OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ザ・サベージの真実とは何でしょう?

2010-11-26 15:34:35 | 日本のロック

いつまでもいつまでも / ザ・サベージ (フィリップス)

ベンチャーズを起爆剤としたエレキブームで洋楽へ本格的に目覚めたサイケおやじのような人種にとって、今日では一般的にGSグループと受け取られているサベージは、様々な意味で忘れ難いバンドじゃないでしょうか?

まず、サイケおやじがサベージを知ったのは、エレキブーム時代のテレビ人気番組だった「勝ち抜きエレキ合戦」と「世界へ飛び出せ」という、その両方のコンテストで見事に優勝したアマチュアバンドだったという、まさに驚愕の出来事からです。

しかも演じていたのが、決してベンチャーズというわけではなく、英国のシャドウズや北欧系インストのサウンズとかスプートニクスあたりの影響下にある、哀愁と翳りを滲ませた演目がメインでした。

これは現実的に、当時のサイケおやじも含めて、一般的なエレキファンにとっては、なかなか新鮮な印象だったんですよねぇ~♪ 同系のエレキサウンドを既に追及していたプロのシャープ・ファイヴに近いところにも、新しさを感じました。

ちなみにサベージというバンド名が、決して「野蛮」とかいう意味ではなく、シャドウズが十八番のヒット曲「Savage」から命名されたという真相も後に明らかにされ、実際、プロデビューした時のスマートで爽やかなバンドイメージは、絶対に「野蛮」ではありませんでした。

当時のメンバーは奥島吉雄(vo,g)、林廉吉(g)、寺尾聰(vo,b)、渡辺純一(ds) の4人組で、前述のコンテスト番組で優勝した賞品(?)として、なんとロンドンでのレコーディングも行われたという、実に華々しく売り出されたのですが、しかし実際にデビューシングルとして昭和41(1966)年夏に発売された本日ご紹介の1枚は、甘~いストリングが入ったベタベタ歌謡フォーク……!?

結局、サベージが如何に優れたエレキインストのバンドであったとしても、既に時代の流行は所謂カレッジフォークや加山雄三が先鞭をつけた和製ポップスへと傾きつつありましたから、この路線は決して間違いではなく、奥島吉雄と寺尾聰の爽やかなボーカル&コーラスも違和感が無く、見事な大ヒットになっています。

実は、これも後に知った事なんですが、前述したロンドンでのレコーディングの最中、正式なプロとして契約したホリプロが既にエレキインストは時代遅れという断を下し、急遽レコーディング内容が変更されたと言われています。

つまりサベージの面々は、憧れのロンドンで心行くまでシャドウズ系のインストを作るつもりが、突如して所属事務所とレコード会社から別な企画を押し付けられたという事なんでしょうねぇ。

デビューの楽曲そのものも、当時のホリプロが高く評価していた所謂元祖シンガーソングライターのひとりでもある佐々木勉(つとむ)が会心のオリジナルで、このヒット以降、サベージが発売するシングル曲のほとんどを担当していきます。

しかし、それでもB面は寺尾聰が作詞作曲したフォークロック系の佳曲で、かろうじてサベージ本来のシャドウズサウンドが滲んでいるところに救いがあるように思います。

こうしてサベージは幸先の良いスタートから、「この手のひらに愛を」等々のヒットを続けるのですが、やはりエレキバンドという本質から外れた芸能活動では、発売される歌と演奏の中で、どうにか響くエレキギターが虚しくなるなるばかり……。これは今でも聴く度にサイケおやじが強く感じる事で、おそらくはエレキインストで輝いていたアマチュア時代のサベージを知っている皆様にしても、同じ気持じゃなかろうか……? と推察しております。

で、そんなこんなから、結局は林廉吉と寺尾聰がほどなく脱退し、以降はメンバーが流動的となり、昭和42(1967)年末という、GS全盛期に解散したのがサベージの公式な歴史となっています。

しかしサイケおやじは、サベージという名前だけが受け継がれたバンドのライプに接した事があるんですよねぇ~。それは昭和44(1969)年春頃の事でしたから、これは如何にも芸能界的な営業上の理由だったと思われますが、真相は如何に?

ということで、サベージというバンドは今日の一般的なイメージ以上に、リアルタイムでは大きな存在感があったと思います。

そして今となっては、歌謡フォークにエレキサウンドで挑戦したという企画の面白さを、もっと本格的にやっていれば、和製フォークロックの本物になっていたと妄想するほどなんですよ。

それと最後になりましたが、この機会にど~しても書いておきたい事に、前述した佐々木勉(つとむ)の件があります。

既に述べたように当時、この人はフォーク&ポップスの俊英として注目を集めていたらしいんですが、もうひとり、同時期に頭角を現し、後に歌謡曲の例えば「別れても好きな人」や「3年目の浮気」等々を書いた佐々木勉(べん)というソングライターが存在し、サイケおやじは、てっきり同一人物と思い込んでいたんですが、実は別人だそうです。

う~ん、芸能界の不思議は本当に、いつまてもいつまでも、ですね。

コメント (4)
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