九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

南京大虐殺この二日の論争 文科系

2017年02月11日 08時22分55秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
『Unknown (ネットの声)2017-02-10 22:44:38
百歩譲って、犠牲者名簿が作られなかったのは、中国はあまりにいい加減でだらしないから――国も軍も党もその労を惜しんだのだといたしましょう――そうなると、その場合、ならば何を基準として30万人という数字を公言しているのか、全くの意味不明となりますが――繰り返しになりますが、犠牲者30万人の場合、南京の元々の人口は20万人程度ですが、その周辺を含めると合計60万人ほど民間人がいたようですし、もちろん更には軍人もいたわけです(「あった」派の人にはたとえば上海から10万人の部隊が合流したとして、結局南京でどのくらいの人が戦死したのか? また、南京大虐殺はそもそも「軍人ではなく民間人の被害」こそが問題の焦点だったのでは? という疑問にも答えていただきたいものですが)。』

『Unknown (ネットの声)2017-02-10 23:05:50さて、これだけ――当時その近くにいた人の生き残りだけでも30万ほどの人がいました。中国全土の遺族の数は百万人単位でしょう。彼らはなぜ声をあげなかったのか? 戦後5年とか10年といった混乱期には慰霊祭開催がができなかったということもあるでしょう。では、15年後は? 30年後は? 45年後は』

『反論 (文科系)2017-02-11 08:18:04
① 「犠牲者名簿」は、「国も軍も党もその労を惜しんだ」のではありません、出来なかったのです。国として一般的な全国的戸籍もほぼなく、「職もろくにない中国では、兵士にはかき集めの浮浪者も多い」とは、日本軍兵士事前教育に使った教科書にも書いてあった通り。

② 数字根拠は、こういうもの。
 先ず上海から長江上流の首都・南京に逃げた敗走兵と、南京城近隣からの避難民を含むもの。なお、上海中国兵は延べ70万人投入、南京包囲戦の直前3か月続いた大激戦でした。

③ 中国兵士が敗走するとき民間人に化けた便衣隊は超有名で、ここから民間人男子も多く殺され、「捕虜」になりました。

④ 「捕虜」のことですが、日本軍が完全包囲した南京城壁(城塞都市です)は高さ18メートルで、一方は揚子江沿いです。完全包囲城壁の限られた出入り口からの中国軍撤退・突破作戦を、ある歴史学書は、こう描いています。
『唐生智(将軍)は、撤退の時期と方法を誤り、12日夜から13日の朝にかけて、約15万人の中国軍は日本の包囲網を破って退却を試みた。しかし、たとえば第58師で長江左岸に逃れられたものは3分の1に過ぎず、第87師は、約300名が長江の激流を渡河できただけであったといわれる』(「満州事変から日中戦争へ」加藤陽子・東京大学大学院人文社会系教授著、岩波新書)

⑤ こういう状況では「捕虜」は無数でしょう。極端に言えば、便衣隊らしき人も含んで死者以外の男は全部「捕虜」にした。そして、以降終戦まで占領下にあった南京の「捕虜」は、収容所に連れていくように見せかけて、密かに全部殺すこともできたはずだ。満州事変から更に南下してきた上海・南京包囲戦以降の中国南下作戦を考えれば、「捕虜」を生かして放つはずがありません。現に集団白骨現場が無数に発見されています』

⑥ なお、男以外でも、レイプ殺害はあったと証明されているし、ちょっとでも抵抗、抗議を示した婦女子を殺害していったことも日中人以外の外国人が証言しているように、有名な話になっています。


 結論
 こういう状況すべてから南京虐殺死者数検証を目的とした日米学者会議で、日本側学者でさえがこう認めざるを得なかったということなのです。
『中国人死者数は2万~20万人』
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 「10日空白後のギター・・・」   文科系

2017年02月11日 07時00分34秒 | 文芸作品
 虫垂炎でかっきり1週間入院した。もちろんギターは弾けなかった。そこで思い付いたことがこれ。記憶しやすいという意味で切り良くしてあと3日プラス、10日弾かないでその後の様子を見てやろうと。これは、今後あり得るこういうブランクの影響や対策を知る実験のつもりだった。この13年間3日続けて弾かなかったこともない僕としてはもちろん、飛び抜けて長いブランクへの実験的挑戦というわけだ。

 さて、9日に再開、先ずいつものようにアルペジオから入る。カルカッシ教本冒頭の22のアルペジオと、カルリのアルペジオ10パターンである。次が、ガスコンのセーハ練習。セーハしながら8ポジションまで上がりつつ、各ポジションで同じパターンのアルペジオを弾き、またセーハ無しの最も下まで下がってくる奴だ。このセーハ練習もアルペジオも、ちょっとぎこちなかったが、まーなんとか弾けた。

 次に、僕の「暗譜群」の最初4曲を弾いてみる。月光、ロマンス、ラグリマ、アデリダである。普通に弾けたから、今のレッスン曲マリーアに入る。これが、つかえもせず難なく弾けたのである! 一日目の9日はこれで終えた。
 2日目の10日はもう、教室に通うレッスンの日だ。朝だけの練習になる。昨日と同じアルペジオ・セーハ練習と、昨日弾いた暗譜群の次の曲へと進む。この日の暗譜群は9日の3倍程の曲を弾いた。その上で、レッスン曲の「郷愁のショーロ」だ。これが実に、やはりつかえもせず弾けたのである。出来映えも、11日前とほとんど変わらない。

 さて、そこで思ったこと。アルペジオとか暗譜群曲とか、日頃の練習に定型パターンがあって、それを「立ち帰るべき原点」として復習、確認できれば、僕の場合だが10日のブランクぐらいは何の支障もないのだと。こう確認できたときには、今年76歳になるこの身にとって何と幸せなことだろうと一人感慨に耽っていたものだ。まだまだ弾き続けることが出来るという、安心、希望を温めながら。
 そこで、悠々とレッスンに出かけることになったのである。そして、先生にもこの事実を話しておいてから弾いたら、大変驚かれていたということも付け加えておきたい。こんなふうに。
「10日の完全ブランクの後、昨日から2日弾いただけ?! それも、郷愁のショーロは今日の朝だけの練習?! 前と全く変わりないじゃないですか。特に左手が・・・。この2曲は、かなり難しいものだと思いますけど・・・」

 結論。
『 日々の練習で立ち帰るべき自分の原点さえ日々続けていれば、15日ぐらいの完全ブランク後も、この原点にちょっと触れるだけで技量はたちまち元に戻るもの。そのように日々やっていれば、15日程度のブランクなら、僕の場合は当分まだまだ大丈夫! 』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする