OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ラストダンスに辿り着き

2014-05-11 15:24:21 | Soul

ラスト・ダンスは私に / The Drifters (Atlantic / 日本ビクター)

さて、キング・トーンズによって、そのルーツたる黒人R&Bのコーラスグループに興味を惹かれたサイケおやじが、どうにか最初にゲットしたのが本日掲載のシングル盤でした。

それはもちろん中古だったんですが、何よりも手を出せたのは、A面収録の「ラスト・ダンスは私に / Save The Last Dance For Me」が知っている曲だったという事が大きいわけで、当然ながら越路吹雪の日本語詞バージョンに馴染んでいましたからねぇ~♪

だからでしょうか、結論から言えば、黒人グループが演じていながら、それは今日の一般的な認識による所謂黒っぽさとは無縁というか、そこには越路吹雪が歌っているのだから、それはシャンソンのカパーなのか?

なぁ~んていう、とんでもない勘違いの先入観念かサイケおやじにあったのは確かです。

さらにドリフターズの「ラスト・ダンスは私に / Save The Last Dance For Me」が、1960年に全米チャートのトップに輝くメガヒットになっていた事実を知ってみれば、その洗練されたボーカル&ハーモニーとサウンドの魔法が黒人音楽のひとつの魅力である事を認めざるを得ない気持にさせられました。

そして後追いで探索したドリフターズの歴史において、実はグループが初期のドゥー・ワップからポピュラー系コーラスのスタイルに変遷する過程には、メンバーチェンジとグループ名の権利諸々という音楽ビジネスの内幕があり、つまりは黒人音楽と言えども、世界的なヒットになる歌や演奏には、それが必須という真相には深いものを覚えましたですねぇ~。

なにしろ最初期のリードシンガーだったクライド・マクファターが在籍した1953~1956年頃でさえ、幾つかのヒットを放ちながら、本人が軍隊にとられた事から、その間にリードシンガーを含めて数次のメンバーチェンジがあり、ついには「ドリフターズ」というグループ名の使用権を持つマネージャーの画策(?)から、ベン・E・キングをリードシンガーに据えた新生ドリフターズの登場が、1959年と言われています。

で、既に述べた洗練されたスタイルは、当然ながらクライド・マクファター在籍時にも強く感じられますが、それがさらにモダンなフィーリングへと彩られたのがベン・E・キング加入後である事が、残された音源を時代順に聴けば納得でしょう。

しかし、この時代のドリフターズは決して白人音楽に迎合していたのではありません。

むしろ白人音楽へ与えた影響力の凄さこそをビートルズを筆頭とするブリティッシュピート勢の活躍の中に感じるのですが、いかがなものでしょう。

「ラスト・ダンスは私に / Save The Last Dance For Me」を書いたのはドグ・ポーマス&モート・シューマンという、アメリカの音楽史にその名を刻する偉大なソングライターコンビであり、プロデュースを担当したのが、業界では神様的な存在のジェリー・リーバー&マイク・ストーラーであれば、それが後年の美しき流れに連なっていくのもムペなるかな!

そうした脈流が根底にあってこそ、大ヒット曲の永劫性も証明されると思うばかりです。

ということで、いよいよサイケおやじは黒人ソウルグループを聴いていく、その端緒に巡り会えたわけなんですが、既にその頃にはウィルソン・ピケットオーティス・レディング等々の本当にネチネチのディープソウルが我国でもヒットしていましたから、ドリフターズあたりのレコードは軽くて、未だ夢中になれるものではありませんでした。

ところがそれでも気になってしまうのは結局、それだけキング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」の存在が強かったからという逆説に!?

そのあたりの続きは、追々に書かせていただく所存です。

 

 

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不思議を覚えたキントンに導かれ

2014-05-10 15:03:10 | 歌謡曲

グッド・ナイト・ベイビー / ザ・キング・トーンズ (ポリドール / 日本グラモフォン)

今となっては昭和歌謡史に残る大ヒット曲であり、至極当たり前に聴かれているキング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」も、しかしこれが最初に流行り始めた昭和43(1968)年末頃では、少なくとも少年時代のサイケおやじに大きな衝撃を与えた1曲でした。

だって、それまでの芸能界で男性コーラスグループといえばダークダックスやデューク・エイセスあたりの重唱系、あるいは東京ロマンチカのようなムード歌謡系が主流でしたからねぇ~、それに比べてキング・トーンズの発する妙に濁った感触は、何なんだぁ~~~!?

ってな、不思議に囚われてしまったんですよ。

ご存じのとおり、それは黒人音楽の中でもドゥー・ワップと呼ばれるコーラススタイルに基いていたんですが、既にその頃には黒人コーラスグループもテンプテーションズやフォー・トップス等々に代表されるソウルミュージックに変わっていた事もあり、サイケおやじはキング・トーンズに接する以前、そうした音楽形態があるなんて、知る由もありませんでした。

しかも当時の日本のレコード産業においては、本格的な黒人ドゥー・ワップ物は極めて少数しか出ていなかったんじゃ~ないでしょうかねぇ……。

正直、全く何を聴いていいのか、分からなかったんですから、キング・トーンズがリアルタイムでやっていた真意が、果たしてサイケおやじに理解出来ていたかも、心許ない限りです。

ところが、それでも「グッド・ナイト・ベイビー」が大ヒットしたのは、歌謡曲には必須の下世話さと黒人音楽特有の「泣きメロ」が上手く融合された結果なのかもしれません。

とにかく作詞:ひろまなみ&作曲:むつひろし、そして編曲:早川博二が目指した本物のR&B歌謡は、内田正人、成田邦彦、石井迪、加生スミオの顔ぶれからなるキング・トーンズによって、見事に結実したわけです。

特にリードを歌う内田正人は「スカイテナー」と称されるほどの澄みきったハイトーンボイスで、一度聴いたら「グッド・ナイト・ベイビー」を絶対に忘れられない印象へと導く必殺技でしょう。

ちなみに作曲したむつひろしは、和田アキ子の「どしゃふりの雨の中で」や町田義人の「裏町マリア」、浅川マキの「ちっちゃな時から」、石川セリの「八月の濡れた砂」及び同映画の劇伴奏サントラ等々、黒っぽい胸キュンメロディをどっさり書いていますので、要注意! 一説によると、この「グッド・ナイト・ベイビー」を作った頃はポリドールの洋楽ディレクターだったと言われています。

ということで、もしも「グッド・ナイト・ベイビー」に出会わなかったら、サイケおやじがソウルミュージック、殊更黒人コーラスグループのレコードに関心を持てたかは、なかなか曖昧な問題と思います。

それは実際、その頃の我国で流通していた、例えばドリフターズやブラターズあたりのヒット盤における意図的な白っほさに納得出来なかった結果にも明らかでしたし、いよいよ数年後に本格化するフィリー系ソウルの諸作に邂逅するまでの暗黒期(?)があればこそ、キング・トーンズが及ぼした影響の大きさは、相当に大きかったのです。

また、もちろん、さらに後年、シャネルズの登場によって我が国で本格化したドゥー・ワップの大ブームにしても、そこに至るR&Rリバイバルで注目されたアメリカのシャナナ以上に、キング・トーンズの存在が感じられたわけでして、サイケおやじは歌謡曲と黒人音楽の相性の良さを思い知らされたというわけです。

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有吉ジュンがくれたもの

2014-05-09 14:54:51 | 歌謡曲

あげるものはなにもない / 有吉ジュン (CBSソニー)

猫顔が好きなので、このジャケ写に登場している有吉ジュンも大好きなサイケおやじです。

しかし、彼女は決して猫顔オンリーでは無く、特にグラビア等々ではTPOに応じて様々な表情を見せてくれましたから、あれぇ~、やっぱり猫の目の様に変わるなんとやら!?

もちろん男好きのするタイプって事なんでしょうが、失礼ながら、彼女はグラマーな肢体であったとは言えず、スレンダー系としてもメリハリが不足していたような印象だった事が逆説的な魅力でありましたよ♪♪~♪

さて、そこで肝心のレコードA面曲「あげるものはなにもない」は作詞:橋本淳&作曲:都倉俊一が提供した、如何にも発売当時の昭和52(1977)年のムードが良く出たポップス歌謡で、しかも馬飼野俊一の明るいアレンジが有吉ジュンの個性にはジャストミート♪♪~♪

ご推察のとおり、歌詞の中身は所謂ズベ公の純情なんでしょうが、彼女のネアカな歌いっぷりがイヤミになっていないところに特有の味わいを感じてしまいます。

極言すれば、有吉ジュンは歌手としては大きなヒットを出せなかったのとは反比例する人気があったように思うんですよ。

それが既に述べたような男好きのする佇まいであったり、妙に雰囲気と逆行する歌の解釈であったり、なかなか一筋縄では括れない魅力かもしれません。

ということで、有吉ジュンの残した音源がどのような形で纏められ、今も聴かれているのかは不明なんですが、彼女の場合はリアルタイムで登場していたグラビアやテレビ出演時の映像と一緒に楽しむ事が必須のアイドルでしょう。

もちろん現役当時の有吉ジュンにシビれていたファンも含めて、むしろ彼女を知らないお若い皆様であれば、そうした復刻こそが絶対に必要!

そういう事情は何も有吉ジュンに限りませんが、それでも有吉ジュンにはそれが絶対条件と思うばかりです。

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歌謡ロックバージョンの可愛いひとよ

2014-05-08 14:13:32 | 日本のロック

可愛いひとよ / ローズマリー (フィリップス)

1970年代中頃からのベイ・シティ・ローラーズ=BCRの世界的大ブレイクは以降、数多くの亜流バンドを輩出するに至りましたが、昭和51(1976)年に本日掲載のシングル盤を出した我国のローズマリーも、そのひとつでしょう。

ただしローズマリーは決して新人バンドではなく、オックスの正統を継ぐ名門グループとして幾枚かのレコードを既に残していたキャリアがあり、拙プログでも以前に「センチメンタル急行」をご紹介しています。

しかし、それでもあえてBCRスタイルに転身したのは、ローズマリーとしては売れていなかったからで、当然ながらメンバーチェンジがあった事は、掲載のジャケ写に一目瞭然の現実でした。

中でも注目されたのは、既にアイドルシンガーとして「青い麦」等々のヒットを放っていた伊丹サチオ(vo)、そして今日では生沢佑一として活躍している弾ともや(vo) の参加であり、他に岡田志郎(g)、堀としゆき(key)、福井利男(b)、夕己ハルオ(ds) という顔ぶれも現場主義の実力者揃いですから、本当は侮れないグループであったと思います。

ところが、やっぱりBCRの後追いというイメージが、ルックスからもミエミエでしたからねぇ~~、ガチガチのロックを求めていた向きには軽く見られていた事は言うまでもありません。

もちろんサイケおやじも、そのひとりでありました。

さて、ちょうどその頃のサイケおやじは、これまでにも度々書いてきたとおり、気儘な学生時代に入れてもらっていたバンドで、ちょっぴりアルバイト的にお金を頂戴する事もあったんですが、夏休みの合宿名目でバンドメンバーの友人の実家が営んでいた某海浜ホテルで2週間ほど演奏する事になり、勇んで十八番の西海岸系ロックをやったものの、全くウケず……。

結局は往年の懐メロヒットあたりを強要され、その流れでBCRもリクエストされたりと、まあ、ど~にも世の中の厳しさを痛感させられたんですが、そんな時に売店でバイトしていたJKから教授されたのが、この新生ローズマリーが演じるところの「可愛いひとよ」だったんですねぇ~♪

そしてこれが一発でサイケおやじの心を鷲掴みにする、せつない味わいのロッキンソウル歌謡でしたから、たまりません♪♪~♪

黒人音楽の黄金律的コード進行に基くイントロから弾んだリズムアレンジの楽しさが絶品ですし、作詞;阿久悠&作曲:大野克夫の狙いも、そこらあたりにあるとしか言えない素晴らしさです。

また、深町純のアレンジが如何にも当時流行のフィリーソウルとシティミュージックを懐かしのGS風味に融合させたような、今となってはAOR歌謡のバブルガム的解釈かもしれませんが、とにかくキャッチーさが抜群!

早速、バンドメンバー協力一致の練習に熱が入ったというわけです。

ちなみに、この「可愛いひとよ」にサイケおやじがグッと惹きつけられたのは、どっかで聞いたことがあるような……、という耳馴染みがあったからで、実はご存じのとおりも、これはローズマリーのオリジナルではなく、既に昭和45(1970)年、クック、ニック&チャッキーと名乗るイカシたダンス&ボーカルトリオで局地的に流行っていたソウル歌謡の隠れ名曲だった真相があったわけでして、もちろんサイケおやじがそれを知り得たのは、ローズマリーのバージョンに接してから数年を経た頃でした。

そして件のオリジナルバージョンが入ったレコードもゲットしてありますので、クック、ニック&チャッキーについても含め、何時かはご紹介する所存です。

ということで、最後になりましたが、当時はツインリードのボーカルが何故か流行りで、ローズマリーの他にもチャコヘルとか、日本では未だホール&オーツが大ブレイクする前だった事を鑑みれば、例のピッグやウォーカー・ブラザースあたりからの流れだったんでしょうかねぇ~?

あっ、翌年には「あずさ2号」のデビュー大ヒットを出した狩人も、そうですねっ!

そんなこんなの疑問を思い起こしてみるのも、楽しいですし、併せて歌謡ロック万歳♪♪~♪

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やれやれ…

2014-05-07 15:23:38 | Weblog

定期健診のため、本日の1枚は休載させていただきますが、またまた不整脈が出ていると言われてしまった……。

う~ん、別段の自覚症状も無いんですが、薬屋のカモになる自分が情けないです。

まあ、ストレス溜めないように、好きな事をやる大義名分を得たのが救いでしょうか。

皆様もご自愛下さいませ。

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ソウル歌謡真髄の小川みき

2014-05-06 15:49:00 | 歌謡曲

マイ・ロスト・ラブ / 小川みき (フィリップス)

掲載したのは、昭和歌謡曲の特に後追いのファンによって再発見された感も強い小川みきが、昭和47(1972)年出したデビューシングル盤なんですが、殊更A面の「マイ・ロスト・ラブ」はソウル歌謡の名曲名唱として、流石に忘れえぬものがあります。

というよりも、実はサイケおやじにとっての小川みきは、おそらくは3枚目のシングル盤A面曲「燃える渚」によっての印象が強く、そこで次にゲットしたのが、この「マイ・ロスト・ラブ」でしたからねぇ~、正直、ここまで本格的なソウルっぽさが歌えるアイドル(?)とは微塵も思っていませんでした。

それは如何にも当時の流行だったニューソウルやフィリーソウルあたりからの影響が色濃く、それでいて我国の歌謡曲に特有の湿っぽいコブシが存分に活かされた仕上がりなんですよっ!

とにかくイントロの流麗にして、せつない響きからジワッと歌い出される曲メロの切迫感、そしてサビに入ってからの力強い盛り上げの節回しは本当に素晴らしいかぎり♪♪~♪

また、バックコーラスや演奏パートの黒っぽさも特筆物でしょう。

セクシーなSE系ボイスやリズム隊のアタックの強さも良い感じ♪♪~♪

そして、なによりも小川みきの歌いっぷりに迷いが無いんですよねぇ~♪

ちなみに作詞&作編曲は後にフィンガー5のプロデュースで歴史に名を刻す三枝伸というのも、なかなか要注意じゃ~ないでしょうか。

今でも決して真っ当に評価されているとは言い難い三枝伸は、この「マイ・ロスト・ラブ」によって、少なくともサイケおやじの心に強く残るソングライターでありまして、当時から色々と探索してみると、隠れた傑作を幾つか残していますので、それらは追々にご紹介していく所存です。

ということで、ソウル歌謡の魅力は歌謡曲に特有のコブシを如何に活かせるかっ!?

そんなところに要約されるとしたら、小川みきが歌う「マイ・ロスト・ラブ」は最右翼の証拠品に挙げられるような気がします。

例えば同曲を他のボーカリストが歌ったら?

もちろん、そうした疑問だって常にあるわけですが、サイケおやじは絶対に小川みきに軍配を上げてしまうでしょう。

それほどこのレコードはA面を聴きまくった1枚として、今も大切にしているというわけです。

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これがウケる中年時代

2014-05-05 15:42:56 | 歌謡曲

青春時代 / 森田公一とトップギャラン (CBSソニー)

昭和歌謡曲のヒットメーカーのひとりとして、森田公一は決して忘れられない偉大なソングライターですが、もうひとつ、自ら率いたバンド「トップギャラン」名義で放った昭和52(1977)年の大ヒット「青春時代」も、永遠の歌謡スタンダード曲でしょう。

そして実は昨日、入れてもらっているおやじバンドで、サイケおやじは久々にライプの現場に復帰し、もちろん最近はほとんど練習に参加していなかった所為もあり、メンバーの足を引っ張りまくった自覚症状の中、この「青春時代」がバカウケしてしまった事は、なかなかの驚きを伴った喜びでありました。

なにしろ期せずして会場のお客さんが大合唱!!

いゃ~、サイケおやじは本気で吃驚し、同時に面映ゆい気分になっちまいましたよぉ~。

ちなみに件のトップギャランは森田公一(p,vo,key)以下、渡部玲子(vo)、原田正美(g)、岩田康男(g)、小原重彦(b)、北村勝彦(ds,per) という顔ぶれの6人組で、これが現在のおやじバンドと同じ編成というも、良かったんでしょう。

もちろん作詞:阿久悠&作曲:森田公一のコンビによる楽曲「青春時代」の親しみ易く、一緒に歌えて、さらに中年者には恥ずかしいほどの胸キュン性感度の高さがウケる要素であるわけですし、トップギャラン本隊の演奏の上手さはメンバー各自がGS時代からのキャリアを重ねて来た証ですからっ!

中でも紅一点の渡部玲子は時代を超えて人気が高い「サイケな街」を歌った万里れい子なのでした。

ということで、告白すればサイケおやじは、この「青春時代」がそれほど好きではありません。

実際、昨日のライプでも練習不足から、この曲に関しては、ほとんどギターの音を出さずにカッコだけのリズムプレイだったんですが、あれほどまでにウケてしまうと、やっぱり気持が良くなるのは、自らの姑息を露呈した瞬間でした。

反省……。

ということで、歌謡曲~歌謡ロックを自分達でやれる喜びは、学生時代にロックやジャズもどきでジコマンしていた頃と変わりない楽しみとはいえ、それなりに人生を過ごしてみると、新しい何かを見つけているような気分です。

ただし、常日頃からバンド練習に参加していないサイケおやじですから、一過性の憧れである事は言うまでもありません……。

それがアマバンの本質的な娯楽性と思うばかりです。

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そんな彼女に見つめられ

2014-05-04 15:14:35 | 歌謡曲

蜉蝣 c/w 帰り道 / 范文雀 (日本コロムビア)

誰が何て言ったって、サイケおやじは范文雀が大好きです。

そこでレコードもノー文句で買うわけですが、しかし彼女の歌唱力は決して秀でているとは言えません。

むしろ「棒読みフィーリング」とでも申しましょうか、意図的か、それとも否かは不明なれど、好きになったら一直線の抑制された節回しの妙がサイケおやじのスケベ心を刺激してくるんですねぇ~♪

本日掲載のシングル盤は昭和52(1977)年に発売され、その特注クレジットを信ずれば、当時の人気アクションテレビドラマ「Gメン'75(TBS)」の挿入歌とされていますが、そういう状況では残念ながら、サイケおやじは接した記憶がありません。

もちろん范文雀も件の「Gメン'75」にはレギュラー出演していたんですが、それは昭和56(1981)年から翌年の最終回までだったと記憶していますから、もしも彼女が歌う「蜉蝣」が挿入歌だったとすれば、それ以前にゲスト出演した幾つかのエピソードの中であったと推察するばかり……。

しかし、それでもこのシングル盤は両面2曲共が范文雀の個性にはジャストミートの名作として、サイケおやじはジャケ写共々に愛でる1枚♪♪~♪

あぁ、まずはA面「蜉蝣(かげろう)」からして、作詞:佐藤純弥&作編曲:菊池俊輔という東映ゴールデンコンビが書いた、極めて演歌色の強い歌謡フォークですからねぇ~♪ その如何にも湿っぽいムードと范文雀のクールというよりも無愛想な歌唱が意想外の化学変化(?)でシビれさせてくれますよ♪♪~♪

そして更にグッと惹きつけられるのがB面「帰り道」で、こちらもA面と同じコンビの作品ですから、似た様な曲調と味わいは隠し様が無くとも、ますますそれが凝縮されたような仕上がりには、個人的にB面偏愛傾向が刺激されるほどです。

いゃ~、これがヒットしなかったのは、発売のタイミングの所為なんでしょうかねぇ~~。

一般的に「Gメン'75」の関連楽曲としては、しまざき由理の「面影」が超有名なヒットになっていますが、こういう隠れ名曲名唱が残されたのは、多方面のファンにとっても幸せだったと思います。

そういえば「Gメン'75」のレギュラーには范文雀以外にも藤田美保子、元ゴールデン・ハーフの森マリア、夏木マリ等々、サイケおやじ好みのきっちり歌える女優さんが出演していましたからねぇ~、探索すれば、レコード化されていない音源を含めて、所謂お宝はどっさりのはずです。

中でも、確か夏木マリが「蜉蝣」を歌っていたという未確認情報もあるんですよねぇ~~~~♪!?

ということで、何が何でも范文雀の「蜉蝣」ですよ、今日は。

そういう気分とご理解いただければ、幸いでございますが、それにしてもジャケ写から見つめてくれる范文雀は、たまりませんです♪♪~♪

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アイドル以上フェロモン未満の朝加真由美

2014-05-03 15:13:30 | 歌謡曲

ドレミファくんこんにちわ / 朝加真由美 (CBSソニー)

ほとんど朝から夏みたいな陽気の連休、皆様はどの様にお過ごしでしょうか?

もちろん仕事や家族サービス、諸々の難題難問はどんな場合にも避けては通れませんから、一概に全てを否定したり、楽しみに耽溺するというわけにはいかないはずで、だからこそ、ちょっぴり和みの歌謡曲を聴きたくなってしまうサイケおやじです。

例えば本日掲載のシングル盤は昭和50(1975)年に発売された、アイドル時代の朝加真由美が、おそらくは「あさかまゆみ」から改名して間も無い頃の1枚と推察される、なかなかホンワカした仕上がりが魅力のA面曲「ドレミファくんこんにちわ」がジャストミート♪♪~♪

どうです、如何にも当時を象徴する歌謡フォークなイメージは、抱えている白いギターとオーバーオールの衣装に集約されていますし、なによりも屈託が無さそうで、実は誘惑を秘めたような彼女の微笑みが良い感じでしょう♪♪~♪

そして肝心の楽曲が作詞:さいとう大三&作編曲:馬飼野康二という、歌謡ポップスの職人作家の提供であればこそ、分かり易さと彼女の決して上手いとは言い難い歌唱力が見事に融合されたと思うのは、「あさかまゆみ」時代からのファンなればこその思いかもしれません。

しかし、アイドルってのは、それでも生き残っていける資質があってこそ、息の長い活動が出来るわけで、現在の朝加真由美が女優として確固たる足跡を残している事実は侮れません。

う~ん、それもこれもアイドル時代からの愛くるしい笑顔と男好きのする佇まいがあればこそ!?

なんでしょうねぇ~~♪

好きですよ、サイケおやじは、そういう彼女が♪♪~♪

ということで、僭越な愛の告白をしてしまったわけですが、それはそれとして、連休中のお楽しみも十人十色、仕事が休めなくとも、何らかの和みを求める事は、誰も責めません。

むしろ楽しい事を作っていくのが人生だと、サイケおやじは思っているのでした。

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洋楽歌謡のディーバがアン・ルイス

2014-05-02 16:02:04 | 歌謡曲

グッド・バイ・マイ・ラブ / アン・ルイス (日本ビクター)

後年は歌謡ロックの女王になったアン・ルイスも、デビュー当時は堂々のアイドル路線で、しかもハーフ特有の西洋顔にアカ抜けたイメージは、日本男児の弱点を刺激しつつ、スタアであるに相応しい雰囲気を自然体で滲ませていました。

ですから所謂歌謡ポップスを演じても、それは決して下世話なフィーリングとは無縁で、それが当初は大きなヒットを出せなかった要因かと思えば、昭和49(1974)年に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「グッド・バイ・マイ・ラブ」が一気にアメリカンオールディズのムードも色濃い、刹那のポップスパラードに仕上げられ、永遠の和製スタンダード歌謡になったメガヒットも必然でありましょう。

なにしろアン・ルイスの歌い回しが、本音で洋楽っぽくて、「グッド・バイ・マイ・ラブ」と書くのも恥ずかしいほど!?

これは「Good bye My Love」、あるいは「グッバイ・マイ・ラヴ」が正解なんでしょうねぇ~♪

それほどアン・ルイスによって歌われた「グッド・バイ・マイ・ラブ」は、そのビリー・ヴォーン風味のアレンジも効果的な名曲であり、今日までに夥しいカバーバージョンが残されているのも、その証明です。

実は告白すると、これは作詞:なかにし礼&作曲:平尾昌晃が書いた、立派な純国産の逸品でありながら、リアルタイムのサイケおやじは、日本語詞を附した洋楽カバーかと思っていたんですねぇ~。

だって、これほどキマッた歌謡曲なんて、ありえないほどのお洒落な下世話感が秀逸過ぎますから、竜崎孝路のアレンジも貢献が大きいのでしょう。

あぁ、間奏部分での英語の語りが胸キュンですよ、本当に♪♪~♪

ということで、冒頭に述べたとおり、アン・ルイスは歌謡ロックの女王であり、突き詰めれば洋楽歌謡のスタアシンガーでもあったわけです。

ご存じのとおり、今となっては「グッド・バイ・マイ・ラブ」もテレサ・テンの代表曲のひとつになって、いよいよ亜細亜から世界に流行し、また往年の新人アイドルがステージライブの定番演目にしていた頃もありましたから、本家本元のアン・ルイスの初演バージョンも当たり前に感じられるかもしれませんが、しかし発表当時の新鮮さは、リアルタイムで接した皆様であれば、なかなか忘れられないのでは?

だからこそ、歌謡曲の汎用性と雑食性は不滅の楽しみと思うばかりです。

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