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オールド左翼の終わりの始まり 1970

2017年07月07日 17時20分05秒 | Weblog
去年の都知事選の頃から形になってはいたが、今回の都議選ではっきりしましたね。
都民ファーストが集めた200万票は、今までなら自民党にお灸を据える為に野党に振り分けられてた浮動票。これが既存野党には行かず都民ファーストの票になった。
都知事選の時の鳥越陣営とその支持者達のアホさ加減を目の当たりにして、中間層の目が覚めちゃったんだな。
所謂、サヨクの中でも筋金入りのオールド左翼得意のトンデモ論や陰謀論等、今までは、ま、しょうがないかであきらめてた有権者が、はっきりサヨウナラをした。
これが今回も形になった。
もうね、無党派層や中間層は会話が成立しないと思ってるのよ。
政治、経済、外交、教育、安全保障等様々な課題で。
同じ殻に閉じ籠っていればいいよと。
都議選で明確になったように、自民党への批判票の受け皿はトンデモ左翼の色が付いてない所だから。
被害を受けるのは、穏やかで冷静に主張するタイプの左翼になる。若い人間もそう。
前にシールズのリーダーの子がオールド左翼と一緒にしないで欲しいとインタビューで答えていたが、手遅れだったな。
叫べば叫ぶほど支持を減らすのが自然になった。

終わりの始まり。
コメント (11)
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父の短歌より  KEN

2017年07月07日 13時16分56秒 | Weblog

  明治末生まれの我等過去暗し わが若き日は暗黒時代

  歌作る仲間を思想集団となして ブラックリストに載せき

明治35年(1902) 生まれの父が丁度、私の今の年齢83歳 の時に当時を
回想して詠んだ歌です。
父は名古屋の旧制八高在学中の大正15年(1926)、たまたま三河の鳳来寺
の宿で歌人、若山牧水と出会ったことで、歌の道に入っていきました。

92歳で亡くなった父の最後の歌集「自然は最高にして」の後書きより。
「…私の若く感じ易い頃に、牧水先生に逢った事は、私の人生に火をつけた
事になった。私は退学し浪々し、其の間、生家の破産に逢った。その頃、
京都に居たが、金もなくなるし、職をさがしても、なかなか見当たらず
且は其の頃は私みたいな普通の生活をしていない者は危険人物視され、
警察のブラック・リストにものせられているらしく、" 故なく巷を彷徨
するもの " というので、これは後になって郷里の村役場の人から聞いた」。

父が若山牧水が創設した短歌結社「創作社」に入会したのが、大正11年
(1922) 。その2年後の大正14年に治安維持法が公布されています。
父のいう暗黒時代は昭和20年の終戦の日まで続きます。そして今、
インターネット時代の治安維持法とも云われる「共謀罪」法が参院本会議で
強行採決されました。なんだか父の時代と重なってきます。

戦後、平和憲法のもと、高度経済成長で豊かになった生活態度に対しても
警告しています。昭和61年(1986) の時の作です。

  戦後といふ安楽椅子に腰下ろし安安(やすやす)と居り 現代人は

また、90歳の時の作には

  利潤追求始終の如き現代は明朗の世か将(はた)暗黒の世か

  九十年生き来てわれは思ふなり 世論と言ふもの当(あて)にはならず

  権力者となへて大衆追随す これが軍専制時代の世論

  今にして思ふ 軍専制時代には面従腹背のわが生きざまなりき

面従腹背 つまり表向きは服従するかのように見せかけて、内心では反抗。
そんな時代に逆戻りしないよう願いたいものです。

            
コメント (2)
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