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安倍首相の戦没者追悼式辞が意味するもの:国定教科書の中の吉田松陰を通して

2017-09-12 23:08:03 | 教育

 大日本帝国政府は、国民を政府にとって都合の良い人間に作り上げるため、小学校(国民学校)教育においては第1期から第5期までの国定の教科書をつくり、使用する事を義務付けた。

 2017年9月10日の朝日新聞の「文化の扉」欄に「吉田松陰」についての記事が載っていた。その中に、吉田松陰は「尊王愛国」の象徴として戦争遂行に利用された、との内容があったが、実際に小学校(国民学校)の教科書、特に「修身」の教科書ではどのように取り上げられていたのかを紹介したい。

 吉田松陰についての教材は、

 国定教科書の第3期(1918<大正7>年)では、「自信」の課で取り上げ、「……松陰は外国の事情が分かるにつれて、わが国を外国に劣らないようにするには、全国の人に尊王愛国の精神を強く吹込まなければならないと、かたく信じて、一身をささげて、此の事に盡そうと決心しました。二十七歳の時、郷里の松本村に松下村塾を開いて、弟子たちに内外の事情を説き、一生けんめいに尊王愛国の精神を養うことにつよめました。松陰は至誠を以て人を教えれば、どんな人でも動かされない者はないと、深く信じて、「松本村は片田舎ではあるが、此の塾からきっと御国の柱となるような人が出る。」と言って、弟子たちを励ましました。松陰が松下村塾を開いていたのは、僅かに二年半であったが、はたして其の弟子の中からりっぱな人物が出て、御国の為に大功をたてました。 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 」としている。

 第4期(1933<昭和8>年)では、「忠君愛国」「兄弟」「父母」の三つの課で取り上げており、「忠君愛国」では、「松陰は、少年の頃、父から、我が国がりっぱな国であることを教えられ、また先輩に外国の事情を聞いて、国のために尽くそうと志を立てました」とか、「内外の事情を知ることにつとめました」としている。

 第5期(1941<昭和16>年)国民学校では、『初等科修身四』「父と子」の課で取り上げられており、少年時代に父と神社に参拝した設定で、父が2人の子どもに神に何を祈ったのかと聞くと、兄が「皇室のみさかえを祈り、殿様の御無事を願いました」と答えるのに対して、松陰は「私も、第一に皇室のみさかえを祈りました。それから、自分がほんとうの日本国民になることをお誓いいたしました」と答える。それに対して父が「ほんとうの日本国民とは、どういうことか」と問うと、「臣民としての道を守り、命をささげて陛下の御ためにつくすのが、ほんとうの日本国民だと玉木のおじ様が教えてくださいました」と答えるというものである。

 この内容は、「教育勅語」の核心である「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」という思想価値観や「国体の本義、臣民の道」の内容に基づいて作られたものであり、事実関係にはこだわらず、政府に都合の良い部分を基に、都合よく創作した(歴史修正主義)内容で、それを小学生(国民学校生徒)にストレートに「刷り込み」「洗脳」する事を目的としている事が明らかである。

 あわせて、「兵役法」についての教材についても紹介しよう。

 第1期(1904<明治37>年)では、「へいえき」の課で、「我が国の男子は、まん十七さいから、まん四十さいまで、国のために、兵役につく義務があります。それゆえ、われらは小さいときから、きをつけて、おこないをつつしみ、からだをじょーぶにしておいて、兵役につき、国民の義務をつくさねばなりません」としている。第2期(1910<明治43>年)では、「国民の公務」、第3・4期では「国民の務め」の課で同様の内容を載せている。第5期では、『初等科修身四』「国民皆兵」の課で、「日本人は、本来平和を愛する国民であります。けれども、一朝国に事ある時は、一身一家を忘れ、大君の御楯として兵に召されることを男子の本懐とし、この上ないほこりとして来ています。」としている。ちなみに、このような価値観に基づいて国民を対象にして作られた言葉が「軍神」「英霊」「英霊の家」「誉の家」などであった。

 さらに侵略戦争や植民地支配については、第5期では、『初等科修身四』「新しい世界」の課で、「すでに満洲国は、かがやかしい発展をとげました。国民政府(傀儡政権)もまた支那で、着々とその基礎を固め、タイ国も、東インド支那も、日本と親密な関係を結び、相たずさえて、大東亜建設のために、協力しています。その上、わが戦果にかがやく南方の諸地方は、新生の光にあふれ、マライや昭南島、ビルマやフィリピン、東インド諸島に響く建設の音が、耳もと近くに聞えて来ます。大東亜十億の力強い進軍が始まったのであります。日本は、大きな胸を開いて、あらゆる東亜の住民へ、手をにぎりあうよう呼びかけています。日本人は、御稜威(天皇)をかしこみ仰ぎ、世界にほんとうの平和をもたらそうとして、大東亜建設の先頭に立ち続けるのであります。私たちは、ゆたかな資源を確保し、軍備を固めて、敵を圧迫し、おおしい心がまえを以て、建設をなしとげなければなりません。……身命をなげうって、皇国のために奮闘努力しようとするこのおおしさ(勇ましさ)こそ、いちばん大切なものであります。」としている。

 さらに日本の国については、第5期『初等科修身二』「日本は神の国」の課で、「(北畠)親房は陣中にありながら、ふでをとって国史の本を書くことにしました。親房は、その本のはじめに、こう書きました。「大日本は、神の国である。神が、この国をお開きになり、天照大神が、天皇の御位を、ながくさかえますように、お伝えになった。これは、わが国だけにあったことで、ほかの国には、まったくないことである。だからこそ、わが国のことを、神の国というのである。」天照大神の仰せによって、神のお血すじをおうけになった天皇が、日本をお治めになります。臣民(国民)は、祖先のこころざしをうけついで、ひたすら、天皇の大みわざをおたすけ申しあげてまいりました。かように、国の初めから、君と臣との分がさだまっているということが、日本の国の一番尊いところであります。」としている。つまり、大日本帝国政府の学校教育の目的は、国民を天皇の臣民(家臣・家来・奴隷)として教化するためのものであった。 

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、このような「洗脳」教育を基礎に、国民を人権を有する人間と見做さず一銭五厘の命死は鴻毛より軽し)、そのかけがえのない命と人権を尊重しないだけでなく、生かすも殺すも主人(天皇)次第である「奴隷」と同様の扱いをし、兵士の義務を強制し、天皇主権政府の政策によって引き起こされた侵略戦争に動員し、家畜以下ともいえる扱いで使い捨て死に追いやったのである。戦没者の多くが庶民である徴兵兵士である

 今年も8月15日に安倍自民党政府は政府主催の「全国戦没者追悼式」を行い、式辞を述べた。その内容の背景となっている価値観は、ほかでもなく大日本帝国政府の思想価値観(国家神道=天皇教)を理想とし継承したものである。そうであるからこそ、大日本帝国政府下で国民の常識とされていたのと同様に、戦没者に対して「敬意」を示すのであり、「感謝」の念を抱くのである。つまり、「追悼式」と銘打っているが、実態は「顕彰」の対象としているのであり「顕彰式」そのものなのである。つまり、安倍首相は、大日本帝国政府の敗戦までの政治政策はすべて正しいという認識なのである。そして、特に侵略戦争の指導者(皇族や職業軍人)に対し公然と敬意を表し顕彰できるようにする事を願っているのである。極端に言えば、近い将来「靖国神社」において実施したいと考えているのである。しかし、それは明らかに敗戦後の今日の日本国憲法の価値観とはまったくかみ合わないものである。しかしそれでも、安倍首相は望みを捨てず、外見は追悼式としているが式辞の中身は巧妙に顕彰式にすり替えているのである。その理由はほかでもなく、自民党憲法改憲草案で公表しているように、現行の日本国憲法に基づく国家体制は神聖天皇主権大日本帝国政府が望んだものではなく、やむを得ず受け入れたものであって、歴代の自民党政権はもちろん安倍自民党政権としても断じて否定すべきものとし、敗戦までの天皇主権大日本帝国国家体制への回帰を目論んでいるからなのである。

 また、今日の「平和と繁栄」が「戦没者のおかげ」で築く事ができたという論理を使用しているが、全く別の事柄を無理やり関連付けており、これは日本国憲法の趣旨をみても、筋の通らないこじつけでありまったく正しくない間違ったものである。にもかかわらずそのような言い回しをするのは、国民が享受しているように思い込ませる事と、それによって政府に戦争責任は問えないという意識を培う事によって、責任追及を回避するためであり、侵略戦争を正当化する意識を培養するためである。

 また、「平和と繁栄」の意味内容が、日本国憲法を尊重する国民と、大日本帝国憲法に基づく安倍自民党政権とは異なっているという事にも気づくべきである。安倍首相は自己の意味内容とその論理とを国民全体の常識となるように浸透させる狙いがあるのである。日本国憲法を尊重する国民はそれに騙されてはいけないのである。

 それはどういう事かというと、安倍自民党政権としては、朝鮮戦争やヴェトナム戦争への関与について、さらに沖縄県の処遇米軍基地政策に関して、「戦後、我が国は(歴代の自民党政権は)、一貫して、戦争を憎み、平和を重んずる国(政党)として」歩んできた、そしてその政策は「世界の平和と繁栄に力を尽くしてきた」と、政策の正当性を主張しているという事なのであり、その主張に対する国民の支持を培っているのであるそのような考え方歴史認識をしているため、当然ながら「私たち(安倍自民党政権)は、歴史と謙虚に向き合いながら、どのような時代であっても、この不動の方針を貫いてまいります」というこれまでの政治政策に一点の誤りもなかったような独善的な決意表明の言葉となっているのである。

 そして今後も、安倍政権の価値観に基づいた「世界の平和と繁栄に貢献」するとし、「今を生きる世代、明日を生きる世代のため、希望に満ちた明るい未来を切り拓いていく事に全力を尽くす」としているのである。この言葉のうちには、辺野古新基地建設の正当化も含んでいるのである。だから、憲法を尊重する国民は、安倍首相の式辞に対して、細かくしっかり批判非難をしなければ、安倍自民党政権はますます驕り高ぶり独裁姿勢を強めるだろう。

 


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