任を果たすべきだ。「五輪・パラ」はともかく、「五輪・パラ教育」には断固として反対し、全国の各学校の申請の動きには、「生徒の人権やその保護者の教育権を侵害」するものである事を訴えなければならない。
大日本帝国下では、1937年の「国民精神総動員運動」の先で、1938年「国家総動員法」が制定され、新体制運動をへて、1940年「大政翼賛会」が発足し日本的ファシズム(全体主義)が完成したのである。