安倍が主導しようとしている政治はすでに、すべての歴史学知見から観て危険水域を越えていると観る。そのことを知らぬは学がないご本人たちばかりなりというその本質を歴史学で試され済みの知見でもって、描き出してみよう。
①資本主義経済は時としてよく、こういう時代を迎えた。恐慌後などの経済の軍事化という時代だが、それはどういう時に起こったか。
②世界全体の有効需要との比較で相対的に供給過多が酷くなった時に恐慌、失業者増などが起こるが、余った供給を国家が軍事費という形で買い上げてやるのが資本主義経済の軍事化であった。
③その急拡大した軍事化でもって、増えてきた失業者をなくしたり、新しい経済領域を広げたりして、一見行き詰まった生活を向上させるから、国民に熱狂的に支持された。これが、ヒトラーが特に家庭の主婦らに熱狂支持されるようになった理由であり、日本の満蒙開拓熱などであった。『こういう熱狂が起こったら「その往くべき方向」はもう誰にも止められない』と述べたのは、戦後の東條英機自身である。満州事変で国連脱退と言う事件も、すでにもう「満州撤退」がありえなかったことを示している。
さて、今の安倍国策を鑑みるに、以上すべてが彼の国家方向の基本に据えられていると言える。何度も言うが知らぬはご本人ばかりなりで、自分がやっていることが一人歩きしていくはずの方向がわからないから、唯こう言うだけなのだろう。
「俺の方向が東條と同じ? まさかっ!」
さて、この「経済軍事化一人歩き」の条件、証拠を書き上げてみよう。
① 1990年冷戦終結後のアメリカはすでに経済の軍事化が急拡大していった。それから間もなく米軍事費があの冷戦時代の2倍になっているのがその証拠になるだろう。安倍は集団安保でその米と同一歩調軍事を歩むことを表明し続けてきた。米中問題は特に、世界政経覇権問題、いわゆる「ツゥキディデスの罠」が絡んでいるだけに、極めて深刻である。
② そして今の安倍は米「政権」に自ら進んで、以下を表明するに至っている。「対中予防戦争論」、「中国基地への先制的攻撃体制構築」、「米の核兵器先制不使用宣言を日本が率先して制止していること」「GDPの2%への軍事費引き上げ」などだ。なお、これらが声の割に全く失敗に終わったアベノミクスの結末、実質「尻拭い」という国家経済方向を含む側面があるだけに、怖いと思うのである。
③以上の方向をさらに、アメリカ政権が観ているよりも緊急度が高いものとして安倍周辺は押し出している。「6年以内に台湾有事が勃発」とは、アメリカでは地方の一司令官が叫んでいたに過ぎないにもかかわらず、安倍周辺政治家はすでにこれ一色になっている。バイデンでさえ、ここまで前のめりではない。「一つの中国」、よって「台湾問題は基本的には国内問題と認めるが、本国の台湾侵攻は許さんぞ」という姿勢だ。これをバイデンは、最近改めて表明している。
日本GDPの2%などという「日本経済の軍事化」「平和憲法下の『普通の国』」に踏み出せば、日本の場合特に後戻りができなくなっていく。いったんこの道に進み始めてからどこかで後戻りすれば、不景気、失業増、さらなる格差急拡大という方向が誰の目にも見えるようになるのだから。ただでさえこの20年で世界のGDPに占める日本割合が13%から6%に凋落した国だから、後戻りなど国民が許さなくなるだろう。
学術会議の歴史学、社会学など文科系学者らが政府に厳しいのは、以上のような歴史学的知見からだと理解してきた。安倍は、自分がしていることの後始末の難しさなど分からないのである。「俺が戦争好きで、どんどん嵌まっていく? まさか!」という主観主義。東條もヒトラーも、そういう主観主義からこそ、膨大な国民と自分の命を落とす結末になったのである。戦争政策への量的変化の先の質的変化を見るのは難しいことであって、学がない政治家は「俺が戦争など起こすわけがない」と本気で思い込むことができるのである。
最後に、すでにアメリカがその冷戦後に、陰に陽に起こした歴史的戦争も書きとどめておこう。
1991年 湾岸戦争
1992年 バルカン・東欧紛争
1995年 ボスニア紛争
2001年 アフガン戦争
2003年 イラク戦争
2011年 リビア空爆
2014年 ウクライナ危機、シリア戦争