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随筆紹介  ああ疲れた!   文科系

2016年04月27日 19時01分31秒 | 文芸作品

 ああ疲れた(あるスーパー建設に観る横暴)   H・Sさんの作品です

  それは一本の電話から始まった。
「あんたの家のすぐ近くにスーパーが出来ること知ってる? 家の前の道を4トントラックが四十台走り、荷物の搬入、ごみの運び出しをやると聞いたよ」と、会計事務所を経営している友人Mさんが知らせてきた。
「どういうこと?。耳に入っていること、みんな話して」、詳細が呑み込めないので聞き返した。
 Mさんの説明を聞くと、スーパーの建設計画は進んでいると受け取れた。私の家の前の道は、五十m先で、行き止まりになっていて、南側に千二百坪の広い荒れ地が横たわっている。この土地の所有者が大型食品スーパーの経営者に売り払い、店を新設することになったようだ。
 私宅前の道は、いまは公道になっているが、救急車と消防車が入れるよう畦道を広げた。広げた土地は、当時、三人の土地持ち[義父、裕美子の連れ合い、裕美子の兄]が自分の土地を寄付して付けた経緯がある。この区画整理の書類の作成にかかわったのが、電話をかけてくれた会計士Mさんだ。
 一言の連絡もなしに建設計画が立てられ、進められてゆく。納得できることではない。

 予定地に一番近い住宅に住む自動車部品の会社を経営している裕美子のところへ駈け込んだ。というのは、故人になった裕美子の連れ合いが、一番広い土地を寄付していたからだ。これを黙認していたら、毎日我慢を強いられることになる。許せることではない。
「さっき、Kスーパーの企画部長が来て名刺を置いて行ったわよ。家の前の道を使って商品の搬入、ごみの出し入れをすると言うから、承知できないと断ったわよ」、裕美子は怒った。
 裕美子の家と向かい合うTさんの家も、スーパーの予定地に隣接している。
 Tさんには知らされているのだろうか? 心配になった私は、主を呼び出し、裕美子と二人で確かめた。「名刺は預かっているが、心臓が悪くて入退院を繰り返しているので、体がきつい。話を聞く気にもならなかったから、どんなものを作る予定なのか知らない」とTさんは答えた。
 企画部長に電話をかけ、どういう事になっているのか、説明に来るよう頼んだ。
 この道を、生活道路にしている分譲住宅に住む三人のおばさんたちが、訊きつけて仲間になってくれた。町内会長にも参加してくれるよう頼みに行った。
 町内から、計六人参加。企画部長の話を聞く事になった。
 やはり、行き止まりの道の先にある荒れ地を整地して大型店舗を作り、商品の搬入と、ゴミ出しは、私宅の前の道を使うことになっていた。
「消防車と救急車が入れるように、個人が寄付した土地を営業用に使うな」、裕美子と二人で切り込んだ。
「荷物の搬入のため、住宅内の道を使うと言っても、本部から店一個分の荷物をパックにして4トントラックに積んで運ぶから、朝一回道を使うだけで、迷惑になることはない」と企画部長は言い切る。
 経営する会社の近くにある大型店の、商品の搬入とゴミ出しを毎日見ている裕美子が、「嘘だ。引っ切り無しに4トントラックで商品は搬入されている。ゴミ出しだって決まった時間ではない」と反論した。
 おばさんたちが、裕美子の発言で、道幅六・五mの道を四トン車が玄関先をかすめるようにして走ることを知った。
「どういう計画を立てているのか、資料を見せてください。」と、私が迫った。
「まだ計画の段階だから資料は出せない」、企画部長はのらりくらりと交わす。
「計画の段階なら変更はできるはず、道は使わせない」と、おばさんたちの声が、会合を持ち交渉を重ねるごとに大きくなっていった。
 何回かの交渉の結果、私たちの言い分を認め、こんなことになった。自宅前の道は、商品搬入とゴミ出しには使わない。空調の室外機は、遮断壁を建てるので音と熱風は上に上昇するので問題はない。揚物の臭いと飛沫は、新しい機械を導入するので解決できる。災害時の避難扉が付けられることになったが、これは法律上やむを得ないと全員承知した。
「扉は災害時、避難用に使われるだけで、ここからの人の出入りはない」と、企画部長は言い切った。
「決まったことを書面にしてください。口約束は信用できません」と私が詰め寄った。「そこまで言わなくても、ここに六人の証人がいるのですから、約束は守ってくれるでしょう」と、町内会長がその場を取り持った。
 二〇一四年八月初めから三カ月かけて、私どもの要求をスーパーに認めさせた。
 スーパーの開店予定は二〇一五年五月と聞いた。

 二〇一五年が始まっても、工事にかかる気配がない。たち消えになったのかもしれないと、私は喜んでいた。
 四月の終わりに、企画部長が町内会長を伴って、私宅にやってきた。
「建設を引き受けてくれる業者が見つからなくて工事が遅れていましたが、着工することになりました。つきましては、日程表と建物の立面図を持って一軒一軒説明に回りますので、町内会長さんと貴女とで立ち会ってください」と、私に告げた。
 五月終わりごろから荒れ地を整地する工事が始まっても企画部長から連絡はなく、彼が私宅を訪れることはなかった。
 梅雨に入ると、大雨が途切れることなく降り続いた。工事用の排水と雨水が合流して側溝からあふれ、道路が水浸しになったまま水が引く気配がない。
「工事前に住民に挨拶に来る約束はどうなったのですか」と、電話で私が問い詰めた。
「これからの事は、住民とは話し合わず、町内会長と話し合い。町内会長から住民の皆さんに伝えてもらうようにする」と、企画部長はきつい言葉で返事した。
「工事場からの汚水が家の玄関先まで押し寄せ、水浸しになっている。今すぐ対処しなさいよ。約束したとおり、店の立面図と工事日程表を持ってきて、業者に説明させてください。会場と日時は私どもが決めて連絡します」と、電話で告げた。
 八月二一日、午後四時、会合を持った。六人と、スーパー側から企画部長と建設業者三人が来た。設計図面を提示して、工事責任者が建物の説明をした。汚水は、工事が進むと建物自身の排水溝を作りますので、雨水だけが流れるようになるから今までのようなことはない。工事で汚れた人の家は、工事が終わり次第建設会社が洗浄する。商品の搬入ゴミ出しは、住民の要求を受けほかのルートを考えるが、災害用扉の横に職員の出入り口をつけさせてほしい、などと言う。「職員の通用門の事は聞いていない。災害用の扉は付けるが、人の出入りはないと約束したではないか。これは守ってください」と、私が食いついた。「皆さんにこれだけお願いしてもダメなんですか? このことは保留にして、後日に返事します」と企画部長は譲らなかった。この日は、何の進展もなく、物別れになりそうだった。突然、会議場のドアが開いた。裕美子の息子が乗り込んできた。大柄、好男子の四十五歳の青年社長が、机を挟んで企画部長と向かい合った。「図面を見ても、従業員扉は不要だ。住民が嫌がるものを何故付ける。付ける理由がない。企画部長では話にならん。本社行って、社長と話をする」と、一喝した。すると、どうだろう。嘘ばかり約束してきた企画部長の態度がころりと変わった。「最大限、皆さんの要求を考慮します」。ここぞと私、「約束したことを、書面に書き留め、きちんと回答して下さい」。

 九月半ば企画部長は、書面をもって私宅を訪れた。「災害用扉の横に、職員用の通用門は付けるが、この扉は日ごろは鍵をかけておく。人の出入りはない。災害時のみ開放する」と、書かれていた。会計士Mさんに電話を入れ、経緯と結果を報告した。
「間にあってよかった。少し遅かったら、企業は、今までかけた費用を弁償せよと凄んで、住民が泣き寝入りさせられることが多くなっているんだよ」と、Mさんに教えられた。一年以上にわたる交渉が続くと、人の心も変わる。一番被害を受けるTさんの奥さんが出てこない。私達にやらせておいて平気でいると、揉めた。それにしても、ばあさんの集団はこうも軽く扱われるのかと、思い知らされたもの。ああ疲れた。

コメント (1)
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