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コメントにしようかと思ったが長いので 1970

2017年07月30日 17時35分32秒 | Weblog
色々参考にしている所に、アメリカのジョセフ・ナイ教授の面白い分析があったので。
著書『国際紛争』をベースに。

所謂『介入』に対する、リアリスト(現実主義者)、コスモポリタン(世界市民主義者)、国家中心主義者からの評価。

①リアリスト
リアリストにとって介入は、秩序が保てるなら介入は正当化される。リアリストにはバランスオブパワーこそが秩序と平和の根幹だから。
教授は東西冷戦を例にあげる。
「冷戦時代における勢力図がその例。アメリカは1965年に西半球においてこれ以上共産勢力が増えないように、ドミニカに、そして1980年代に中央アメリカに介入した。ソ連も東欧で共産勢力を維持する為に介入した。ソ連が宣言したブレジネフドクトリンによれば、自らの勢力圏の中で社会主義を維持する為にソ連は介入する権利があると」

②コスモポリタン
コスモポリタンの根本は正義であって国際制度の根幹になるものは「個人」の集合からなる「世界社会」になる。
だから、介入が個人の正義と人権を守り促進するのであれば、介入は正当化される。
「冷戦の最中には、自由主義的なコスモポリタンにとって、フィリピンのマルコス政権や南アフリカのアパルトヘイト政権等の右翼政権に対する介入は正当なものとされ、保守的なコスモポリタンにとっては、ニカラグアのサンディスタ政権やアンゴラやモザンビークの共産政権に対する介入は、これらの政権が民主権利を侵害しているのだから、介入は正当なものとされた」

③国家中心主義者
国家中心主義者にとっては、国民と国家の自律性こそが根本であり、彼らにとっての国際社会は、国際法に伴う諸国家からなる社会である。
その中で最も重視されるのが「他国に対する不介入」なので、介入が正当化されることは殆どない。彼らにとって戦争とは、国家の領土、国としての一体性を守る為にもしくは外部からの侵略に対して、自らの主権を守る時のみ正当化される。
しかしながら、現実の世界とは複雑で外部からの侵略そのものが曖昧に定義されることが多い。

まあ、こんな話があった。そして、人道的介入に関して、慶應大の駒村圭吾教授が以前『ジュリスト』でこんな話をしていた。
人道的介入が合法かということについて、自衛の場合を除き、武力行使は包括的に禁止されている為、合法な人道的介入があるとしたらそれは、国連憲章7章に規定された安保理による強制措置として行われる場合に限られる。
そして、そのような合法性の体系に分類されうる人道的介入は殆ど存在せず
「今や人道的介入は国際慣習法化している」
という構成を採りでもしない限り違法である。にも関わらず、同時に何らかの水準でこれを正当化し、違法の評価を乗り越えようとする試みが精力的になされてきたのも「人道的介入」の特徴であり、ユーゴ紛争に対するNATOの介入に対して下されたコソヴォ独立国際委員会報告書による評価
「違法であるが、正当である」
が、ひとつの標準的な法的評価として有名である。

コメント (6)
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シリア政権、国連加盟国の権利  文科系

2017年07月30日 11時51分16秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 以下の文章は昨日の「シリア論争 僕なりのまとめ」の続編に当たる。内容は、この6項目の国連法的考察ということだ。つまり、こういう国連法があるから昨日の6項目は正しいということを論ずることになる。なお僕には、日米マスコミがこういう論点を全く放棄しているように見えるのである。ネトウヨ諸君が国連を語ったことがないのは、日本関連のことしか知らないだけではなく、イラク戦争のように世界の警察官に励むべく国連を無視してきたアメリカ世界戦略の産物でもあると観てきた。


 昨日の「シリア問題、僕なりのまとめ」の箇条書き6点を、ほぼこのままエントリー以前に書いたコメントに、1970さんから、4本のご応答があった。その応答内容が国際法上極めて重要な事項に抵触する言葉、考え方が多いと読んだので、ここにエントリーとしてお応えすることとした。
 70さんの応答内容が抵触する主要な論点は三つあるだろう。一つは、国連憲章第2条「(国連の)原則」第4項の「領土保全又は政治的独立」にかかわるもの。ついで、同じく第7項「いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限」に関わるもの。および、これら2条に示されたような権利享受を認められた加盟国の重要さに鑑みた「第2章 加盟国の地位」と、これを巡る加盟手続きである。
 以下、70さんの問題文章を上げて、以上を論じてみたい。

①『独裁者による限度を超えた圧政や民衆の虐殺を正当化する国際法なんてのも何処にも無い』
 虐殺や独裁を正当化する法律は確かにどこにもない。だが、国連加盟国には守られる権利が数々あるのだと示してみよう。
 第2条第4項は「領土保全又は政治的独立」を保証していて、「武力による威嚇又は武力の行使」を受けないことになっている。
 また、加盟国の内政問題には国連でさえ、ましてや加盟各国は干渉できないというのが、2条7項である。
 例えば、アメリカによるシリア空軍基地へのミサイル打ち込みが以上の国連法に違反するとは、世界の法律家のほとんどが解釈することだろう。

②こういう国連と加盟各国であるからこそ、国連加盟国問題は非常に厳格なものだ。加盟承認と、「加盟国としての権利及び特権の禁止」、「加盟国の除名」などは、国連総会決定事項とされており、しかもそこで3分の2の多数を要することになっている。日本国憲法改正のような重々しさと言える。国連から見たアサド政権とは、何よりも「こういう存在だ」ということを強調しておきたい。
 国連は独立国単位の加盟組織であるから、そしてどんな国にも内乱や政権交代があるのだからから、「加盟国とは何か」というのは極めて重要な視点、話題になる。

③ では、70さんが心配されているやのこういう問題は、どうなるのか。
『まあホントにそんなこと考えてるなら(と、昨日の僕の6項目を挙げて)・・・世界に蔓延る独裁者達が泣いて喜ぶよ』
『加えて国際法ってやつは残念ながら、法的拘束能力も強制執行機関も無い。独裁者の殺戮に怯える民間人は誰に頼ればいいんだ? その視点が決定的に欠けてるよ』
 こう言える側面が、国連法に存在するのは確かだ。自衛権の発動と安保理の承認があった時以外は、武力の行使は出来ないのだし、武力行使が、相手国の「国内管轄権内にある事項に干渉する権限」に関わるものであるならば、「安保理の承認」議題にさえ上げられないのである。よって、以下のような解説も必要になろう。

④ 民主主義にもとる強権的政権の改善は、現在の国連法に関する限りなによりも国民がやることとされている。それが、第2条第7項「いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限」(の禁止)、つまり、革命の輸出による被害の方が遙かに大きかったと、数々の歴史から学んだ結果なのだ
 古くはベトナム戦争。国連の制止を振り切って敢行され関連死含めて50万の死者を出したイラク戦争。アメリカ、サウジ、カタールなどが関わった外からの猛烈なシリア内乱工作。これらの被害がどれほど大きかったか!
 またちなみに、これらの戦争で攻め入られた国連法上の独立国政権側が例えばロシアに支援を求めるのは、国連法で言う自衛権に属することとさえ見うるのではないか。
 また、アル・カーイダ、イスラム国、シリア・ヌスラ戦線、世界へのテロの拡散、膨大な数の難民。これらすべてが、徒な外部からの干渉の産物だったという側面も見ておかねばならない。アサドの残忍さなるものでさえ、彼らとの間のこういう憎しみの連鎖、このエスカレートの結果、産物とも言えるのである。外から憎しみの連鎖を駆り立てるのは、国際法上最悪の行為ということであろう。

 こういう憎しみの連鎖の結果あれこれを、「シリアの友」側から一方的に見る論調は、以上全てから言って国連法の見方ではない考える。つまり、「いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限」は、これを認められないということだ。現在までの国際法では、そういうことしかできない。
コメント (3)
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