■魂の兄弟たち / Carlos Santana & John McLaughlin (Columbia)
1970年代前半のジャズ喫茶で困り者の存在が、ジョン・マクラフリンという英国出身のギタリストでした。
それはトニー・ウィリアムスやマイルス・デイビスをロックで毒した張本人であり、また超絶技巧に支えられたジャンルに拘泥しないギタースタイルは恐れられ、結果的には発売される作品群の凄さは分かっていても、ジャズ者には到底、受け入れられないというか、受け入れてはならない雰囲気が確かにありました。
しかしロックファンやロックからジャズへと流れて来たリスナーにとっては、ジョン・マクラフリンこそが、その最良の水先案内人であり、時代の先端を代表していたマイルス・デイビスの「イン・ナ・サイレントウェイ」や「ビッチェズ・ブリュー」、または「ジャック・ジョンソン」あるいは「ライブ・イヴィル」あたりのジョン・マクラフリンが参加した人気問題作を当然のように聴く事が出来たわけですし、トニー・ウィリアムスの「ライフタイム」も、また然りでした。
もちろん、それゆえにイノセントなジャズ者になるほど、拒否反応も強くなっていたんですよねぇ……。
そして、あろうことか、そのジョン・マクラフリンが、これも当時の人気ギタリストであり、ラテンロックという大衆路線でヒットを連発するサンタナを率いていたカルロス・サンタンとの共演アルバムとして、ジョン・コルトレーンの犯すべからずの世界だった「至上の愛」をやるというのですから、穏やかではありません。
一方、カルロス・サンタナは既に述べたように、自らが率いるサンタナによって、ラテンロックという金脈を握りながら、しかし本人は自己の音楽性の礎のひとつでもあったジャズへの拘泥と精神世界への覚醒があったと言われてますが、告白的に少しずつ表出させていた所謂スピリッチャルジャズへの傾倒をついには隠そうとしない演奏をやるようになり、それは1972年に発表した畢生の傑作アルバム「キャラバン・サライ」に結実していました。
ですから、我国の洋楽マスコミではジョン・マクラフリンとカルロス・サンタナが共演アルバムを出すというニュースも、人気ギタリストとしての地位を既に確立していたカルロス・サンタナの視点から報道され、これは絶対に凄い作品に違いないっ!
そういう確信的な予測をファンに与えていたのです。
それが1973年に発売された本日ご紹介のアルバムで、「Love Devotion Surrender」とされた原題を「魂の兄弟たち」とした日本語タイトルが、やはり馴染み深いんじゃないでしょうか。
演奏メンバーはカルロス・サンタナ(g)、ジョン・マクラフリン(g,p)、ラリー・ヤング(key)、ダグ・ローチ(b)、ドン・アライアス(ds,per)、ビリー・コブハム(ds,per)、ヤン・ハマー(per)、アルマンド・ペラーサ(per)、ミンゴ・ルイス(per) という、まさに震えが止まらないほどの強者揃い!
しかし、それにしも表ジャケットに写るカルロス・サンタナとジョン・マクラフリンの佇まいは、どうしてもジャズやロックのミュージャンには見えません。さらに裏&中ジャケットには、主役のふたりが当時帰依していた宗教家のスリ・チンモイ導師と撮った写真も使われているとおり、既にして精神世界の表現を狙っていることが、良くも悪くも感じられます。
ところが音楽ファンにとっては、そうしたマイナス要因ともなりかねないポイントが、ジョン・コルトレーンの十八番を演じるという免罪符によって、プラスのベクトルに転換しているのですから、事は重大です。
特にイノセントなジャズ者にとっては、心中如何ばかりか……!?
A-1 A Love Supreme / 至上の愛
いきなり左右のチャンネルで唸る激烈なエレキギターのアドリブフレーズから、あの印象的なペースリフのイントロが導き出される展開に、思わずゾクゾクさせられるでしょう。
そして意外なほどシンプルなテーマの提示から、右チャンネルにはジョン・マクラフリン、左チャンネルにはカルロス・サンタナという定位によって繰り広げられるギター合戦こそ、当時のロックファンやロックジャズの愛好者が特に望んでいたものです。
これが実に分かり易いんですよねぇ~♪
また、それゆえにジョン・コルトレーンを神格化し、崇め奉る一部のジャズ者には、決して許せない邪道であるとの推察も容易です。
このあたりは当時のジャズマスコミでは、半ば無視状態であったように記憶していますし、逆にロック系の雑誌では、かなり意気軒昂な報道があった気がしています。
ただ、何れにしても、ここに聴かれる演奏の魅力は、好きな人には好きとしか言えない純粋さが確かにあると思いますし、サイケおやじはリアルタイムから、そのひとりでした。
A-2 Maima / ネイマ
う~ん、これも頑固なジャズ者にとっては許せない演奏になるんでしょうか……?
ジョン・コルトレーンの演目ではお馴染みの静謐なオリジナルメロディが、ジョン・マクラフリンとカルロス・サンタナのアコースティックギターによって、なかなか神妙に奏でられるのですが、3分ちょっとの中に必要以上に漂う宗教色が気にならないこともありません。
しかし、それでも次の演奏に繋がるタイミングを鑑みれば、これはこれで秀逸だと思います。
A-3 The Life Divine / 神聖なる生命
で、これがひたすらに熱くて過激なロックジャズの決定版!
ジョン・マクラフリンのオリジナルという事になっていますが、ジャズやラテンやロックの混濁したビートを土台に、多重録音したと思しきエレキギターのアドリブソロが縦横に暴れるという展開は痛快至極♪♪~♪
特にカルロス・サンタナが十八番のトレモロピッキング系フレーズを噴出させる前半から、官能美を滲ませる中盤での執拗に絡み合い、そして後半でアグレッシヴに爆発するジョン・マクラフリンの力技というコントラストが、本当に凄いです。
また絶対に難しい事はやらないと決意しているようなリズム隊の潔さも最高でしょうねぇ~♪ それがあればこそ、終盤でのギターバトルや御詠歌っぽいコーラスも、イヤミな混乱を感じさせないのだと思います。
ただし、そのあたりは真性ジャス者がツッコミを入れるに充分なスキという感じも……。
B-1 Let Us Go Into The House Of The Lord / 神の園へ
そしてB面が、これまたハイテンションなスタートで、いきなり中央で熱い精神感応的なギターソロを炸裂されるのはカルロス・サンタナでしょうか? とにかく独得の官能美を暑苦しさを交えながら表現してくれるのは圧巻!
さらにそれが待ってましたのラテンビートを従え、天空に飛翔していく次なる展開には、ファンならば思わず惹きこまれるツボが満載で、あのトレモロピッキングで上昇していく十八番のフレーズから、これまた前作「キャラパン・サライ」でのハイライト曲だった「風は歌う」のメロディを引用したアドリブ構成、そこで存分に泣かせるサンタナのギターの魔法が堪能出来ますよ♪♪~♪
あぁ、それにしてもアップテンポで飛び交うラテンビートの快楽性は良いですねぇ~♪
そしておそらくはラリー・ヤングのスペーシーなオルガンアドリブから、いよいよ登場する過激なジョン・マクラフリンの無差別攻撃的なギターの怖さは、決して一筋縄ではいきません。スパート全開の早弾きや幅の広いチョーキングの妙技は、もはや神の領域云々という世界ではないでしょうねぇ。
まさにジョン・マクラフリンの現人神的な存在証明といっては不遜でしょうか。
もう、そんな風にしか思えないサイケおやじの感性は、当時も今も変わっていません。
演奏はその後、終盤にかけてサンタナ対マクラフリンという、魂の兄弟が絶対的な協調と自己主張を披露し、存分な思わせぶりを悔しいほどに演じるエンディングへと流れる、これは見事な大河ドラマなのでした。
B-2 Meditation / 瞑想
オーラスは前曲からの自然な繋がりが好ましいジョン・マクラフリンのオリジナル曲で、静謐なムードが横溢したアコースティックギターとピアノによる演奏です。
正確なクレジットが無いので、確証はありませんが、おそらくはギターがカルロス・サンタナ、ピアノがジョン・マクラフリンということなんでしょうか?
まあ、結論から言えば、そんな瑣末な事は意識せず、自然の流れの中で彼等の音楽に身を任せるのが正解なんでしょうねぇ~♪ 実際、伝承のメロディを基本に魂の兄弟が白熱の競演をやってしまった「神の園」をクールダウンさせ、タイトルどおりに瞑想の世界へと導いてくれる名演だと思います。
ということで、今もって様々な物議を呼ぶ作品でしょう。
特に全篇に漂う必要以上の宗教的な香りは好き嫌いがあるはずですし、そこに神聖(?)なるジョン・コルトレーンの世界を持ち出されては、黙っていられない部分も否定出来ません。
しかしジョン・コルトレーンにしても、インパルス期には相当に宗教っぽい雰囲気を堂々と演じていましたし、それが所謂スピリッチャルなジャズとして評価され、人気を集めたと思われるのですから、ジョン・コルトレーンが良くて、サンタナ&マクラフリンがダメという論法は、多少の無茶でしょう。
唯一の攻撃材料としては、ロック野郎がジャズをやるんじゃねぇ!
そんなところかもしれません。
実際、某ジャズ喫茶のマスターは、「コルトレーンはロックなんかやらないっ!」と公言して憚らない態度が有名でした。
ただ、それにしてもサンタナはともかく、本来はジャズミュージシャンだったジョン・マクラフリンのジャズ喫茶での冷遇は、今日からは想像も出来ないほどの酷さで、自己名義のリーダー盤はもちろん、リアルタイムで人気が高かったマハビシュヌオーケストラのアルバムを鳴らす店なんか、少なくとも東京周辺にはほとんど無かったと思いますねぇ……。
ですから、このLPは、やっぱりギターアルバムの傑作としてロックファンに受け入れられ、これを契機としてマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンの諸作へ入門していく道程という存在なのです。
またカルロス・サンタナは以降、自らの方針に確信を得たのでしょうか、バンド名義では「ウェルカム」を、またジョン・コルトレーンの未亡人となったアリス・コルトレーンとの共演作を堂々と出していくのですから、その問題行動は流石でした。
というか、そういう居直りとは一概に決めつけられないカルロス・サンタナの我が道を行く姿勢が、その快楽性が魅力のギターを尚更に強調し、ファンを増やし続けているのだと思います。
もちろんジョン・マクラフリンにしても、以降の活躍は怖い部分を引っ込める事の無い潔さで、それには一般のジャズ者も敬服しているんじゃないでしょうか。
そんなこんながゴッタ煮となって、しかも素材の味が疎かにされていない「魂の兄弟たち」というアルバムは、決して忘れられないというファンが多いと確信しています。