九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ピンボケ外交            天木フアン

2007年09月24日 15時45分20秒 | Weblog
国連で給油への謝意が盛り込まれた件、日刊ゲンダイに記事が載りました。

http://news.livedoor.com/article/detail/3318004/

 全文掲載しますと、

<アフガニスタンの国際治安支援部隊の任務を延長する決議が採択され、政府与党がヤンヤの喝采を送っている。
「多くの国の貢献に謝意を表明する」との文言が盛り込まれたことで、インド洋上でやっている自衛隊の給油活動について、「継続する必要があると改めて判断した」(町村外相)、「これを国際社会の意思と言わないで何と言うのか」(高村防衛相)と押せ押せなのだ。

 しかし、冷静になれば、こんな決議、何の意味もない。元レバノン大使の天木直人氏が言う。

「国連の決議なんて、どうにでも解釈できるのです。例えば、対イラク攻撃の根拠とされる国連決議1441も、イラクが義務違反を続けた場合について、『重大な結果に直面するだろう』と書かれているだけ。米国はこの文言で攻撃可能としましたが、多くの国は別の決議が必要と訴えた。日本でも当然、政府の都合のいいように解釈できる。そんなもので国際社会の意思をウンヌンするのは間違っています」

 実際、決議には「日本」や「給油」の文字はない。政府の言い分は説得力に欠ける。

 しかも、日本政府が内政問題に国連安保理を利用したことについて、採決を棄権したロシアは「特定の国の内政事情を優先した」(チュルキン国連大使)とカンカンだ。いらぬ敵までつくってしまった。

「日本が給油延長に必死なのは、ブッシュ米大統領に協力するためでしょうが、来年には民主党がホワイトハウスを奪回する可能性も高い。日本外交が心配になってきます」(国際政治学者・浜田和幸氏)

 ピンボケ外交はこりごりだ。>

 この給油感謝、これも茶番です!



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護憲勢力の行方           天木ファン

2007年09月24日 12時26分29秒 | Weblog
天木直人さんが、ブログで今後の政治展開に付いて書いています。

 前段で自民と民主について色々な見通しや主張もありますが、注目なのは、最後でです。 要約紹介しましょう。
**************************************
  6. 護憲政党の出番はない

 一番困っているのは護憲政党だろう。共産党はまだいい。共産党だからだ。余程の事がない限りつぶれる事はない。もはや勢力を拡張することはありえないが、つぶれなければいいと割り切れば仲間内で頑張っていればいい。

 問題は社民党だ。社民党の売りは暮らしと憲法である。しかし福田自民党は社民党の要求に近づける政策をとるだろう。9条改憲は封印するだろう。そのかわり日米軍事同盟は進めていく。

 社民党は9条改憲反対、国民投票法反対とばかり言ってはいられない。しかも社民党は日米安保体制を容認した。米軍再編反対、在日米軍基地撤退と言える立場にはない。つまり社民党は福田自民党にケチをつけられないのだ。だから野党結束と言うほかはない。しかしそれは聞こえがいいが、民主党にすりよるほかはないのだ。かつての社会党の愚を繰り返す運命にある。連合と一緒に民主党に合流した連中に遅れて参加するということだ。小沢が福田との争いで数が必要と判断すればそれを認める。不要だと思えば相手にしない。

  7.保守二大政党か保守大連合か

 かくして保守2大政党の時代が本格的に来る。それは実質的に保守大連合でもあるのだ。日本の政治は、福田自民党によってついに来るべきところまで来るかどうかと言う事だ。間違っても護憲政党が勢力を伸張することはない。ましてやこの期に及んでも護憲勢力の結集の動きすら見せられないのだから。


※この意見には私は多少異論がありますが、護憲勢力の衰退はその通りです。


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昨日の続きです。    楽石

2007年09月24日 12時06分56秒 | Weblog
最近の教室は、授業中に勝手な行動をとる子どもが増えているといいます。

先生と生徒という社会的な関係は、お互いに役割を演じつつ、
知識を身につけていく過程。いわば公的な場です。

社会的な役割を演ずることより、生理的な価値観を重視する。
自分の個性はつくっていくものではなく、
もともと存在しており発見するものとすれば、
面白くない先生の話を聞く必要はないことになります。
教室のなかを好きに歩き回るほうが、自分に素直な行動ということに。

また生理的な好き嫌いがモノサシでは、歴史はない。歴史への無知。浅い認識。
人生は単なるエピソードの積み重ねでしかない。
こうした意味で、スポーツ・イベントが好まれている可能性が高い。


しかし人間は社会的な存在。思春期の不安定な子供たちは、
自分を支えてくれる他人が不可欠。
親や教師ではなく、友だちの重要性が大きい。
(社会的な善し悪し、をモノサシとして内側に持っていない場合、
一人でも、わが道を行くことなど、考えることも出来ない)

ナルシストは自分が全能という幻想にとらわれているのに、
自分のプライドを確認するのに他人に頼らざるを得ない。
ナルシストは喝采をおくってくれる相手がなくては生きていけない。

こうして友達のなかにいないと落ち着かない関係が出来上がっている。
新しく登場したメデイア・ケータイは、認めてくれる友人とつながっていたいと
いう気持ちを満たしてくれるツール。

そういうグループは内向きの眼差しが強い。はぐれ者になるのは怖い。
イジメなど悪いことを始めても、内部にブレーキをかける力が弱い。

       

こうした傾向は、どことなく自虐史観を説く人が
受け入れられやすい今の空気につながっているように
感じますが・・・

時代の空気が、保守系さんの考えを受けいれてしまう。
そんな危うさがありませんでしょうか?





コメント (4)
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