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トンチンカン歴史観  へそ曲がり

2007年09月05日 13時00分10秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 1週間から10日に一度の帰宅になるため、意見を出すのがどうしても遅くなります。お許し下さい。

 まずは、8月25日付の私の投稿に対する「保守系」氏の2回目のコメントについて、

1“個別な事柄ははもう止めませんか”と言いながら、いつもながらのビントの外れた個別な事柄を持ち出して来るのはどちらか。

2 フィリピンはマニラの「オープン・シティ」の話を持ち出して来たのに、いきなり南京の「オープン・シティ」の話にすり替えてきた。
 では、日本軍は南京に対してどんな「布告」を出したというのか、それを説明してほしい。 

3「パール判決書」について、なぜ人数が必要なのか、それを私に聞いてどうしたいのか?もう一度紹介した「判決書」を詳しく読み直すか、お手持ちの「タイム・マシン」に乗って、本人に聞きに行ってほしい。でも、この件については後退したようである。
  
4「東京裁判」の正当性について
 ① 2つの側面があることについては、以前にも簡単に触れた。
 ② では、なぜ「ポツダム宣言」を受け入れたのか、彼は“仕方がなかった”としか言わなかった。また、日本政府が「サンフランシスコ条約」をなぜ受け入れたかも説明してはいない。
 ③「正当性」うんぬんを言うのなら、受け入れてはいけない筈である。拒否して「本土決戦」(決号作戦)に賛成しなければいけない筈である。
 ④「決号作戦」についてもお尋ねしたら、これもまたまた沈黙。
 ⑤「ポツダム宣言」・「本土決戦」・「東京裁判」・「日本国憲法」・「サンフランシスコ条約」は全て連続性を持っている。
  時間の長短は関係がない。いつも「連続性」を主張する彼が、どうしてこれをバラバラにするのか、首を傾げる。

 “面倒な方”である。


 次いで、8月26日付の私の投稿に対する「保守系」氏のコメントを読んで、もう一度論稿を読み返した。“核保有の準備には・・・”と書かれているが、“核武装準備「宣言」・・・”とはどこにも書かれていない。
 いったい、これを読んで、「西部」氏が“・・・宣言」までで・・・本格的には装備出来ない・・・”とか、“核は基本的に使えない”とか“核武装しろとは言っていません”とか、主張しているなんて、誰が思うだろうか。

① “核武装をしろといったいるわけではありません。・・・「西部」も・・・言っていません”。これって「核は持たない」という意味ですね。
②“へそ曲がりさん、核兵器は持つことに意味があるのであって使用できないのです”。

「持たない」ことと「持つ」ことが同じ意味なのだろうか。私には彼の頭の構造が“よくわかっていない”のである。
【痩せ犬の遠吠え】、「保守系」氏のコメントを読んだ瞬間の私の感想である。

 もう1つだけ言いたい。25日付の終わりの方のコメントを今日見た。開いた口が塞がらないほど呆れ返ってしまった。
 例によってくどくど余計な事を書いているが、1つだけ挙げれば十分であろう。
 
 日本軍のバンザイ突撃の理由を「リンドバーグ日記」に求めていることである。どこがおかしいか。「リンドバーグ日記」をちょっと見ただけで歴史史料としての価値が「ゼロ」ということが分かる筈である。
「タラワ戦」は確かにあった。1944年であったことも確かである。では、「リンドバーグ日記」に書かれているような理由で「バンザイ突撃」は始まったのか。
 彼がバンザイ突撃の件を持ち出したのは「ガダルカナル戦」である。この戦闘は1942年である。1944年の結果を見て1942年の方針を決めたと言っているのである。こんな誤りは小学生でも分かる。歴史の事実を全く知らないということを見事なほどに暴露している。
 つまり、原因と結果をあべこべに描いて歴史を語っていることである。このことについては別件で「千里眼」さんからも厳しく指摘されたはずである。
「タラワ戦」については、ロバート・シャーロッドだったと思うが、「タラワ」という著書によって知られるようになった。私も読んでいる。その他にもたくさんの「タラワ戦記」を読んでいるが、リンドバーグの言うような事実?はどこにも出ていない。
 
「保守系」氏は私のことを「自虐史観」とか「東京裁判史観」などとさかんに毒づいているが、私の方から彼を見ると「トンチンカン歴史観」としか言いようがない。これでは「撤退」と称して「遁走」するより方法がないだろう。気の毒である。
 なお、「日中・太平洋戦争」や「東京裁判」・「日本国憲法」について語れ語れと言ってきたのは彼である。喧嘩を売っておいて勝手に逃げ出すのはどうだろうか。こちらは言いたいことの1割も言ってはいない。
 


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「生き甲斐」という治療            ブログ管理人

2007年09月05日 00時19分06秒 | Weblog
 がんと闘い続け、闘病の様子を感動的な「近況報告」として投稿くださっている「へそ曲がり氏」の奥様より、今回の病院内での語る会の経緯についてのメールをいただきましたので感想とともに語る会での写真を紹介します。

 へそ曲がりさんは、去年の7月よりこのブログに参加されましたが、登場早々の7月7日の「ミサイル騒動の情報操作が怖い」の投稿に27ものコメントが寄せられ激しいやりとりとなった事でまず驚かされました。それ以降「保守系さん」などとの熱のこもった論争で具体的な資料を提示する精密さに感心しました。
 ところが、10月にはがんの宣告と手術で闘病生活に入られました。しかし、それ以降も小康状態となれば、戦争体験・戦争責任・病状の報告など次々と投稿していただきました。
 本人が言われるように、進行がんとの苦しい戦いの中でいつもこのブログの事を忘れずに、病床にあって奥様がプリントアウトし届けられる記事を楽しみにしてみえました。そして一日も早く投稿の常連として復帰することを願ってみえました。
 しかし、最近では発熱や食事が通らない事で体力の消耗も激しく気力も萎えがちだったそうですが、今回の投稿のように「戦争体験を語る」というチャンスに恵まれ、積極的に挑戦されました。
 ベッドに持ち込んだノートパソコンを抱えて、看護士さんや奥さんが心配するほどの気力で原稿に取り組まれたそうです。
 今回の語る会では20人をこえる病院関係者が参加されました。そして氏の1時間に及ぶ語りに聞き入ってみえたそうです。

 そして最後に「私は、最低三年間は生き続けるつもりです。あの国民投票にNOを投票するまでは。」という言葉で結ばれたそうで、看護士さんには涙浮かべる方も見受けられたそうです。
 そして、会の後は疲れは隠せなかったけれど、顔は晴れ晴れとした達成感と充実感に満ちた表情で、久しく見られなかった笑顔が素敵だったそうです。

 今回のへそ曲がりさんの体験をお聞きして、深く考えさせられたことがあります。それは
 特にがん治療に必要なものは、最新の医療技術以外に「生き甲斐」を保障するという治療だということです。

 今回のことでも分かるように、本人の生きる強い意志を支えるようとする、奥さん(家族)の励まし、そして患者の「生き甲斐」を保障しようとする治療スタッフの理解と協力が何より必要です。

 へそ曲がりさんは、とても幸せであると感じました。現在このように積極的に患者の「生き甲斐」まで保障しようとする医療機関は多くありません。

 最後に、その「投稿」と「生き様」で我々のブログの投稿者、読者に感動を与えてくださった「へそ曲がり氏」及び奥様、医療スタッフの皆様に感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

    
コメント (2)
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