1週間から10日に一度の帰宅になるため、意見を出すのがどうしても遅くなります。お許し下さい。
まずは、8月25日付の私の投稿に対する「保守系」氏の2回目のコメントについて、
1“個別な事柄ははもう止めませんか”と言いながら、いつもながらのビントの外れた個別な事柄を持ち出して来るのはどちらか。
2 フィリピンはマニラの「オープン・シティ」の話を持ち出して来たのに、いきなり南京の「オープン・シティ」の話にすり替えてきた。
では、日本軍は南京に対してどんな「布告」を出したというのか、それを説明してほしい。
3「パール判決書」について、なぜ人数が必要なのか、それを私に聞いてどうしたいのか?もう一度紹介した「判決書」を詳しく読み直すか、お手持ちの「タイム・マシン」に乗って、本人に聞きに行ってほしい。でも、この件については後退したようである。
4「東京裁判」の正当性について
① 2つの側面があることについては、以前にも簡単に触れた。
② では、なぜ「ポツダム宣言」を受け入れたのか、彼は“仕方がなかった”としか言わなかった。また、日本政府が「サンフランシスコ条約」をなぜ受け入れたかも説明してはいない。
③「正当性」うんぬんを言うのなら、受け入れてはいけない筈である。拒否して「本土決戦」(決号作戦)に賛成しなければいけない筈である。
④「決号作戦」についてもお尋ねしたら、これもまたまた沈黙。
⑤「ポツダム宣言」・「本土決戦」・「東京裁判」・「日本国憲法」・「サンフランシスコ条約」は全て連続性を持っている。
時間の長短は関係がない。いつも「連続性」を主張する彼が、どうしてこれをバラバラにするのか、首を傾げる。
“面倒な方”である。
次いで、8月26日付の私の投稿に対する「保守系」氏のコメントを読んで、もう一度論稿を読み返した。“核保有の準備には・・・”と書かれているが、“核武装準備「宣言」・・・”とはどこにも書かれていない。
いったい、これを読んで、「西部」氏が“・・・宣言」までで・・・本格的には装備出来ない・・・”とか、“核は基本的に使えない”とか“核武装しろとは言っていません”とか、主張しているなんて、誰が思うだろうか。
① “核武装をしろといったいるわけではありません。・・・「西部」も・・・言っていません”。これって「核は持たない」という意味ですね。
②“へそ曲がりさん、核兵器は持つことに意味があるのであって使用できないのです”。
「持たない」ことと「持つ」ことが同じ意味なのだろうか。私には彼の頭の構造が“よくわかっていない”のである。
【痩せ犬の遠吠え】、「保守系」氏のコメントを読んだ瞬間の私の感想である。
もう1つだけ言いたい。25日付の終わりの方のコメントを今日見た。開いた口が塞がらないほど呆れ返ってしまった。
例によってくどくど余計な事を書いているが、1つだけ挙げれば十分であろう。
日本軍のバンザイ突撃の理由を「リンドバーグ日記」に求めていることである。どこがおかしいか。「リンドバーグ日記」をちょっと見ただけで歴史史料としての価値が「ゼロ」ということが分かる筈である。
「タラワ戦」は確かにあった。1944年であったことも確かである。では、「リンドバーグ日記」に書かれているような理由で「バンザイ突撃」は始まったのか。
彼がバンザイ突撃の件を持ち出したのは「ガダルカナル戦」である。この戦闘は1942年である。1944年の結果を見て1942年の方針を決めたと言っているのである。こんな誤りは小学生でも分かる。歴史の事実を全く知らないということを見事なほどに暴露している。
つまり、原因と結果をあべこべに描いて歴史を語っていることである。このことについては別件で「千里眼」さんからも厳しく指摘されたはずである。
「タラワ戦」については、ロバート・シャーロッドだったと思うが、「タラワ」という著書によって知られるようになった。私も読んでいる。その他にもたくさんの「タラワ戦記」を読んでいるが、リンドバーグの言うような事実?はどこにも出ていない。
「保守系」氏は私のことを「自虐史観」とか「東京裁判史観」などとさかんに毒づいているが、私の方から彼を見ると「トンチンカン歴史観」としか言いようがない。これでは「撤退」と称して「遁走」するより方法がないだろう。気の毒である。
なお、「日中・太平洋戦争」や「東京裁判」・「日本国憲法」について語れ語れと言ってきたのは彼である。喧嘩を売っておいて勝手に逃げ出すのはどうだろうか。こちらは言いたいことの1割も言ってはいない。
まずは、8月25日付の私の投稿に対する「保守系」氏の2回目のコメントについて、
1“個別な事柄ははもう止めませんか”と言いながら、いつもながらのビントの外れた個別な事柄を持ち出して来るのはどちらか。
2 フィリピンはマニラの「オープン・シティ」の話を持ち出して来たのに、いきなり南京の「オープン・シティ」の話にすり替えてきた。
では、日本軍は南京に対してどんな「布告」を出したというのか、それを説明してほしい。
3「パール判決書」について、なぜ人数が必要なのか、それを私に聞いてどうしたいのか?もう一度紹介した「判決書」を詳しく読み直すか、お手持ちの「タイム・マシン」に乗って、本人に聞きに行ってほしい。でも、この件については後退したようである。
4「東京裁判」の正当性について
① 2つの側面があることについては、以前にも簡単に触れた。
② では、なぜ「ポツダム宣言」を受け入れたのか、彼は“仕方がなかった”としか言わなかった。また、日本政府が「サンフランシスコ条約」をなぜ受け入れたかも説明してはいない。
③「正当性」うんぬんを言うのなら、受け入れてはいけない筈である。拒否して「本土決戦」(決号作戦)に賛成しなければいけない筈である。
④「決号作戦」についてもお尋ねしたら、これもまたまた沈黙。
⑤「ポツダム宣言」・「本土決戦」・「東京裁判」・「日本国憲法」・「サンフランシスコ条約」は全て連続性を持っている。
時間の長短は関係がない。いつも「連続性」を主張する彼が、どうしてこれをバラバラにするのか、首を傾げる。
“面倒な方”である。
次いで、8月26日付の私の投稿に対する「保守系」氏のコメントを読んで、もう一度論稿を読み返した。“核保有の準備には・・・”と書かれているが、“核武装準備「宣言」・・・”とはどこにも書かれていない。
いったい、これを読んで、「西部」氏が“・・・宣言」までで・・・本格的には装備出来ない・・・”とか、“核は基本的に使えない”とか“核武装しろとは言っていません”とか、主張しているなんて、誰が思うだろうか。
① “核武装をしろといったいるわけではありません。・・・「西部」も・・・言っていません”。これって「核は持たない」という意味ですね。
②“へそ曲がりさん、核兵器は持つことに意味があるのであって使用できないのです”。
「持たない」ことと「持つ」ことが同じ意味なのだろうか。私には彼の頭の構造が“よくわかっていない”のである。
【痩せ犬の遠吠え】、「保守系」氏のコメントを読んだ瞬間の私の感想である。
もう1つだけ言いたい。25日付の終わりの方のコメントを今日見た。開いた口が塞がらないほど呆れ返ってしまった。
例によってくどくど余計な事を書いているが、1つだけ挙げれば十分であろう。
日本軍のバンザイ突撃の理由を「リンドバーグ日記」に求めていることである。どこがおかしいか。「リンドバーグ日記」をちょっと見ただけで歴史史料としての価値が「ゼロ」ということが分かる筈である。
「タラワ戦」は確かにあった。1944年であったことも確かである。では、「リンドバーグ日記」に書かれているような理由で「バンザイ突撃」は始まったのか。
彼がバンザイ突撃の件を持ち出したのは「ガダルカナル戦」である。この戦闘は1942年である。1944年の結果を見て1942年の方針を決めたと言っているのである。こんな誤りは小学生でも分かる。歴史の事実を全く知らないということを見事なほどに暴露している。
つまり、原因と結果をあべこべに描いて歴史を語っていることである。このことについては別件で「千里眼」さんからも厳しく指摘されたはずである。
「タラワ戦」については、ロバート・シャーロッドだったと思うが、「タラワ」という著書によって知られるようになった。私も読んでいる。その他にもたくさんの「タラワ戦記」を読んでいるが、リンドバーグの言うような事実?はどこにも出ていない。
「保守系」氏は私のことを「自虐史観」とか「東京裁判史観」などとさかんに毒づいているが、私の方から彼を見ると「トンチンカン歴史観」としか言いようがない。これでは「撤退」と称して「遁走」するより方法がないだろう。気の毒である。
なお、「日中・太平洋戦争」や「東京裁判」・「日本国憲法」について語れ語れと言ってきたのは彼である。喧嘩を売っておいて勝手に逃げ出すのはどうだろうか。こちらは言いたいことの1割も言ってはいない。