OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

山下達郎との出会い

2020-08-19 19:56:56 | 山下達郎

DOWN TOWN / シュガーベイブ (ナイアガラ / エレック)

それはサイケおやじが希望に燃えて(?)の学生生活をスタートさせたばかりの昭和49(1974)年5月中頃、なんとか入れてもらったバンドの先輩から、「ビーチボーイズ、好きだったよねぇ~」と声を掛けられ、手渡されたカセットテープが、今となっては最初の出会いでありました。

それは無造作に「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」とラベルに書かれただけのコピーカセットでしたから、おそらく件の先輩がサイケおやじの趣味性に合わせて作ってくれたビーチボーイズの選曲集かと思ったので、何を今更……? だって、「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」はサイケおやじの愛聴盤であるビーチボーイズの「サンフラワー」に収められている大名曲ですからねぇ~~! そんな生意気な気分も打ち消せないまま、とにかく自宅で再生してみたら、これが吃驚仰天!

なんとっ!

何処の誰かは知る由もなかったんですが、ちゃ~んとファルセットやベースパートまで歌ったハーモニーコーラスを使うビーチボーイズ系がモロのボーカルグループが、そのビーチボーイズやエヴァリー・ブラザーズ等々のオールディズヒットを演じていたんですねぇ~~!

それも、見事にっ!

もちろん、これは皆様ご存知のとおり、山下達郎がアマチュア時代に仲間達と自主制作したLP「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」からコピーされた音源だったわけですが、そんな事は当時のサイケおやじには知る由もなく、当然ながら、後に日本の歌謡界に大きな足跡を残す山下達郎という偉人の存在についても、また然り!?

ただただ、この世の中には奇特な趣味人が居るんだなぁ~~、なぁ~んていう驚きと羨ましさに気持ちが揺れ動かされましたですねぇ~~♪

ちなみに説明不要かもしれませんが、件の自主録音された各楽曲は、きっちりとボーカル&演奏パートがステレオミックスされ、ダビング作業も丁寧に行われているあたりは、所謂「宅録」でありながら、極めてプロ意識(?)が高く感じられ、それは後に知った事ではありますが、その頃にヤマハから発売されていた簡易汎用ミキサーが使われていたというのですから、やっぱり成功する人は最初っから本格志向だったと感服するばかりです。

そして、そんなこんなの感想と感謝御礼を先輩に伝えたところ、件のLPは既に2年前に製作販売されていながらも、あんまり実売数は無かった様で、その先輩にしても知り合いからの貰い物だったそうですが、山下達郎が人気を集めて以降はファンクラブでも販売されているので、気になる皆様は、一度は聴いてみる価値があろうかと思います。

閑話休題。

しかし、既に述べたとおり、それが山下達郎との最初の出会いだったとしても、サイケおやじが山下達郎という名前を意識的に確認するに至ったのは翌年初夏の事でした。

それが本日掲載したシングル盤A面曲「DOWN TOWN」で、とにかく最初にラジオで聴いた瞬間、流れて来たイントロが、その頃のサイケおやじが夢中になっていたアイズリーズの傑作アルバム「3+3」に収録されている「If You Were There」にクリソツ! しかも曲全体から如何にもの影響が濃厚に感じられたのですから、たまりません♪♪~♪

率直言って、リアルタイムの我が国じゃ~、アイズリーズはロックをやっている黒人グループみたいな受け取られ方さえあったほどの継子扱いでしたから、そんな雰囲気の楽曲を日本語で演じているシュガーベイブって、何処のだぁ~れ!?

そんな興味津々に突き動かされ、ゲットしたのが掲載の私有盤というわけなんですが、もちろん、この名曲名演にしても、リアルタイムじゃ~ヒットしたどころか、マスコミ的には注目されるまでは至らず、どうにか大瀧詠一が子飼のバンドらしいという存在感がやっとだったという気がしています。

しかし、同時期に発売されていたシュガーベイブのLPは殊更アメリカンポップスをメインに好む洋楽マニアには評判になっていた様で、そこには業界の一部からの熱烈な支持もあったもんですから、サイケおやじとしても前述したとおり、大好きなアイズリーズ系のバンドという認識に縋りつつ(?)、今となっては唯一残された公式アルバム「SONGS」をゲットし、ここでようやく山下達郎に辿り着いたというわけです。

で、本日のお題となったシングル曲「DOWN TOWN」は、そのLPのA面の2曲目にも収録されていたんですが、一聴してアルバムとシングル盤では曲の印象が妙に違っているあたりが気になりましたですねぇ……。この感覚は今でも不思議なんですが、最初に聴いていたシングル盤の「DOWN TOWN」が発売された昭和50(1975)年にしては珍しいほどのモノラルミックスで、厳密に聴けば、完全なるモノラル仕様では無いとは思うんですが、だからこそ、アルバムに収録された「DOWN TOWN」のチープなステレオ感が逆に疑似ステレオっぽく聴こえてしまったというのが、素直な感想です。

このあたりはプロデュースを担当した大瀧詠一の如何にもの趣味性がモロに出たのかもしれませんが、それを許容した作詞:伊藤銀次&作曲:山下達郎のソングライターコンビの意図も、当時は測り難いものに思えましたですねぇ……。

ちなみに演じているシュガーベイブは前述したアルバム裏ジャケのクレジットから山下達郎(vo,g,key,per.etc)、大貫妙子(vo,key,etc)、村松邦男(vo,g,etc)、鰐川己久男(vo,b,etc)、野口明彦(ds,per,etc) というのが基本メンバーだったらしく、そこへ上原裕(ds)、木村真(per)、布谷文夫(vo)、そして大瀧詠一(vo) が加わってのレコーディングが実相だったらしいんですが、サイケおやじが唯一接した彼等のライブギグでは、メンバーチェンジが行われていた様で、それについては追々に記する所存ですので、本日はここまでとさせていただきます。

皆様ご存知のとおり、リアルタイムではアルバムもシングル曲もヒットしなかったのは、やはり制作が大瀧詠一の個人レーベル「ナイヤガラ」であり、発売元がこれまたインディーズの「エレック」だったという現実がある事が否定出来ません。

特に当時、発売元の「エレック」は昭和45(1970)年から吉田拓郎の初期作品群を製作発売した事から急速に大きくなった活況も今や昔、放漫経営の果てに吉田拓郎や泉谷しげる等々の看板スタアに逃げられ、事実上倒産していたというのですから、こ~ゆ~ところも所謂名盤誕生に纏わる伝説といえば、贔屓の引き倒しでしょうか……。

しかし、後に知ったところでは、シュガーベイブは山下達郎の完全なるワンマンバンドだったらしく、そのレコーディング現場の仕切りも比較的自由に行えたというのは、発売元の不安定な状況が逆に良い方向へと作用していたと思うのはサイケおやじの妄想と暴言かもしれませんが、今となってはルーツ・オブ・ニューミュージックの傑作が、この「DOWN TOWN」と思うばかりです。

ということで、まだまだ山下達郎については書き足りず、またサイケおやじの稚拙な文章力では、とてもとても全てを正確に書き記す事も出来るとは思いませんが、とりあえず本日は、山下達郎との出会いについて、サイケおやじの原体験を皆様にご一読していただきまして、心から感謝申し上げます。

う~ん、あの日は遠くなっても、忘れられないのでした。

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2 コメント

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感謝です (サイケおやじ)
2020-08-22 07:24:13
☆腰痛持ちの又三郎様
ご指摘ありがとうございます。
訂正させていただきました。
これからも、よろしくお願い致します。
返信する
Unknown (腰痛持ちの又三郎)
2020-08-21 23:27:12
松村邦男さんではなく村松邦男さんですね。
返信する

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