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僕を追い出そうと、10年の執念   文科系

2017年07月25日 18時48分42秒 | その他
 なんやかんやさんとの討論を僕からご遠慮した理由を今の時点で改めて、ここの200名ほどの常連の方々にお伝えしておきたい。
 その要点を先に述べさせて頂けば、彼の「討論」が彼の「狙い」達成まで続かざるを得ないと、僕が見たからである。「私的文章は他所で書け」というのは、僕にとっては「出ていけ」も同じことになる。そのことを知っている彼が再三僕にそう語ってきたのは「ここを出て行って欲しい」ということなのだ。僕が最初から「人間的文章なら何でも良いから」という友人の懇願によってここに参加して、成功のために12年努力を重ねて来て、自分なりに貴重な晩年の情熱を注いできた者に対して、出て行って欲しいと申し出ているのである。何の権利、もっと言えば「どういう動機から」こんな無礼なことを執拗に、言ってくるのか。

 今回のやり取りは、6月20日の拙エントリー「僕が政治論以外も書くわけ」における応答の前後に端を発している。この文章の以下は、これになんやかんやさんがつけられたコメントを初めにご紹介して、二人の最後の応答で終わろうと目論んでいる。
 なお、こんな彼の「狙い」が、彼の言葉で言えば、10年以上前からここにいろんな名前で参加してすぐの頃から彼の中に抱かれていて、ちょくちょく述べてきたことであるらしい。
『私は、ハンドルネームは変えていますが、10年近くここを見ています』
 そう言えばあのAさんも「同じ狙いと、やり口だったな!」とか、僕に思い当たる人は居る。名前を変えてまでこんな理不尽なことになぜ、どうして執念を燃やしてきたのか。読者もいろんな想像を働かせて頂きたいところである。

 なんやかんやさんは、6月20日エントリーにこんなコメントを付けて来られた。エントリーをお読み願えればお分かりの通りに、以下のコメントが、最初の出だしの「公的」、「私的」の意味と、それに付けられた丁寧な解説からしてもう、僕のこれらの使い方を誤読されている。


【 公的?私的? (なんやかんや) 2017-06-20 14:44:39
 政治的な事柄を書くのが「公的」で、随筆などを載せるのが「私的」で、両者を並列に載せればトータルになると言うのはいささか違うのでは。
 政治的なことを書いてもそれがかたくなで現実性や一般性をもち得ず、相互のディベイトの対象にならない場合には、私的なつぶやきにしか過ぎません。
 一見、私的な随想でも、それらが現実を撃つ内容を備えていればじゅうぶん公的なわけです。
 まあ、一般論はともかく、問題は、文科系氏のお載せになる、随筆類がまったく読まれていなくて、その意味ではここのメンバーに全く共有されていないということにあります。
 ここがまったく私的なブログならばそれでもいいのですが、IDもパスワードも公表されていて、誰もがトビ主になることができる公共の場であるとしたら、随筆類やお孫さんのご自慢はとても場違いな気がするのです。
 もちろん、それらをお書きになりたいお気持ちは分かりますし、お書きになることは自由です。
 そこでいかがでしょう、文科系氏の個人のブログをお持ちになって、そうした随筆類はそちらへお書きになり、その都度、「ブログ更新しました」ということでそのブログのアドレスのみをこちらへお載せになるというのは。
 そうなされば、文科系氏の個人のブログも充実し、それに興味をもつ方はこことそちらを自由に往還できるわけです。
 正直いって現状のベネズエラ論議と、ハーちゃんの話の並列は、文科系氏の「これがトータルな自分だ」との言明にかかわらず、なにか木と竹を継ぎ合わせたようで、ひどくブキッチョな自己顕示を押し付けられているな気がしてならないのです。】

 このコメントを読んだ僕の方は、お返事コメントを出さなかった。ちなみに、上の後半の言葉は「出てけ!」と語っているのであるから、出しようが無く、無視したのである。言い分の性質上言い方は柔らかいが、この文章を誰が読んでも、そうとしか読めないだろう。他人にどうしても何事かをさせようという時に使う飴と鞭の前者の「形」なのである。現に、この言い分に僕が無視を返すと、たちまち言葉激しくなって、こんな鞭、捨て台詞を飛ばして来られた。最後の『討論』をご紹介しておこう。

【 やっぱり (なんやかんや) 2017-07-24 16:35:33
 噛み合いませんねぇ。
 こちらはあなたの書いたテキストに沿って実証的に書いているのに、「こんな風にまともにとられても」とか、そんなつもりで書いたのではない(1970さんがいうところの「誤読」)と言われてしまえば、それでおしまいですよね。
 相撲でいったら、あなたに合わせて立ち会おうとしているのに、あなただけさっさと別の土俵へいってしまっているようなものです。
 こうした場でのまともなディベイトというのは、あくまでの相互のテキストに寄り添った記述のはずです。それに即して話をしているのに、それ自身を否定したり、ただ一方的にお前は間違っていると断定するだけなら、これは俺のおもちゃだと抱え込んで駄々をこねている幼児と一緒です。
 安倍氏のいう「こんな人たちに負けるわけに行かないんです」を地で行ったいるのが文科系さんの現状です。この言い方のアポリアは、それ自身が「こんな人たち」を拡大再生産してゆくということです。】

『 Unknown (文科系) 2017-07-24 21:53:30
「相撲でいったら、あなたに合わせて立ち会おうとしているのに、あなただけさっさと別の土俵へいってしまっているようなものです」 
 貴方のお返事がこのようなものだとは、僕には読めませんでした。それは僕の二つのお返事そのもの、特にその冒頭に書いてきたとおりです。
 それでもあなたは土俵に上がりたいと申し出ておられるのですが、これだけ噛み合わない話には、もう僕は上がりません。悪しからず。』

【 どうしようもないですね (なんやかんや) 2017-07-24 22:27:25
 やっぱりまた覗いたのが間違いのようでいた。
 ここはまともに話し合える場ではないことがよくわかりました。
 もうお邪魔しませんから、どうぞ独りよがりのマスターベーションをお続け下さい。】


 最後に、これは事実だから申し上げておきますが、この「出て行け」「止めろ」と、そのための「鞭」には、1970さんと、名無し君がさんざん加勢のコメントを書かれていました。唯物論を自称されるやのなんやさんと、熱烈与党支持者の後2者が期せずして共闘されたというのは、僕には極めて興味深かったです。なんやさんにはこんな共闘の意識など皆無だったでしょうが、熱烈な右の方々の彼への「加勢」には、僕は吹き出してしまったものです。
「敵の敵は、味方」
 面白すぎました。他方なんやさんは、この一方的加勢を今はどう理解されているのでしょうか。他人事ながら、僕には大変興味深いことです。
コメント (21)
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