OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

敬老されるには早過ぎる思い出

2014-09-14 15:10:55 | Singer Song Writer

教訓1 c/w ゼニの効用力について / 加川良 (URC)

サイケおやじが高校生の頃は歌謡フォークが全盛だったので、とりあえずも校内同好会で矢鱈にエレキのバカ大将をやろうとしていたトホホな話は拙ブログでは何度も書いてきましたが、中でも一番に苦しめられた(?)のは、やはり仲間内の意見の相違でありました。

つまり平たく言えば、一応はロックバンド形態で演じる選曲の問題で、リーダーシップを握っていた上級生ボーカルの先輩は日本語を歌いたがり、対して実質的に音楽面をリードしていたベースの先輩は大反対!

ということは、ロックはあくまでも英語!

そこに拘るのが当時は主流派と思い込まれていましたから、サイケおやじはそっちに従う立場だったんですが、流石に昭和47(1972)年の秋ともなれば、日本語のロックも容認せざるを得ない状況になっていたのは、やはり歴史というものでしょうか。

しかしブームとはいえ、それがロックを標榜していたとしても、日本語を歌っていれば「フォーク」という扱いだったのが当時の常識であり、今や「日本語のロック」の先駆者として偉大な評価のはっいえんどが堂々の「フォークグループ」という括りになっていた事は消し去れるものではありません。

ですから、例え高校生のバンドであっても、ロック志向があればこそ、少しでも硬派なものをやらなければ軟弱のレッテルは免れない!?

そういう過剰な自意識が少なくともサイケおやじの周辺にあったんですよ。

で、喧々諤々の論争(?)を経て選ばれたのが、前年に発売された本日掲載のシングル盤収録の2曲でありましたが、ご存じのとおり、それを自作自演した加川良は所謂アングラフォークの人気者として、同系高田渡の影響下にある才人だったんですが、吹き込まれたレコードは決してアコースティックギターの弾き語りによる私小説な歌ばっかりではなく、きっちりバンド形式のバックがついたハード&シニカルな表現は、なかなかロックの本質も滲ませていたと思いますし、だからこそサイケおやじも同好会のバンドでやる気になったわけです。

なにしろB面曲「ゼニの効用力について」は、はっぴいえんどがバックを務めた完全なロックであり、突進力の効いたビート感や鈴木茂による鋭いギターワークは最高にエキサイティング!

加川良のボーカルもエグ味と自嘲のバランスが素晴らしい限りですから、前ノリ気味に気持ち良く(?)歌うボーカルの先輩に負けじと、今これを書いているサイケおやじも必死で件のギターフレーズを練習した若き日々が蘇ってまいります。

そして一方、「教訓1」はフィドルやバンジョーも入った、如何にも当時の流行最先端だったカントリーロック仕様の名曲で、

 青くなって しりごみなさい にげなさい かくれなさい

と教えてくれる加川良の歌詞には、人生の真実のひとつがあるのは本当だったなぁ~。

すっかり初老の域に足を踏み入れてしまったサイケおやじは今、シミジミと感慨に浸っているわけですが、その頃には楽器を揃えられずというよりも、仮に揃えたとしても扱えなった所為もあり、単調なフォークロックでしか演じられなかったのは残念……。

しかし、それでも自分達は各々が満足していたんですよ♪♪~♪

ところが学校側の顧問の教師からは、

 君等はもっと前向きな歌をやれんのかね

云々諸々を指導(?)されるというテイタラク……。

 先生、今はそんな時代じゃ~、ないですよぉぉぉ~

と、バンド組一同は強く思っていたのでした。

うむ、明日は敬老の日かぁ……。

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