■春色のエアメール / 松本典子 (CBSソニー)
昭和の芸能界で殊更女性アイドルが激戦時代だった昭和60(1985)年、業界からの熱い期待を背に受けたようにレコードデビューしたのが松本典子だったと記憶しています。
なにしろ歌手デビューする以前から各方面で彼女の名前と存在は喧伝され、実際前年には女の子雑誌の「セブンティーン(集英社)」が主催したミス・セブンティーン・コンテストに勝ち抜き、CMにも起用されていましたからねぇ~~、トップアイドルへの道筋は、しっかり用意されたところでの最初のシングル曲が、掲載盤A面曲「春色のエアメール」でありました。
確か、郵政省とのタイアップ曲でもあったはずと思いますが、楽曲そのものも、当時のポップス系シンガーソングライターでは最高の評価を得ていた EPO(エボ)から提供された、これがアップテンポの明るいポップス曲でしたし、ストリングスを贅沢に使い、メリハリの効いたリズム隊を配した大谷和男のアレンジも分かり易いものでしたから、既に大ヒットは約束されていたはずが……。
で、結局はアイドル歌手としては特段のヒットも出せないまま、何時の間にかテレビのバラエティ番組で存在感を強めていくうちに引退・結婚されたわけですが、歌手としての松本典子はサイケおやじにとってはなかなか不思議なボーカリストで、それはスタジオできっちり作られたレコードよりも、ライブやテレビ出演時の生歌(?)の方が魅力的という事です。
このあたりは熱心な彼女のファンからすれば、サイケおやじの大いなる勘違い、あるいは的外れの認識と言われても反論さえ出来ないわけですが、それでもこの「春色のエアメール」にリアルタイムの販促イベントで接したサイケおやじが、外聞も憚らず、その場で買ったレコードを自宅で聴いた時の落差には、完全に???の気分でありました。
普通は逆ですよねぇ~、特に普通一般のアイドルの場合は!?
それはこのデビュー曲に限らないと思うのですが、いかがなものでしょう。
そしてその意味で、当時のライブステージに生で接したファンの皆様には、本当に幸せな思い出になっているんじゃ~ないかと、拝察する次第です。
ということで、本日は嬉しいことに「花見の宴」に誘われ、出かけたものの、残念ながら雨に祟られて、ちょっぴり残念でした。
でも、まあ、それも思い出のひとつとして、意想外な喜びになるのかもしれません。
この世界は大変に物騒になって来ましたが、今、ここにこ~していられる幸せは大切にしたいものです。