最近互いのブログを相互訪問しているゲタノウラさんのブログで、とても面白いランニング・フォーム議論ができた。古い本のフォーム解説やその写真などとは全く違うから、最新のフォーム議論なのだと思う。げたのうらさん、どうも有り難うございましたという言葉を添えて、2人の議論を転載、紹介させていただく。なお彼は、フルマラソン目指しつつ、トライアスロンもやっている、60歳代中程のランナー、だったかな?
【 ほとんど賛成? (文科系) 2019-12-30 20:08:16
貴方が書いていた『頭より先に足を出さないように』で僕が理解した事が正に今回のこれ。
『ストライドを伸ばすのは蹴り脚で』
そのことを僕の17日文章ではこのように書いています
『後ろ脚を蹴るというよりもこれで地面を突っつくような感じで走ってみる。突っついたその反動で脚をその付け根の骨盤から前に出すその度合いも前よりは小さくするというやり方である』
『蹴った後の脚は「骨盤から運ぶ」とか「腰高の走りが良い」などは知っていたが、蹴り中心で走るのは短距離だけのように、僕は誤解していたようだ』
さて、ここで使った「蹴るというよりもこれで地面を突っつくような感じで」という言葉を説明しますね。僕がこう理解したのは、女子オリンピック選手を多く出した川本和久氏の短距離走法書からです。福島大学教育学部の教授で、そこの陸上部の総監督、アメリカはカール・ルイスのコーチらから学んだ日本短距離指導の第一人者というお方です。この短距離走法と、長距離との共通性を「蹴った足で走る」と僕は理解し直しました。その際の蹴り方を氏は「足裏全体で地面を思い切り強く叩く」と教えています。当然膝も思い切り伸ばすことになるのですが、長距離ではそれは違うだろうと併せて理解したわけでした。「自分が一番長続きする程度に、地面を叩く」が正解と理解しました。だから当然、短距離のようには地面を強く叩いた脚の膝を思い切り前へ持って行ってストライドを延ばすことはしないだろう、とも。
足を蹴るというと、何か、「足裏で地面を後ろにこすり上げて、その勢いで足を前に出す」という感じがしませんか? そういう蹴るではなく「突っつく」と表現したわけでした。地面をつついたその反動を利用する以外の余分な足の筋肉は使わないという意味を付与したつもりです。
この走り方と、心拍数 (文科系) 2019-12-30 20:18:48
この走り方が合理的と確信した理由が、心拍数です。同じ10キロ時の心拍数が、僕で言えば平均心拍数で10近く下がってくるから疲れないのです。ストライドは減りますがピッチ数が30以上も増えても、余分な筋肉を使っていないということなのでしょうね。 】
【 ランニングフォーム (げたのうら) 2019-12-30 21:52:33
文科系さん、
講習会でコーチは膝は曲げないで走れっ、とも言っていました。現実にはそんなことは無理ですが、意識としては2本の棒で交互に地面を跳ねる(文科系さんの仰る突っつく感じですね)と言う感覚です。
そして遊脚(身体の重みの掛からない方の足、走っていて着地した足の反対側の足のこと)は素早く戻して着地する前から蹴る(跳ねる)準備を心がけることも大事だそうです。突っつくという表現は正しいと私も思います。
平均心拍数が10も違うのは凄いですね。私はそこまでの違いはないと言うか、私の場合心拍数はその日の体調によって日々異なるので何とも言えません。でも楽な走りが出来れば心拍数も少なくなるのが自然なんでしょうね。 】
【 待っていたようなお返事 (文科系) 2019-12-30 22:14:40
標記の通りで、とても嬉しい。こんな部分が。
『2本の棒で交互に地面を跳ねる・・と言う感覚です』
『素早く戻して着地する前から蹴る(跳ねる)準備を心がけることも大事だそうです』
「跳ねる」も「(跳ねる)準備を心がける」も、非常によく分かります。なんか、僕が言いたかったことを最もよく表現してくれているような。
我が意を得たりと、とても心強くなりました。僕の一定持続最高心拍数は165ほどだと思いますが、この走法で30分4・95キロの時が147だったんですよ。これからがとても楽しみになったんです。 】
【 ありがとうございます (げたのうら) 2019-12-31 13:05:04
文科系さん、
心拍数がそれ程までに下がるのはしっかりとしたベースが出来ていたからだと思います。私はまだそこまで達していませんし、不整脈がでるのでトレーニング内容と心拍数の関係を論じることが出来ないのが残念です。
しかし兎に角文科系さんを目標にいつまでも楽しく走れるようにしていきたいと思っています。
来年もよろしくお願いいたします。
どうぞ良い年をお迎えください。 】
このやりとりは、とても楽しかった。お相手の言葉遣いが非常に明瞭で、打てば予想以上に響いてくれた感じがしているとは、上の文章から皆さん感じていただけるはずだ。言葉遣いが明瞭というのは、その思考が正確であることと理解してきたから、僕としてとても信頼もできたものでもある。ちょっと得がたいような体験だったと、振り返っている。
ゲタノウラさん有り難う。そして、来年もよろしく。