このブログの過去エントリーを通し読みしていて気づいたことがある。「キーワード」と、もう一つはキーワードに関わって、このこと。記事によってキーワードがたった一つしかヒットしていない時もあるし、サッカー記事などでは10もあることがある。このことは、エントリー記事を書いて多くの人に読んで貰おうとするときに、ある知恵を授けてくれるのではないかと考えついたのである。少々の分析・考察を試みてみよう。
キーワードの多少、極端なバラツキで例を挙げれば、こんなことがある。10月27日の「大罪・原発被爆児童の尿検査」ではたった一つ「ホールボディカウンター」だけ。対するに翌日28日の、ザック(50)は10もあるのだ。どうしてなのだろうと原因を考えるとき、即二つの仮説を思いついた。一つは単純に、人気のある領域はキーワードが多いということ。この仮説は正しいだろうが、単にこのことだけからは先の『たった一つ「ホールボディカウンター」だけ』は、説明がつくまい。同エントリー中には、福島県、セシウム、尿検査、原子力などもあるのだから。僕はここに検閲が入っているのではないかと疑念を持つのである。公安が関わっていると噂もある28日の「角田美代子」でも、キーワードはたった一つだけだったことでもあるし。つまり、こういう仮説だ。各省庁官僚たちが、世論として盛り上がって欲しくない領域の言葉を意識してネット界から排除するような活動、要請をやっている。直接よりも間接、目に見えない形を中心に。と、そんなことを僕は思い描いた。例えば、広告会社を通じてスポンサーから圧力をかける、とか。
さて、この仮説が正しいとすると、エントリーについてこんなやり方も思いつく。キーワードに引っかかりそうもないジャンル、領域をエントリーする場合、畑違いな言葉を比喩表現などとして入れることだ。その場合、検閲にかかりそうな記事は特にその裏をかくことである。スポーツ用語や選手名を使ってみたり、流行の芸人名を使ってみたり。多くの検索に乗るのは確実で、読者が増えるかも知れない。
また、「この記事をこういう関連が深い領域の人にも読んでもらいたい」という場合にも、そういうヒットを意識した言葉、概念を入れることもできる。
誰も意義があるとしてエントリーを書くものであるから、多くの方々の目にとまることが好ましく、邪道ということではあるまい。27日の拙エントリー「被爆児童の尿検査」の中日新聞記事紹介などは、全国の人々にできるだけ多く読んでもらいたいと切望するのだし。それがたった一つ「ホールボディカウンター」という言葉だけにヒットするように押し込められているのは、僕としてはきわめて不本意だった。この「ホールボディカウンター」等は逆に、経産省にとってこういう意味があるのだろうなどとも、考えてしまう。経産省批判者を探し出すためのキーワード、と。この論理で言えば、尿検査などは経産省にとってこういうことになるのだろう。「過激すぎる言葉」「世論になったら大変だから、規制したい言葉」。どうせネットをやるのならば、経産省官僚などの思惑を逆手に取ろうではないかということにもなるのかな。
キーワードの多少、極端なバラツキで例を挙げれば、こんなことがある。10月27日の「大罪・原発被爆児童の尿検査」ではたった一つ「ホールボディカウンター」だけ。対するに翌日28日の、ザック(50)は10もあるのだ。どうしてなのだろうと原因を考えるとき、即二つの仮説を思いついた。一つは単純に、人気のある領域はキーワードが多いということ。この仮説は正しいだろうが、単にこのことだけからは先の『たった一つ「ホールボディカウンター」だけ』は、説明がつくまい。同エントリー中には、福島県、セシウム、尿検査、原子力などもあるのだから。僕はここに検閲が入っているのではないかと疑念を持つのである。公安が関わっていると噂もある28日の「角田美代子」でも、キーワードはたった一つだけだったことでもあるし。つまり、こういう仮説だ。各省庁官僚たちが、世論として盛り上がって欲しくない領域の言葉を意識してネット界から排除するような活動、要請をやっている。直接よりも間接、目に見えない形を中心に。と、そんなことを僕は思い描いた。例えば、広告会社を通じてスポンサーから圧力をかける、とか。
さて、この仮説が正しいとすると、エントリーについてこんなやり方も思いつく。キーワードに引っかかりそうもないジャンル、領域をエントリーする場合、畑違いな言葉を比喩表現などとして入れることだ。その場合、検閲にかかりそうな記事は特にその裏をかくことである。スポーツ用語や選手名を使ってみたり、流行の芸人名を使ってみたり。多くの検索に乗るのは確実で、読者が増えるかも知れない。
また、「この記事をこういう関連が深い領域の人にも読んでもらいたい」という場合にも、そういうヒットを意識した言葉、概念を入れることもできる。
誰も意義があるとしてエントリーを書くものであるから、多くの方々の目にとまることが好ましく、邪道ということではあるまい。27日の拙エントリー「被爆児童の尿検査」の中日新聞記事紹介などは、全国の人々にできるだけ多く読んでもらいたいと切望するのだし。それがたった一つ「ホールボディカウンター」という言葉だけにヒットするように押し込められているのは、僕としてはきわめて不本意だった。この「ホールボディカウンター」等は逆に、経産省にとってこういう意味があるのだろうなどとも、考えてしまう。経産省批判者を探し出すためのキーワード、と。この論理で言えば、尿検査などは経産省にとってこういうことになるのだろう。「過激すぎる言葉」「世論になったら大変だから、規制したい言葉」。どうせネットをやるのならば、経産省官僚などの思惑を逆手に取ろうではないかということにもなるのかな。