鹿島の石井正忠監督が退任になった。彼の偉大な功績として、この随筆を再掲したい。2月7日のここに随筆として載せたものだ。文字通り、日本サッカー史上に残る金字塔だと思う。
コアな日本サッカーファンが、待ちに待った歴史的一勝を、鹿島アントラーズがとうとう上げた。十六年年末、世界各大陸チャンピオン・クラブが日本に集ったクラブW杯準決勝戦において、南米優勝者コロンビアのアトレティコ・ナシオナルを三対〇で破って、アジア勢で初めて決勝戦に進んだ。そしてその決勝戦では、世界の攻守きら星を絶頂期を見計らって収集しているかのスペインはレアル・マドリッドに九〇分では「二対二の同点」!
さてこんな結果から、二種類いると思われる日本人サッカーファンの一方、欧州と南米大陸との崇拝者とも言える人々の悔しがり様が僕の目に浮かぶのである。常々「追いつくには、五〇年かかる」などと吹きまくってきた人々だ。これを苦々しく観てきた僕は逆に、「日本も、そろそろ勝てそうになってきた」とあちこちで吹聴しまくってきたのだった。一五年年末の同じこの大会で、日本のサンフレッチェ広島が、アルゼンチンのリーベル・プレートと演じた白熱のゲームが脳裏に焼きついているからである。なんせ、このゲーム後半には相手リーベル監督は顔面蒼白だった。
さて 鹿島と日本サッカーは急に強くなったと認識している。二ゲームが同じように「組織的守備」で光った。「攻撃的守備から入り、相手攻撃がよく見えるチーム」と評すことができる。そういう一つの面白い戦い方を築き上げたなと感じる。レアルの鹿島評も、「守備が良い。攻守の切り替えも早い。本当によく走る」というものだし。そして、この走りが落ちてきた延長戦に入って鹿島はレアルに負けたのである。鹿島のエースでレアルから二得点を挙げた柴崎岳が悔しげにそう語っていたが、逆に言えば九〇分走り回されたから延長戦に入って走れなくなって失点ということだろう。アトレティコにしても、世界最高かつ旬の選手を集めたレアルはなおさら、個人能力でいえば鹿島より数段上のチーム。それを、組織の見事さ、特に組織的走りで対等に戦ったという典型的なゲームだった。この一勝と「九〇分は同点」との二ゲームは、今後のアジア勢がビデオを回しては教訓、自信にしていくはずのものであって、今後の世界戦がますます楽しみになってくる。
二冊の雑誌に載った石井・鹿島監督の言葉で、この偉業を解説してみよう。
① まず鹿島の戦い方の特徴であるが、石井さんはこう説明する。
『自分たちからボールを奪いに行く守備の形や、攻撃では相手陣内で自分たちがボールを動かす時間を長くすることです』
『まずは相手の攻撃力を削ぐことと、自分たちがボールを持ったときに、しっかり相手陣内で動かしてスキを狙って攻撃することがポイントだと考えました』
② 石井さんはまた、①に関わりかつこれにプラスして、次のことを強調している。
『たとえば浦和や川崎のようなスタイルも良いと思いますが、それプラス優勝するためには、勝負に対する執着心が絶対に必要で、その点では三チームの中で、我々が一番だったと思っています』
とこう語って、クラブの古い選手らと同じように付け加える。
『それはやはり(Jリーグ発足時にこのチームにいた)ジーコの存在が大きい。(中略)二四時間サッカーのことを考え、試合から逆算して日々の生活をしなさい、というプロとしての姿勢から始まって、(中略)プロのサッカー選手とは何かを教えてもらいました』
③ 最後に、今期鹿島の強化から外せない一つのエピソードも上げておこう。選手と監督との感情的もつれから監督の休養にまで発展した大事件がサッカー界に知れ渡っているが、これを石井さんが乗り越えた経過について、ある雑誌がこんな解説をしている。
『ミーティングの最後には、必ず発言の機会を設けるなど、選手の意見を尊重してきた配慮が、結果的に仇となる。選手間で意見が衝突することもしばしばで、チームは方向性を見失ってしまうのだ。そうして、“事件”は起こるべくして起きる』
石井さんはここから、『(ミーティングの場所としては)自らの方針と要求を伝えるだけで、選手の意見を聞く時間はなくなった』と変化したのである。こうして、『監督の立場なら苦しい時期もあるのだから、そこから逃げてはいけない』ということが、これまでと一番変わったところと語られている。「選手の意見を聞くのは個別におおいにやって、最終方針は監督が一人で孤独に決めて、全員の場所ではこれを言い渡す」と変わったということだ。選手の意見採取と監督方針への集中とをぎりぎりまで最大限闘わせあった上で、最後は監督方針を押し通すと決めたという、こういうチームは確かに強くなると思う。選手の意見としては特に、小笠原、金崎、曽ヶ端などの発言内容、発言力も見逃せないということなのだろう。こうして先期の鹿島は、集団競技の最も肝要かつ難しいところを、一山越えるようにして前進させ得たのである。至難の一山を越えたときには選手らの結集力も一皮むけたのだろうし、こんなチームは強くなるはずだと、二つのサッカー雑誌特集から読ませてもらった。
コアな日本サッカーファンが、待ちに待った歴史的一勝を、鹿島アントラーズがとうとう上げた。十六年年末、世界各大陸チャンピオン・クラブが日本に集ったクラブW杯準決勝戦において、南米優勝者コロンビアのアトレティコ・ナシオナルを三対〇で破って、アジア勢で初めて決勝戦に進んだ。そしてその決勝戦では、世界の攻守きら星を絶頂期を見計らって収集しているかのスペインはレアル・マドリッドに九〇分では「二対二の同点」!
さてこんな結果から、二種類いると思われる日本人サッカーファンの一方、欧州と南米大陸との崇拝者とも言える人々の悔しがり様が僕の目に浮かぶのである。常々「追いつくには、五〇年かかる」などと吹きまくってきた人々だ。これを苦々しく観てきた僕は逆に、「日本も、そろそろ勝てそうになってきた」とあちこちで吹聴しまくってきたのだった。一五年年末の同じこの大会で、日本のサンフレッチェ広島が、アルゼンチンのリーベル・プレートと演じた白熱のゲームが脳裏に焼きついているからである。なんせ、このゲーム後半には相手リーベル監督は顔面蒼白だった。
さて 鹿島と日本サッカーは急に強くなったと認識している。二ゲームが同じように「組織的守備」で光った。「攻撃的守備から入り、相手攻撃がよく見えるチーム」と評すことができる。そういう一つの面白い戦い方を築き上げたなと感じる。レアルの鹿島評も、「守備が良い。攻守の切り替えも早い。本当によく走る」というものだし。そして、この走りが落ちてきた延長戦に入って鹿島はレアルに負けたのである。鹿島のエースでレアルから二得点を挙げた柴崎岳が悔しげにそう語っていたが、逆に言えば九〇分走り回されたから延長戦に入って走れなくなって失点ということだろう。アトレティコにしても、世界最高かつ旬の選手を集めたレアルはなおさら、個人能力でいえば鹿島より数段上のチーム。それを、組織の見事さ、特に組織的走りで対等に戦ったという典型的なゲームだった。この一勝と「九〇分は同点」との二ゲームは、今後のアジア勢がビデオを回しては教訓、自信にしていくはずのものであって、今後の世界戦がますます楽しみになってくる。
二冊の雑誌に載った石井・鹿島監督の言葉で、この偉業を解説してみよう。
① まず鹿島の戦い方の特徴であるが、石井さんはこう説明する。
『自分たちからボールを奪いに行く守備の形や、攻撃では相手陣内で自分たちがボールを動かす時間を長くすることです』
『まずは相手の攻撃力を削ぐことと、自分たちがボールを持ったときに、しっかり相手陣内で動かしてスキを狙って攻撃することがポイントだと考えました』
② 石井さんはまた、①に関わりかつこれにプラスして、次のことを強調している。
『たとえば浦和や川崎のようなスタイルも良いと思いますが、それプラス優勝するためには、勝負に対する執着心が絶対に必要で、その点では三チームの中で、我々が一番だったと思っています』
とこう語って、クラブの古い選手らと同じように付け加える。
『それはやはり(Jリーグ発足時にこのチームにいた)ジーコの存在が大きい。(中略)二四時間サッカーのことを考え、試合から逆算して日々の生活をしなさい、というプロとしての姿勢から始まって、(中略)プロのサッカー選手とは何かを教えてもらいました』
③ 最後に、今期鹿島の強化から外せない一つのエピソードも上げておこう。選手と監督との感情的もつれから監督の休養にまで発展した大事件がサッカー界に知れ渡っているが、これを石井さんが乗り越えた経過について、ある雑誌がこんな解説をしている。
『ミーティングの最後には、必ず発言の機会を設けるなど、選手の意見を尊重してきた配慮が、結果的に仇となる。選手間で意見が衝突することもしばしばで、チームは方向性を見失ってしまうのだ。そうして、“事件”は起こるべくして起きる』
石井さんはここから、『(ミーティングの場所としては)自らの方針と要求を伝えるだけで、選手の意見を聞く時間はなくなった』と変化したのである。こうして、『監督の立場なら苦しい時期もあるのだから、そこから逃げてはいけない』ということが、これまでと一番変わったところと語られている。「選手の意見を聞くのは個別におおいにやって、最終方針は監督が一人で孤独に決めて、全員の場所ではこれを言い渡す」と変わったということだ。選手の意見採取と監督方針への集中とをぎりぎりまで最大限闘わせあった上で、最後は監督方針を押し通すと決めたという、こういうチームは確かに強くなると思う。選手の意見としては特に、小笠原、金崎、曽ヶ端などの発言内容、発言力も見逃せないということなのだろう。こうして先期の鹿島は、集団競技の最も肝要かつ難しいところを、一山越えるようにして前進させ得たのである。至難の一山を越えたときには選手らの結集力も一皮むけたのだろうし、こんなチームは強くなるはずだと、二つのサッカー雑誌特集から読ませてもらった。