九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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ふ~ん、シリアをやるのね 1970

2017年07月13日 07時22分57秒 | Weblog
先に一応書いとくと、青山教授はバース党寄りのアサド支持派。私がここにシリア情勢なんてトピで書くときに参考にするのは、同志社大学の内藤教授。ちなみに内藤教授は左翼で安倍批判も厳しいが 笑、中東情勢の情報量と分析は確か。
勿論、青山教授の情報も参考にはする。アサドの代弁者と批判されるだけあって政府軍の動向に関してはかなり詳しいので。但し、ホワイトヘルメットに関してはいただけなかった。
その辺りはアサド支持なので反政府勢力には厳しい立ち位置になる。
逆に思い切り反アサドの研究者も居るがそれはそれで極端になるのであまり参考にはならない。丁度真ん中辺りに居てアサドにもロシアにもアメリカにもトルコにも苦言するのが、内藤教授ということなんで、しばしば下敷きにさせてもらっている。
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書評の予告「シリア情勢」   文科系

2017年07月13日 04時22分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 シリア情勢は、現在世界政治の焦点の一つだ。そもそも、現世界で最も多くの人々が亡くなられている出来事が進行中の国なのだし、世界を揺るがせている難民問題の最大源泉なのだし、この日本にも大きな責任の一端がある事件でもあるのだから。イラク戦争がなければ、シリア問題は間違いなく存在しなかった。そして、我が日本国はこのイラク戦争に有志国として参戦している。日本国憲法の解釈を強引にねじ曲げてまでも。

「死者47万人、難民311万人、負傷者190万人 かくも過酷な事態を生んだ複雑な地政学を読み解く」
 これが、この本の帯の言葉。「シリア情勢 終わらない人道危機、青山弘之著、岩波新書、17年3月第一刷発行」
 この本の裏帯にもこんな文章があった。
「シリア内戦における混乱を再生産しているのは、シリアにとって異質な部外者であり、シリアの人々は彼らが繰り広げるゲームの駒になりさがってしまった。(本書「おわりに」より)」

 さて、この本を一応読み終えたその第一印象は、なによりもこの二つ。日本に広がっている報道内容と何と異なった印象であることか。どこが違うのか。

① 反体制派、反政府軍ついて、日本のマスコミは「過激派」と「穏健派」という区別、峻別をしてきたと記憶するが、この区別がこんなにも難しく、この後者はもう無数の派閥がいるということ! のみならず、両派の共闘などは日常茶飯事で入り乱れており、穏健派って一体何なのだなどなどと、何が何だか分からなくなるということである。

② この無数の反体制派の後援国がまた、軍事教練などを直接行ってきたアメリカを筆頭に多数存在して、これも何が何だか分からないという状況が存在する。一例として、2014年1月22日、国連主催第二回シリア和平協議参加状況を見てみよう。実に四〇カ国が参加している。
『シリアの友グループ諸国、ロシア、中国、イラク、レバノンなど四〇カ国、そして欧州連合(EU)、アラブ連盟が参加したこの会議は、アサド政権と「反体制派」が戦闘停止と政治移行プロセス開始に向けて直接協議を行う場として用意された。
 だが、会議は開催前から難航した。その理由は、シリアの友グループが批判を続けるシリア軍の攻撃継続ではなく、「反体制派」内での主導権争いにあった』(112ページ)
 と言う具合に、「穏健な反政府軍」が諸派に入り乱れているのである。その理由は、背後に諸大国が控えていること。アメリカ、サウジ、トルコ、ロシア、イランなどなどである。それも米ロのみならず、トルコ、サウジ、イランの役割が大きいとあった。それぞれが軍隊を派遣しているも同然というように。


 なお、青山弘之というこの著者は、こういうお方である。東京外語大アラビヤ語科、一橋大学大学院社会学研究科を出られて、フランス中東研究所とかJETROアジア経済研究所とかにも在籍されていた、と。


 
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ハリルジャパン(100) 旭日旗掲げる愚   文科系

2017年07月13日 03時53分41秒 | スポーツ
 浦和のファンなど度々のように犯してきた標記のことだが、「普通の世界スポーツ常識」にも反する実に愚かな行為である。これを理解できない日本人若者ファンが後を絶たないのは、一体どうしたことか。日本の恥部のように恥ずかしいものと考えてきた。その理由を少々。

 国際ゲームでは、相手国、ファンの気持ちを考慮することは、当然のマナー、義務になる。相手を傷つける行為は、どういう理屈を語ろうと独りよがりの判断、応援態度ということになる。喧嘩騒動に繋がる行為だからである。国際ゲームでファン同士が喧嘩になるということは、ゲームができなくなるということ。こんなことは国際競技では何度も何度も起こったことだから、世界のサッカー諸組織は「相手への攻撃的、挑発的応援」を禁じてきたのだ。ところが、これを踏み外す日本人が後を絶たないのは、どうしたことだろう。単純に、島国の国際的無知という事に加えて、最近の日本の右翼的風潮も絡んでいると思う。

 国際的な場で、他国を傷つける言動に出るということに、日本人はもっと敏感にならなければならない。他国を傷つけるか否かは、「こちらの理屈」は一切関係ないということでもある。若者に対するそういう教育も足らなかったということなのだ。そんな教育は、普通に考えてみれば当たり前のことなのだけれど。そういう恥部が、日本代表が関わる国際サッカー競技場には度々繰り広げられてきたのだ。重ねて、恥ずかしいことである。
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