昨日のエントリーでは、前自衛隊統合幕僚長河野克俊の「沖縄含む西太平洋が一触即発」という記事を紹介した。同じ昨日12月8日の朝日新聞がまた大変興味深い記事を二つ載せている。それぞれに、日本近代史学者の吉田裕と加藤陽子が登場していた。彼らが述べる「戦争の起こり方」に関わって、政治家や軍部への最大教訓の一つがこれだろう。「世論を煽れば、やがて、逆に己がそれに縛られていく」という法則である。「戦争が世論になりかけたら、もう誰にも止められない」とは、戦後の東條英機も語った言葉。僕でも、イラク戦争前のアメリカ・マスコミのあの熱狂をよく覚えている。為政者、軍人が世論を煽るなど論外なのだ。
さて、昨日の加藤陽子はこんな事を述べている。
【映画監督の伊丹万作は「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」と戦後に書きます】
吉田裕の方には、こんな言葉があった。
【当初は政府や軍部が『米国に妥協するな』という空気をあおったのですが、やがて、強硬化した世論に指導部が引きずられ始めたのです。戦争を避けるには中国から撤兵するなどの妥協をするしかない状況だったのに、指導部の選択肢が狭まってしまったのです】
政治家らが戦争理由を煽る。それを信じて先鋭化していく民衆が必ず居るものだ。すると、どんな政治家にも止められない「戦争への流れ」が膨らんでいくと、そういうことだろう。かくてこうなる。
岩波近現代史シリーズ10巻本の第6巻「アジア・太平洋戦争」の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授の文章から。
【 東条首相は、各地で国民に熱烈に歓迎された。42年7月27日、大阪の中央公会堂で開催された「大東亜戦争完遂国民総力結集大講演会」の折には、講演を終えて退場する東条首相を熱狂した群衆がとりかこんだ。28日付の『朝日新開』は、その場の状況を、「熱狂した数千の聴衆は帽子、扇子を打ち振り打ち振り、〃万歳々々″と歓声をあげ、(中略)あつといふ間に東条さんを取り囲む。「しつかりやります、やりますとも」「米英撃滅だ、東条閣下お願ひします」「東条首相万歳」と群がる市民は熱狂して全く感激のるつぼだ」と報じている。これが誇張でないことは、同日の首相秘書官の記録に、「公会堂発」、「総理自動車会衆の圧倒的歓迎に取り囲まれ約十分、会衆の中を徐行す」とあることからもわかる(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)。
さらに、東条に関するすぐれた評伝をまとめた作家の保阪正康も、この頃の東条について、「東京・四谷のある地区では、東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れわたり、その姿を一目見ようと路地の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという〈神話〉が生まれた」と書いている。東条は、一般の国民にとって、「救国の英雄」だった(保阪『東条英機と天皇の時代(下)』)】
昨日の拙稿の河野克俊前統合幕僚長も高市早苗も、以上の論からすればこういう人だということになる。「日本の対中先制的防衛戦争を煽る人」と。こう言う人々は、「こちらから攻めないとやられる」と説いて回っているとやがてこれに自分が縛られるという歴史から学ばない、とんでもない人々なのだ。こう言う人々こそがまた、アメリカの「核兵器先制不使用宣言」を懸命に止めているのだろう。