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「歴史探偵」の「統帥権」行使理解は誤りである  文科系

2021年09月18日 01時05分12秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 半藤は、戦後に戦争責任に関わって天皇と近衛文麿首相との関係をこう描き出し、近衛の戦争責任をこそ天皇と一緒になって語っている。
『「統帥権の問題は、政府には全然発言権なく」(という近衛の自殺直前の言葉に対して)、これが、近衛さんの統帥権問題に関する考え方だったんです。しかも、自分が積極的であったことなど完全に忘れてしまっているようです。
 天皇陛下はこれを読んで、「近衛は自分にだけ都合のよいことを言っているね」という感想を漏らしたと言われています』(半藤「あの戦争と日本人」128~9ページ)
 
 これは完全に誤認識である。近衛が和平交渉派だったから開戦消極論者であって、天皇の方が戦争に乗ったという事実を逆に描き出している。だからこそ、前回に書いた9月6日の御前会議(とその前日5日、陸海軍トップとの統帥部会議における御前会議への原案作りと)において、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英欄)戦争を辞せざる決意の下に、概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整す」と決定された後の10月18日に、近衛内閣退陣、東条内閣誕生に至ったのである。大戦敗色が現れるまでの天皇は、東條を信頼していたという証拠も無数に存在している。僕にいわせれば、天皇が後になって責任逃れをしているということだ。ちなみに、敗戦直後には、こんな声も多かったのである。
「天皇陛下はなぜ生き恥をさらされているのか?」
 これに対して、近衛は自殺している。近衛は、連合軍が満州事変から戦犯を裁こうとしていると知ったから自殺したのであって、太平洋戦争開戦の責任は薄いと考えていたというのが吉田裕が種々解明したところだ。天皇が、皇祖皇宗以来の天皇制を守るために生を選んだとしても、近衛に対する天皇の言葉はたった一言、卑怯である。1941年9月5日における、明日のご前会議への統帥権に基づく開戦原案決定を何と考えていたのか? この帥権発動がなかったようなふりと言うほかはない。

コメント
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