OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

好きと言える先生は…

2016-12-04 17:04:31 | 日本のロック
ぼくの好きな先生 / RC・サクセション (東芝)
 
近年、教師の不祥事や犯罪等々が報道される事は珍しくもありませんが、それにしても先日の新潟で発生した小学校のイジメ問題における事例には唖然とさせられました。

あえて詳細は述べるまでもないとは思いますが、とにかくイジメの被害者たる生徒から相談され、助けを求められている担任教師が、イジメの加害者と共謀したに等しい言動云々では、もはや常軌を逸しているでしょう。

しかも問題が公になると見え透いたオトボケから見苦しい言い訳を弄し、文部省や教育委員会が動き出しての生徒聞き取り調査が行われるや、今度は一転しての謝罪も、その誠意なんか伝わらない事を明白に自覚しての雲隠れですから、これじゃ~、マスコミの前で状況説明をさせられた教育委員会の面々が如何にも不満そうで煮え切らなかったのも、やるせないばかりですよっ!

弱い者をさらに傷つけるような奴は教師なんかになるんじゃ~ねぇっ!

とサイケおやじは声を大にするわけですが、その根底には教員資格取得の安易さ、しかし実際に奉職するにはコネが無ければ非常に難しいという現実があると思うんですが、いかがなものでしょう。

そして当然ながら、そんなこんなの学校にるおける事件が発生すると、必ずや国会の場でも問題提起されながら、そんな時に限って、日頃文句を言い放つのが仕事と決め込んでいる野党、特に日教組を支持母体にしているところがダンマリというんじゃ~、あまりにもコネ太郎が教師の本質と暗黙の了解を求めているわけです。

しかし、振り返ってみれば、サイケおやじが青少年時代に接して来た多くの教師の中で、本当に尊敬出来る先生、好きな先生は極僅かだったのも確かです。

まず、小学校3年生の担任だったS先生は、まさに昔風に言えば「訓導」と呼ぶに相応しい様な、とても「人の道」を大切にする教育に徹していたと今は思いますが、リアルタイムでもハートウォームな態度で生徒に接し、貧富の差や学力の優劣よりも大事な何かを自然に教えてくれていました。

ですから、生徒にも父兄からも人気と信頼を集めていましたし、普通よりも早く教頭や校長に栄進していったのも当然だったんですが、それでも人の運命は分からないもので、退職直後にアル中の徘徊老人を轢き殺すという交通事故をやらかし、以降は自宅で謹慎の日々……。決まっていた叙勲も無かった事にされ、さらに数年後には孤独死という、その経緯と顛末を知らされたサイケおやじは、言葉に出来ないほどのせつなさを感じましたですよ。

また、もうひとり、高校の時に生物を教えてたT先生も忘れ難く、何時もよれヨレヨレの白衣とだらしない髪型、安物のネクタイばっかりが目立つという風采の良くない人物ではありましたが、なかなか本音で生徒に接していたところがサイケおやじは大好きでした。

もちろん、校内教職員の中でも浮いていたのは隠し様も無く、教務室では無くて、理科準備室に自分の机を置かされていたという冷飯待遇にも、かえってそれが自分には合っているという態度でしたからねぇ~~。そんなところでタバコを吸いながら、授業のプリントを作っている事もあれば、週刊誌を読んでいる時もあり、プロレスが好きだったことから、気さくに生徒と「昨日の試合は!?」なぁ~んていう会話もするほどでしたから、サイケおやじもすっかり年上の友人みたいに思っていましたですよ。

それはなんとなく、RC・サクセションが昭和47(1972)年にヒットさせた本日掲載のシングル盤A面曲「ぼくの好きな先生」にリアルタイムで重なる思い出でもあります。

ちなみに説明不要とは思いますが、当時のRC・サクセションは忌野清志郎(vo,g)、小林和生(vo,b)、破廉ケンチ(vo,g) から成るフォークロックスタイルのグループで、折しもブームになっていた歌謡フォークの中でもアングラ系ではありましたが、この「ぼくの好きな先生」は存在感を確立した初期の代表曲ですから、皆様も一度は耳にしているにちがいありません。

ということで、所謂「反面教師」という言葉もあるくらいですから、教師は何も聖職である必要は無いと思いますが、決して安定した職場を求めんとして就く仕事でもありません。

ですから、ある意味ではピュアなハートと義理人情に篤い行動が求められる立場であり、非常に難しい仕事だというのが本当かもしれないのです。

時には、どんなに真面目にやっていても、偽善者という烙印を押されかねない立場でもあり、下手すりゃ~裁判沙汰に巻き込まれる恐れさえあるんですから、気楽にやれる商売と思ったら大間違いと思うのはサイケおやじだけでしょうか……。

そうそう、最後になりましたが、もちろんサイケおやじの事ですから、大好きだった女性教師も幾人かおりまして、特に高校の時に地学を教えていたK先生は何時もミニスカ気味のファッションで、当然ながら美脚が魅力♪♪~♪ 実は既に人妻だった事もあって、そこはかとないフェロモンを滲ませていましたから、サイケおやじは様々な妄想に苛まれていましたですねぇ~~♪

そして幸運にも、たった一度だけ、瞬間的なパンチラシーンを目の当たりにした僥倖もあり、そのベージュ色のデルタ地帯は今も脳裏に焼き付けられているのでした。

あぁ~、ぼくの好きなぁ~先生ぇ~~♪
コメント (1)
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