九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「今から柏・サントス戦」  文科系

2011年12月14日 18時11分20秒 | スポーツ
 今19時から、中京テレビで表記の実況テレビがある。みんな、観よう!

 この柏、4日、6日、13日のここエントリーに書いたように、驚異的なことをしてのけた。1昨年は1部から降格。中頃ネルシーンヨを招聘したけど、駄目だった。去年、2部でダントツの優勝。1部に上がったばかりの今年、先行逃げきりに近いような、あっぱれの優勝。相手が弱いならともかく、昨年の覇者・グランパスは史上最高の陣容だし、宇佐見が抜けたガンバもラフィーニャを見事にフィットさせた強豪だった。震災被害をものともせず仙台も自慢してもよい守備で、よく頑張ったし。そんななかでこんな優勝は、実力がなければ出来るものではない。
 柏でブレイクした無名のFW、田中順也(24)などはこの3年でこんな激変ぶりで、絵に描いたようなラッキーボーイだ。2年前は無名の大学生。プロ1年目の去年は、J2優勝。今年はJ1優勝で、本人は日本代表合宿にも呼ばれて、目を白黒。こんな台詞を吐いている。「みんな上手いので驚いた!」
 さて、このクラブ・ワールド・カップ戦での柏の闘いここまでは、13日当ブログ・エントリーを読んで頂くとして、今日準決勝の相手、南米チャンピオンクラブ・ブラジルはサントスにも、真っ向から挑むつもりありありである。ひょっとしてなんて、考えると、ワクワクしてくる。聴けばこの2チームの監督2人、選手時代はサンパウロで同門、同室時代もあって、親友みたいらしい。

 柏は本当によいチームで、来年のJリーグの水準を上げてくれるにちがいない。そんな気持ちをも込めて、今からのゲームを観たい。僕は例によってメモをとって観戦し、明日はこの観戦記でエントリーしたいと思っている。 
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保安院の大罪(52) 橋下、河村と比べて   文科系

2011年12月14日 12時15分41秒 | 国内政治・経済・社会問題
 昨日のコメントにこんなことを書いた。
『 戦前の知識がある旧左翼は、河村、橋下の姿勢にヒットラーを連想する人もいるだろう。が近ごろは、ヒットラーも国民死活の一大要望を捉えていたのだとさえ言いたくなる。失業者をどんどんなくし、悲願の景気回復を果たしたのだ。ただしそれは、アメリカの産軍政複合体ではないが軍需産業と軍隊増強によってだったから、結局、国、国民を死滅させてしまった。
 現日本官僚は、その原発運営姿勢が言われるように、正に一事が万事だ。20ミリ問題に示されているように、国民をすでに棄民しているのである。その裏側で、経産次官ほか2名を割増退職金付きの「更迭」! 何のことはない、「任意退職」を「更迭」と呼び替えただけなのだ。内閣が官僚の指示で動いたことは明らかだろう。
 こうして、現日本の官僚たちをば「自分らの免罪のために棄民した奴等」と呼んでいっこうに差し支えないわけだ。こんな奴等が支える内閣こそ疫病神そのものだろう。官僚と現内閣、彼らこそヒットラーのように国民を地獄に連れて行く奴等と言うしかないではないか。
 こういう奴等に対して「これを許せん」と言う方が、よほど正常な感覚だと言いたい。地方が官僚の都合でこれでもかと叩かれ続けてきたことに対して、国民が(橋下、河村などに)反発せよと命じているということなのだと思う。』

さて、以上の文章に関って、いくつか大事な補足説明を加えたい。原発事故というすでに起こってしまった事件からだけ、結果論的に相手を批判するのは、フェアじゃない面を感じられる方もおられよう。それが、「絶好の機会。積年の恨み晴らさで置くべきか」と言う調子よろしく、図に乗るようにして語られるものであれば、なおさらのことだろう。起こる確率は非常に少ない事件だったのだし、悪いことが重なったことも確かなのだし。
 また、このシリーズの間中、こういう見方、論法を取っているとも述べてきた。「ここで告発しているのは官僚たち個人ではなく、その組織についてである。いわば個人を超越した組織(人間疎外の組織)を告発している」と。これはいつも言うように、カール・マルクスが「資本論(序言)」においてそういう断り書きをしていたそのやり方に学ばせてもらったものだ。

 さて、以上のように感じられる方にはまた、この点を強調しておきたい。「事故の前に、あの時こうしておかなかったからいけなかったのだ」と言う話と、「事故以降の、その後始末における情報非公開、罪障隠蔽、無責任」とは、別の問題であって、この後者においてこそ「官僚のやり口は、一事が万事」と語っているのだと。論より証拠、ここで告発し続けてきた以下のような例すべてが、事故が起こった後の問題なのである。
①放射能汚染の警戒基準下限を1ミリから20ミリに上げたこと。子ども、若い女性に深刻な内部被曝被害を増やすものだと思われる。
②放射能拡散予測機器、スピードの初期段階資料非公表によって、深刻な被害者を多く生み出したと思われること。全く無警戒だった地区の人々の多くが、深刻な内部被曝にさらされたと言える。
③東電による高濃度汚染水の海への垂れ流しなどを、警戒も監視もせず、言わば黙認していたに等しいこと。水産漁業の回復期間に直結する問題である。
④今でもひび割れなどからうち続いている地下水汚染に対して、多くの専門家の意見を無視して、タンカー輸送とかダム構築など何の対策も講じていないこと。
⑤冷温停止の安請け合い。本来この語は、平常運転している原子炉の温度を、平常の機械的操作により100度以下に下げることを指している。未だにどこにあるかも分からない崩壊燃料を、大変な放射能を発する丸裸のそれを、地下水対策も含めて、そもそも一体、誰がどうコンクリート詰めに「冷温停止」するのか。

こういう「事故以降の行為の一つ一つ」を指して、「一事が万事」「官僚が国民を棄民している」と、告発してきたつもりだ。これらには、徹底して、国民への冷酷さ、自己保身根性が見えると言いたい。税金で食っている公僕の反対物、言わば化け物(養成所)と言われても、抗弁できないはずだろう。これに比べれば、橋下、河村にはこんな、「戦前からの伝統を引きずった化け物養成所」は付いておらず、自己疎外の度合いが少ないと言えるのではないか。
 単なる「意識」は、永年巣くってきた「存在」そのものよりはまだ怖くないと考える。 
コメント (5)
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