世代交代 M・Aさんの作品
すでに桜が咲き始め、先日も浜名湖の公園で見ることができた。
だが、今年早々に父が亡くなり、あれやこれやと雑用があって毎日忙しく、体調も思わしくない。こうなると、口を開けば愚痴ばかり。文章を書いても同じことなので、どうも書けなくなる。昨年も欝々とした春だったが、今年はさらにもの憂い。
一番の要因は、避けられない老いと病気の現実が周囲にも溢れていることだろう。私が趣味で参加している会の構成員は平均七十代後半となるのだろうか。自然に「生老病死」と向き合わねばならない。私自身も背中の痛みで検査するが、原因がつかめないことに不安がある。
以前にも春愁三首という『万葉集』の中にある大伴家持の歌を紹介したことがあるが、この一首に尽きる思いである。
うらうらと照れる春日にひばりあがり
情(こころ)悲しも ひとりしおもへば (万葉集 巻十九・四二九二)
そんな中で、下の息子の子遥仁(はると)(十一か月)だけが生きとし生ける者としての生命力と成長、進化を感じさせてくれる。以前同人の方が乳幼児の成長ぶりに、洞察の眼を向けてエッセイを書かれたのもうなずける。
だが、ときの流れは生命体の新旧入れ替わりを残酷にも強く、人の一生として思い知らされるのだ。父が危篤のとき、父に三人いるひ孫のうち、遥仁だけが見舞ってくれた。私も一緒に病院にいた。医療機器に繋がれて目を閉じたままの父と、生まれて間もない赤子との対照が強烈に焼き付いている。生命体としての人もまた、ときと共に入れ替わっていく。それは、自然の摂理のひとつであるだけ。
古代の人も、春の桜の季節などに枝を折ってかざしにしたのは、自然の生命力を取り入れて長寿を願ったという。ならば、私も嘆くのではなく、花見にでも行ってみようか。