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ワイマール民主主義の弱点と今日日本の野党の状況

2024-12-30 12:59:11 | ワイマール共和国

 今日、岸田自公政権に対して、野党が結集できない状況を解消するためには、時代は異なるが、かつてのワイマール共和国が崩壊しヒトラー政権の独裁を招く政治状況から、なにがしかの学ぶべき教訓を見つける事ができるのではないだろうか? 以下に、ハインツ・ヘーネ著『ヒトラー独裁への道 ワイマール共和国崩壊まで』の一部を紹介しよう。

「1933年1月31日、アドルフ・ヒトラー首相に就任した。その際、社会民主党幹部会のメンバーたちは、反ナチ統一行動に共産党を加えるべきか否かをめぐって思案に暮れていた。前日、ドイツ共産党の幹部ワルター・ウルブリヒト(共産党国会議員。ヒトラー政権後モスクワに亡命。戦後帰国して東独国家評議会議長)が社会民主党に対して、共産主義と社会主義の全勢力が結集して共同でゼネストを決行するよう申し入れてきていたし、リューベックではすでに両者による統一ストライキが決行されていた。だが、社会民主党指導部はウルブリヒト提案を拒否した。理由は、共産党側が両党和解のための「不可侵協定」を受け入れようとしないためという、従来の主張に沿ったものであった。(両党和解の予備交渉は前年、駐ベルリン・ソ連大使館で社会民主党側から党機関紙編集長のシュタンプファーが出席して行われたが、協定調印に至らなかった)。社会民主党は、この不可侵協定という踏み絵を突きつける事によって、これまで敵対関係にあった共産党との統一行動に踏み切るかどうかを決めようとしていたのである。協定によると、共産党は「社会主義ファッショ」などという社会民主党に対する憎悪に満ちた宣伝を中止する事が義務づけられていた。

 こうした共産主義者と社会民主主義者の兄弟げんかこそ、ワイマール共和国の民主主義の大きな弱点の一つであった。両者とも互いに相手をナチス以上に悪質な敵だと罵り合っていた。片や共産党が中身のない革命熱に浮かされて、社会民主党を反動勢力とファシズム勢力の先駆け役を果たしているとして敵視すれば、一方の社会民主党指導部は党内左派勢力を共産党に浸食されまいとして、声高に反共主義を叫んで敵対する、といった具合である。両党の敵対関係を物語る典型的な実例にこんなものがある。1928年から30年にかけての社会民主党首班内閣の際、国内の過激派の動向についての内相報告では、いつも監視対象は共産党であって、ナチ党を対象にした事は1回もなかった。そんな状況だから、社会民主党指導部はウルブリヒト提案に同意する気になれなかったわけである。」

(2022年10月4日投稿)

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