九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「よたよたランナーの手記」(86) 僕のランナー経歴  文科系

2014年12月13日 10時28分02秒 | 文芸作品
 編集局のアクセス数推移などの資料によると、最近、この手記を読んで下さる方がやや増えたように思われる。現役ランナーの方が増えているととても嬉しいのだが。
 さて、僕は、手術執刀医がランナーには多いと言った不整脈を抱えても数年間走り続け、結果慢性心房細動手術に至っても、その後しばらくして又しぶとく走り続けてきた者である。同病者が読んでいてくれないかなと思いつつのことだった。そういう人用に、今回は僕のランナー歴、闘病歴を書いてみる。

 ランを始めたのは00年4月、59歳直前だった。その時、テニス、ロードレーサーなどいろんなスポーツをしていたが、ランは高校時代の年一度学校マラソン以来のことだ。年を取って行くにつれて有酸素運動中心に切り替えようと考えていたから、ランを選んだのである。

 以降07年まで年1度以上はいろんな自治体主催の10キロマラソンに出ている。最高記録は01年3月の49分22秒。その後少しずつ記録が落ちて来るが、それには01年から走る時だけに現れた不整脈が関係している。初めは期外収縮だけだったが、走行中急に速度を上げたりすると突発的な心房細動になる。そんな時すぐに走るのを止めて歩き始めると、1分しないうちに正常に戻っていく。だから、医者にも相談しつつ心拍計を装着しながら、以降もずっと走り続けていた。正式な10キロマラソン1度のうちに3度も心房細動が起こってその都度走り止め、収まるとまた走り始めることもあった。それでも、途中棄権をした事は一度もない。走り止めると1分で元に戻り、また走れたからである。

 でも、この不整脈はだんだん激しくなっていって、最後の正式10キロマラソンが07年1月の西春(北名古屋)マラソンで54分18秒だった。この時も心房細動発作で3度ほど歩いているから、記録は01年の時とそんなに変わらないはずだ。

 さて、以降もジムでは走っていたが、不整脈の改善は見られず、10年には結局心臓カテーテル手術を受ける事になった。慢性心房細動と診断された症状への上手く行けば「完治手術」というわけである。その年2回の手術に、プラス1回の全身麻酔AEDで完治することになった。が、心拍が不安定でもあり、医者の指示もあって走るのをいったんは断念した。

 でも、やはり未練があって散歩とか階段上りとか、体力は一定キープしていて、とうとうまた12年9月から半信半疑でゆっくりとだが、走り始めたのである。すぐに医者とも相談しながらのことだったが、医者は何とか走行許可を出してくれた。
 こうして、今に至っている。07年1月の西春マラソン以降は、1時間に10キロなどというスピードで走った事は一度もないと、今回記録を見直して初めて認識した。

 以上の経過があるから、今1時間10キロに近づいている事がこの上なく幸せな気分なのである。


 明日の選挙がマスコミ予想通りならは、日本の転換点になることは確実だ。安倍が敢えてそのために、この時期を選んで国民に挑んできた選挙なのだから。「この道しかない」のではなく、1%の人々が作った世界的・必然的経済格差(慢性的需要不足)を前提とするなら「この道しかない」と、そういう意味なのだと愚考する。さらに激しく格差が世界的に進み、昔から言われている「不況時の経済軍事化」等も進んで、今米国がやっているように戦争が頻繁に起こるようになるのではないかと、恐れている。日本がその片棒をかつぐという事なのだから、気分が滅入る事甚だしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする