市民政治再考(高畠通敏)を読みました。
こんな部分が興味深かったです。
平和憲法がありますから、「普通の国」のように
自衛隊を海外派兵できません、という論では、目が内向き。
経済大国としての責任を果たしていないという非難があって、
自衛隊の海外派兵への道が開かれた。
では、「特殊な国」として、何をするのか?
積極的な政策を打ち出さなくてはならない。
ドイツの良心的な兵役拒否者は、戦闘のかわりに看護などに
携わらなくてはならない。
これにならえば、平和部隊を貧困国に派遣することも考えられた。
(若者にこうしたことを要求してこなかった。
それは要求する大人にも、そうした覚悟が必要。)
革新政党として。
率先して、海外に目をむけ、ボランティア活動に従事する。
国内的には、税金のなかから軍事費にあたる額を
南北問題や環境問題の世界的な解決にあてるように提案。
そうした海外への目配りがなかった。
したがって、後手後手に回ってしまった。
こうした非軍事の分野で国際的なリーダーシップを
とる政策に転換すること。
護憲とは、こうした運動を進めることだった。
護憲政党は、リーダーとして、なにもして来なかった。
今日のテイタラクは自業自得の面がある。
私も、自己の利益が守られた時点で、保守化していました。
若者の保守的な傾向が指摘された頃、
革新信仰のあった私は、自分が保守化してのに全く自覚がなかった。
卒業旅行に海外に行く大学生を見ても、なにも感じなかった。
時代が動いていた。
若者に指針を与えることなんて、全然考えてもいなかった。
平素が肝心という格言に、なっとくしてしまいました。
しかし遅ればせながら、こうした事に気づかせてくれた
ブログの場に感謝しています。