国際連合は、1年のうち多くの日を「国際デー」に制定している。そして、明日は、「国際寛容デー」としている。2013年の事務総長のメッセージでは、以下のように呼びかけている。
「全世界の国々やコミュニティが、深刻で長引く経済、社会、環境の課題に直面しています。貧困、飢餓、病気は許し難い水準に高止まりしています。あらゆる地域で気候変動の影響が見られています。自然災害は常に、人の脆さを露呈させています。紛争やコミュニティ間の緊張状態も世界各地で続いています。数百万人が毎日、暴力と強制退去の脅威にさらされています。
こうした多面的で相互に関連する課題を個別に解決する事は不可能です。様々な民族と文化の共同体として、人間としての連帯感を高め、同じ運命の共有を認識しない限り、私たちの前進はあり得ません。寛容が大切な理由はそこにあります。
寛容は受動的なものではありません。特に意見の違いがある場合には、相互の理解と尊重に基づき手を差し伸べるという能動的な選択が必要です。寛容とは、私たちの多様性が強みであり、すべての社会にとって創造性と再生の源泉であるという認識に他なりません。
寛容を学ぶ事は可能であると同時に、義務でもあります。私たちは少年少女に、いかに共生すべきかだけでなく、グローバル市民としていかに手を携えるべきかを教える必要があります。議会から遊び場に至るまで、文化的な理解と尊重を推進する事により、寛容を育む事も必要です。格差の広がりに対処し、ジェンダーや障がい、性的嗜好、民族的または宗教的背景に基づく社会的疎外を排除する必要もあります。
寛容は平和と和解にとって最強の武器です。急激な、しばしば対応に戸惑う変化が訪れている時代に、その重要性はかつてなく高まっています。今年の「国際寛容デー」にあたり、私は各国とコミュニティの指導者、そして従来のメディアやソーシャル・メディアを通じ、また仲間内で影響力を行使するすべての人々に対し、平和で持続可能な未来を目指して同じ旅を続ける私たちを結びつける絆として、寛容を受け入れるよう呼びかけます。」
しかし今年も明日に迫っているが、残念ながら、日本のメディアは日和見の姿勢を続け安倍政権に翼賛的で、国民に対して「国際寛容デー」をまったく報道していない。国民はこのような国連の「国際デー」やその「催し」に対して、自主的に関心を持ち、草の根行動の重要性に目覚め大切にし世論の本流にしていくべきだと思う。
(2016年11月15日投稿)