最近の若者は「ウザイ」「キモイ」など、生理的な価値観で
気持ちを表現します。
なぜ?そんな疑問に答えてくれそうな本を読みました。
「個性」を煽られる子どもたち
以下は、その一部の要約です。
ものごとを判断するモノサシは2つ。一つは善いか?悪いか?
もう一つは好きか?嫌いか?
善いか、悪いかは、他人との関わりのなかで学んでいくもの。
身近な人も、見知らぬ人とも同じモノサシです。
好きか、嫌いかは、自分だけがモノサシ。
この2つのモノサシを上手に使い分けるのが大人。
一方に傾くと歪みが生れる。
子供たちは生れると、個性が大切という価値観のなかに、放り出される。
歌にあるような、世界のなかのオンリーワンの価値ある存在であろうとする。
では、どうしたらオンリーワンと感じられるのか?
本来、個性は他人との関わりのなかで、磨いてつくって行くもの。
しかし、どうも、今の子どもたちには、
個性は生れつき備わったものとして考えられているようです。
社会のなかの善悪というモノサシでなければ、自分のなかにある気分がモノサシ。
生理的な快感が根拠。
これに素直なことが個性的ということに。
生理的な感覚に価値を置くことから、言葉にも変化が生れる。
ウザイ、ダサイという生理的な価値観が流通するのも、こうしたことから。
こうしたモイサシ、どこか保守系さんの歴史的な価値観に
通じていませんか?
気持ちを表現します。
なぜ?そんな疑問に答えてくれそうな本を読みました。
「個性」を煽られる子どもたち
以下は、その一部の要約です。
ものごとを判断するモノサシは2つ。一つは善いか?悪いか?
もう一つは好きか?嫌いか?
善いか、悪いかは、他人との関わりのなかで学んでいくもの。
身近な人も、見知らぬ人とも同じモノサシです。
好きか、嫌いかは、自分だけがモノサシ。
この2つのモノサシを上手に使い分けるのが大人。
一方に傾くと歪みが生れる。
子供たちは生れると、個性が大切という価値観のなかに、放り出される。
歌にあるような、世界のなかのオンリーワンの価値ある存在であろうとする。
では、どうしたらオンリーワンと感じられるのか?
本来、個性は他人との関わりのなかで、磨いてつくって行くもの。
しかし、どうも、今の子どもたちには、
個性は生れつき備わったものとして考えられているようです。
社会のなかの善悪というモノサシでなければ、自分のなかにある気分がモノサシ。
生理的な快感が根拠。
これに素直なことが個性的ということに。
生理的な感覚に価値を置くことから、言葉にも変化が生れる。
ウザイ、ダサイという生理的な価値観が流通するのも、こうしたことから。
こうしたモイサシ、どこか保守系さんの歴史的な価値観に
通じていませんか?