アメリカ・トランプの保護主義は、国際法、慣行を無視した利己主義極まるもの。世界経済、その世界総需要収縮などどうでも良いというような、昔だったら戦争が起こる乱暴狼藉である。
それに慌てた安倍政権も流石に、中国、BRICSを無視できなくなったようだ。アベとしては初めて、日本国家の政権としても7年ぶりだかの首脳会談目指して、懸命な求愛下交渉を始めた。こうなることは、もう初めから分かっていたことである。GDPの4倍を超える国家累積赤字を抱えて困っている国に頼り、ここに着いていくだけでは碌なことはないと。なにせ、こんな国家大赤字を抱えていても、年60兆円だかの軍事費だけは減らさないで来たアメリカだ。最大の圧力団体・産軍複合体の威力によるもので、こんな国に日本が着いていっても、もはや高価な兵器を買わされるだけのこと、自動車の輸出を維持する程度では到底割に合わなくなるばかりだ。この先いずれ、アメリカの戦争のために日本の若者が死ぬことになる。
さて、こういう今を一種見通していたというように、アベの対米政策に反旗を翻していたやの骨のある元外務官僚が居る。孫崎享である。その書を紹介した旧稿を3回にわたって再掲したい。今こそ耳を傾けるべき著作の紹介である。
【 日米外交、一つの転換点・・・ 文科系 2015年04月02日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)
はじめに
今、日米外交が一つの転換点に遭遇していると思う。それを示したのがこれ、15年末開設を目指したアジア・インフラ・開発銀行が世界中で脚光を浴びているのである。日米最大の同朋国だった英国苦肉の参加決定以降、初代参加国に名乗りを上げる雪崩現象が世界中で湧き起こっている。18日には英独仏伊が加わって27ヶ国だったものが、1日の中日新聞では、こう報道された。
『創立メンバー・参加表明国が31日の申請期限までに46ヶ国に上った』
同じ日米同朋の韓国やオーストラリアは既に加盟したし、G7のカナダまでが加わる見込みと伝えられた。アメリカは隣国カナダに対して起死回生の制止・懐柔工作を暗躍これ努めていることだろう。世界主要国では、日米だけが乗り遅れたという形になった。中国はこういう日米をも歓迎しているのだから、日米不参加には意地のようなものしか感じられない。世界銀行とアジア開発銀行それぞれの歴代総裁国として、中国の発言権拡大を拒んできた者という意地でもあるのだろう。アジア通貨危機とその後始末などでこの二つが嫌われ尽くしたから、亜インフラ銀行への雪崩現象が起こっているのであるから、今の転換点が極めて深刻な物だと示されているのである。
国境問題で中国と揉めているフィリピンやベトナムも参加したが、これは日本の右の方々にとっては不快この上ない出来事になるはずだ。「国境? 領土? そんなことより今の失業者をどうするのか?」。けっして安定的労働者とは言えないはずの日本のネトウヨ諸君こそむしろ、ここから学ぶべきなのである。
ちなみに、英国の参加決定でも、こんな激論があったという。「日米関係にひびが入る」と猛反対したのが英国外務省。対して「国民がどうやってくっていくのか」と反論した財務省に、キャメロン首相が同意したのだった。
今我々は、世界が音を立てて変わっていくその転換点に立っているのだと思う。
スペイン、オランダ、イギリス、米国と、歴史上の世界新興経済大国が遅かれ早かれ国際政治の強大国にもなったというのは、歴史の法則。戦後政治の次の転換点が意外に速いのではないかという観点から、一つの考察を試みたい。戦後世界政治にもう一つ大転換点があったのは、つい25年前。それを振り返ることによって国際政治の近い将来を正しく観測していく一つの資料を提供しようという意図である。
(1)日米は冷戦終結をどう迎えたか
冷戦終結と東欧崩壊。今からわずか25年前1990年前後のこれは国際政治における100年に一度の大事件だったと言える。この時の日米は肩を並べて世界で頭抜けた経済大国だったから、それぞれが互いを意識しあって、この転換点をどう迎えるかで大議論になった。結果は、まさに大議論を行ったアメリカの決定に日本が従属し直したのであるが、以来25年間、日本住宅バブル破裂、リーマンショックなども挟んで、日米の経済的没落、中国の台頭が続いた。このことは、世界周知の事実である。
この冷戦終結後に、アメリカはどんな議論をして、日本をどう従属させ直したか。このブログでも紹介した好著を種本にして、この時の議論をご紹介したい。13年1月3~7日の5回にわたった当ブログ拙稿の孫崎享著「戦後史の正体」第6章の要約紹介である。まず、この著者のご紹介。
【43年生まれで外務省に入省し、ウズベキスタンやイランの大使を歴任し、国際情報局長から、最後は防衛大学教授を務めていた。日本最高レベルの国際情報掌握者であって、かつ冷戦直後の93~96年にウズベキ大使を務めていたとなれば、冷戦後のアメリカ、その恥部などを最もよく知っている人物と言えるだろう。そういう人物が退職後の晩年に近くなって反政権・反米と言える著作を書いたとなれば、これは一読の価値ありというものである。】
【 孫崎はこの章の書き出し近くで、こんな文章を引用している。後のアメリカ統合参謀本部議長コリン・パウエルが、議長就任の前年1988年春にソ連のゴルバチョフから打ち明けられた話なのである。
『1988年春、ゴルバチョフは私に「将来私は冷戦を終わらせるつもりだ。あなたは新しい敵を探さなければならない」と述べた。「信じられない。しかし彼は本気だ」私は口にこそ出さなかったがこう思ったものである(中略)
米軍がこれまで維持してきた膨大な兵士や兵器は不要になります。ソ連を仮想敵国として作られてきた軍事戦略も意味のないものになります】
【こうした状況のなかで米国が考えるべきことは次のふたつです。ひとつは「ソ連が崩壊したあとも、われわれは強大な軍事力を維持する必要があるだろうか。もし維持しようとした場合、国民の支持が得られるだろうか」という問題。もうひとつは「日本の経済力にどうやって対抗するか」という問題】
(続く (2)はこういう内容です「冷戦終結、アメリカは「最大の脅威・日本」にどう対処したか」)】
それに慌てた安倍政権も流石に、中国、BRICSを無視できなくなったようだ。アベとしては初めて、日本国家の政権としても7年ぶりだかの首脳会談目指して、懸命な求愛下交渉を始めた。こうなることは、もう初めから分かっていたことである。GDPの4倍を超える国家累積赤字を抱えて困っている国に頼り、ここに着いていくだけでは碌なことはないと。なにせ、こんな国家大赤字を抱えていても、年60兆円だかの軍事費だけは減らさないで来たアメリカだ。最大の圧力団体・産軍複合体の威力によるもので、こんな国に日本が着いていっても、もはや高価な兵器を買わされるだけのこと、自動車の輸出を維持する程度では到底割に合わなくなるばかりだ。この先いずれ、アメリカの戦争のために日本の若者が死ぬことになる。
さて、こういう今を一種見通していたというように、アベの対米政策に反旗を翻していたやの骨のある元外務官僚が居る。孫崎享である。その書を紹介した旧稿を3回にわたって再掲したい。今こそ耳を傾けるべき著作の紹介である。
【 日米外交、一つの転換点・・・ 文科系 2015年04月02日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)
はじめに
今、日米外交が一つの転換点に遭遇していると思う。それを示したのがこれ、15年末開設を目指したアジア・インフラ・開発銀行が世界中で脚光を浴びているのである。日米最大の同朋国だった英国苦肉の参加決定以降、初代参加国に名乗りを上げる雪崩現象が世界中で湧き起こっている。18日には英独仏伊が加わって27ヶ国だったものが、1日の中日新聞では、こう報道された。
『創立メンバー・参加表明国が31日の申請期限までに46ヶ国に上った』
同じ日米同朋の韓国やオーストラリアは既に加盟したし、G7のカナダまでが加わる見込みと伝えられた。アメリカは隣国カナダに対して起死回生の制止・懐柔工作を暗躍これ努めていることだろう。世界主要国では、日米だけが乗り遅れたという形になった。中国はこういう日米をも歓迎しているのだから、日米不参加には意地のようなものしか感じられない。世界銀行とアジア開発銀行それぞれの歴代総裁国として、中国の発言権拡大を拒んできた者という意地でもあるのだろう。アジア通貨危機とその後始末などでこの二つが嫌われ尽くしたから、亜インフラ銀行への雪崩現象が起こっているのであるから、今の転換点が極めて深刻な物だと示されているのである。
国境問題で中国と揉めているフィリピンやベトナムも参加したが、これは日本の右の方々にとっては不快この上ない出来事になるはずだ。「国境? 領土? そんなことより今の失業者をどうするのか?」。けっして安定的労働者とは言えないはずの日本のネトウヨ諸君こそむしろ、ここから学ぶべきなのである。
ちなみに、英国の参加決定でも、こんな激論があったという。「日米関係にひびが入る」と猛反対したのが英国外務省。対して「国民がどうやってくっていくのか」と反論した財務省に、キャメロン首相が同意したのだった。
今我々は、世界が音を立てて変わっていくその転換点に立っているのだと思う。
スペイン、オランダ、イギリス、米国と、歴史上の世界新興経済大国が遅かれ早かれ国際政治の強大国にもなったというのは、歴史の法則。戦後政治の次の転換点が意外に速いのではないかという観点から、一つの考察を試みたい。戦後世界政治にもう一つ大転換点があったのは、つい25年前。それを振り返ることによって国際政治の近い将来を正しく観測していく一つの資料を提供しようという意図である。
(1)日米は冷戦終結をどう迎えたか
冷戦終結と東欧崩壊。今からわずか25年前1990年前後のこれは国際政治における100年に一度の大事件だったと言える。この時の日米は肩を並べて世界で頭抜けた経済大国だったから、それぞれが互いを意識しあって、この転換点をどう迎えるかで大議論になった。結果は、まさに大議論を行ったアメリカの決定に日本が従属し直したのであるが、以来25年間、日本住宅バブル破裂、リーマンショックなども挟んで、日米の経済的没落、中国の台頭が続いた。このことは、世界周知の事実である。
この冷戦終結後に、アメリカはどんな議論をして、日本をどう従属させ直したか。このブログでも紹介した好著を種本にして、この時の議論をご紹介したい。13年1月3~7日の5回にわたった当ブログ拙稿の孫崎享著「戦後史の正体」第6章の要約紹介である。まず、この著者のご紹介。
【43年生まれで外務省に入省し、ウズベキスタンやイランの大使を歴任し、国際情報局長から、最後は防衛大学教授を務めていた。日本最高レベルの国際情報掌握者であって、かつ冷戦直後の93~96年にウズベキ大使を務めていたとなれば、冷戦後のアメリカ、その恥部などを最もよく知っている人物と言えるだろう。そういう人物が退職後の晩年に近くなって反政権・反米と言える著作を書いたとなれば、これは一読の価値ありというものである。】
【 孫崎はこの章の書き出し近くで、こんな文章を引用している。後のアメリカ統合参謀本部議長コリン・パウエルが、議長就任の前年1988年春にソ連のゴルバチョフから打ち明けられた話なのである。
『1988年春、ゴルバチョフは私に「将来私は冷戦を終わらせるつもりだ。あなたは新しい敵を探さなければならない」と述べた。「信じられない。しかし彼は本気だ」私は口にこそ出さなかったがこう思ったものである(中略)
米軍がこれまで維持してきた膨大な兵士や兵器は不要になります。ソ連を仮想敵国として作られてきた軍事戦略も意味のないものになります】
【こうした状況のなかで米国が考えるべきことは次のふたつです。ひとつは「ソ連が崩壊したあとも、われわれは強大な軍事力を維持する必要があるだろうか。もし維持しようとした場合、国民の支持が得られるだろうか」という問題。もうひとつは「日本の経済力にどうやって対抗するか」という問題】
(続く (2)はこういう内容です「冷戦終結、アメリカは「最大の脅威・日本」にどう対処したか」)】