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ヒトラーの首相就任後初の3月5日総選挙戦での民主的政党に対する攻撃手口

2023-05-09 18:26:57 | ワイマール共和国

 1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領はアドルフ・ヒトラーを首相に任命した。ついで、2月1日、大統領は国会解散に署名し、閣議は総選挙の投票日を3月5日と決定した。

 ヒトラーは選挙戦に突入するにあたって、首相就任以来、気になっていたゼネストの恐怖を解決するため2月3日、閣議を開き、「ゼネストを萌芽状態のうちに摘み取るべきである」と閣僚たちに「大統領緊急令法案」を提案し承認を迫った。2月4日には、ヒンデンブルク大統領が「ドイツ国民の保護に関する大統領緊急令」に署名した。

 これにより、国家機関は、公共の安寧が直接的に脅威にさらされるような場合、国家の死活にかかわるような重要な事業所でのストライキおよび政治集会デモを禁止し、かつ社会の安全と秩序を損なうような内容の印刷物を押収、または一定期間の配布を禁止する権限をもつ事になった。この緊急令は、解釈自在のつかみどころのない規定であったため、最初は標的とされた陣営に対してであったが、やがては国内の言論の自由を破壊し尽くし、政府に対する反対者や批判者は根こそぎ排除される事となったのである。

 また、ヒトラー内閣支持を明確にした産業界からの献金により、ナチ党の選挙マシーンは、これまでナチ党員が経験した事のない活気を見せた。例えば、ゲーリンクのプロイセン州における手口は、プロパガンダテロ、つまり反対党を徹底的に攻撃するとともに国家機関を反対党弾圧の手段とするという巧みな混合戦術であった。それにより反対党を封圧する一方で、有権者を威嚇して従来からの支持政党へ1票を投じるのを断念させようというわけである。ゲーリンクが発する布告訓令で、プロイセン州内の県知事郡長たちは「国粋主義的」な政党のみを支持しなければならない事をほのめかされた。

 2月17日付のプロイセン州警察官に対するゲーリンクの布告では、「国家に敵対する組織を駆逐するためには、最も峻厳な手段で当たる事」とし、必要であれば銃器の使用も認めた。またゲーリンクは、「任務遂行のため銃器を使用した警察官は、その結果について顧慮する必要のない事を保証する。他方、結果を慮って銃器使用を拒む者は、服務規律違反で処罰される事を覚悟せねばならない」と指令した。さらに、2人の「特命委員」を任命し、警察官が指令通りに民主主義政党のささいな選挙違反も厳しく取り締まっているかどうかを監視させた。

 2月22日にはゲーリンクは、SAをはじめSS、鉄兜団の隊員たちを「補助警官」として採用する命令を出し、テロ行為を開始させた。彼らに対し、共産主義に対する闘争は警察的手段だけでは不十分であり、自らの手で自らを防衛しなければならない、と呼びかけ、民主主義政党の選挙運動に路上で襲撃させ、選挙集会に殴り込みをかけさせたのである。

(2022年10月30日投稿)

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