九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

予想通りのブラジル戦で                 1970

2014年10月15日 07時04分46秒 | Weblog
この前書いた予想が絵に描いたように実現されちゃったな。
問題はいくつもあるが、まず前半。
ブラジルは予想以上に手を抜いてきた。あれだけ中盤の守備を緩くするブラジルも珍しいほど。
おそらくは北京でのアルゼンチン戦の消耗があったのだろう。
日本は前半で追いつくべきだったし、そうなってもおかしくない展開もあるにはあった。
しかしそれが出来ない原因も明白。
これが前に書いておいた個の能力の低さ。
433では選手間の距離が開く、当然各局面で1対1が増えるのだが、判断力、そのスピード、正確さにおいて
圧倒的な差があった。特にアンカーの田口君、柴崎君は気の毒だった。レベルが雲泥。
例に出して申し訳ないが、この2人のプレーが正に日頃のJリーグ仕様。
簡単にパスに逃げる。ブラジルの選手はすぐに預けることはしない。
ドリブルで相手を崩しながらパスのコースを作る。手抜きはしながらもこれをマメに行う。
こういう差が随所に見えた。
又、中盤でボールを奪ってもハーフターンで前を向くことをしない。だからパスも大雑把になる。
こうして局面での1対1やプレーの精度が全て2枚3枚落ちるのでゲームにならない。
よく、個の能力を組織でカバーするというが(ここでも度々その話になるが)、いくら組織でカバーと言っても限界がある。
ましてや個の能力がクローズアップされる433で戦っていれば当然個の低さは問題になる。
何度も書いているが、433は早急に止めるべき。
そして次の問題は、アギーレ。
何をやりたいのか?そしてこのチームの着地点を何処に置いているのか相変わらずさっぱり判らない。
メンバーを6人変えるのはいいが、何処まで戦術トレーニングをやっているのか?
やっていないのはよく判るがw監督としての能力不足だよ。
今ならまだ傷は浅いから解任でもいいw
次に、田口君や柴崎君等のJリーグの期待の選手に関しては、世界から見ればもう若くはない、昨日の試合を無駄にしないためにも
一日も早く海外で揉まれることを期待したい。どこのリーグでもいい。少し厳しい環境で個を磨かないと勘違いプレーが染み付く。
そしてこれまでの3試合と昨日のブラジル戦で今の代表がかなり劣化し間違った方向に進んでいるのも確認できた。
ザックに戻すのが今は一番いい選択じゃないのかね。
このままじゃ若い選手は皆潰れるぞ。
個の能力が低くプレーの引き出しも僅かな選手に今のシステムと監督は決定的に合わない。
最後に、岡崎お疲れw
最初は、ブラジルVSJリーグと思って観ていたが、ブラジルVSマインツの間違いだったw
岡崎や本田や長友達が声出して監督首にしてもオレは支持するから。孤軍奮闘お疲れ。
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「よたよたランナーの手記」(70) ちょっと自信回復  文科系

2014年10月14日 22時17分33秒 | 文芸作品
 12日日曜日、瑞穂運動場から天白川堤防道路を源流まで経由で長久手の万博会場へ行って、周回コースを回って帰ってきた。家からの回り道を入れて合計65キロ。
 そして本日14日、1時間走で8.5キロ。初め4.5キロ走って、次の30分はゆっくりと4キロ。1時間走は、9月13日8.8キロの後の風邪など以来1ヶ月ぶりで、また、30分4.5キロというスピードも久し振りのこと。8月以来だったはずだ。終わってから、アキレス腱も右ふくらはぎも痛くないし、ご機嫌だった。

 万博会場のサイクリングコース5キロ超を2周したが、30キロ時でこれだけ長く走ったのは何年ぶりだろうか。くたくたに疲れて、特に心臓疲労を感じつつ家に辿り着いたのだが、とにかく心はきわめて快調。今の僕には、30キロ時で30分走るのは、25キロ時で3時間走るのよりも身体に応えると分かったな。翌る13日には疲れが取れていたが、大事を取って一日休み、今日ジムへ行ったわけだ。このジムで、1ヶ月ぶりの1時間走とか、2ヶ月ぶりのスピードで30分とかができたのだから、全身が好調なのだろう。ただ、心拍数がばらばらだったから、まだまだ心肺機能が種々の長い体調不十分・トレーニング不足から回復できていないということだろう。

 1ヶ月ぶりでやった1時間走の疲れがこの程度ならば、再スタートがもう一歩進んだという実感だ。顔や吐息をもっともっと死にそうにさせて走ることができる時もすぐに来ると思い巡らしているのである。
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アギーレジャパン(12) ブラジル戦  文科系

2014年10月12日 10時02分25秒 | 文芸作品
 ジャマイカ戦の戦評エントリーに関わって、直前のコメントにこんな事を書いた。

やはり(1970さんは)観点が僕とは違うと感じる。チーム作りの今の観点のことである。僕としては、9月10,12日のこのシリーズ第3,4回のことを繰り返すしかない。

 世界比較で日本は、何が強く、何が弱いか。攻撃的中盤とSBとが強く、DFが弱い。Jのボール奪取が弱い。岡崎はストロングポイントになるだろう、などのことだ。
 その上で中期的にどの辺りを狙い、今はそれに対してどの段階か。これはまー、こうだろう。アジアカップを取るための、選手選び中心の段階と。433だって、その選手選びに最適な形としてやっているのかも知れない。コンパクト陣形固守から、攻守にどれだけ責任を持って走って、ボール奪取にどれだけ貢献できる選手かを観るためのシステムとして取っているのかも知れないのである。

 なお何度も言ってきたように、チームを攻撃中心で観る場合と、アリゴ・サッキが確立し今はバルサやドルトムントが受け継いでいる現代ボール奪取組織で観る場合とでは、全く見方が変わってくる。後者で観るならば例えば、先日のベネズエラ戦は完全な勝ちゲームになるというように。

 当面のアジア杯についても、アギーレはこんな胸算用をしていると思う。
「中盤辺りのボール奪取さえ上手く行くように選手を選べば、負ける訳はない」』


 さて、ブラジル戦である。近年のこの相手に対して何回かあったように、DFライン近くまで来られれば大ポカ絡みの失点を喰らう可能性は高い。特にCBが新しいのだから。だが、そこに来られる前の方では、結構良い挌闘を演ずると思う。武藤を含めた前3人や細貝、柴崎は走り回れて、かつ闘える選手だからである。つまり、たまには良いボール奪取ができるのではないか。そこに、世界1のリーグで立派なFWの顔になった岡崎がいる。彼だけはブラジルDF陣と精神的に対等なのであって、きついマークが付くはずだが、それすらもかいくぐるという技術があると、僕は確信している。こうして、日本選手がボールを奪えると判断した瞬間、即、岡崎を捜せばよい。本田も武藤も香川も繋ぐとか何とか変な色気を出さずに、そうすればよい。この戦法ならば流石のブラジルDFラインをも下げることができて、伸びた敵陣の前プレスは甘くなるはずだから攻勢も取れず、バイタルエリアにスペースも生まれるだろう。岡崎のシュートこぼれ球に詰めていた本田や武藤が押し込むと、そんなことも起こるかも知れないのである。

 日本DFラインがずるずる下がるのだけは、とにかく何よりも観たくない。失点よりもこれが嫌だ。将来性がないからである。
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アギーレジャパン(11)ジャマイカ戦   文科系

2014年10月11日 05時18分50秒 | スポーツ
 吉田の不在で、水本でなく森重がCB、もう一人のそれに塩谷が入った。よってアンカーは細貝、中盤は左が香川で右柴崎。この3人は、最後に香川が田口に代わったがほぼ先発完投だった。前3人は左から武藤、岡崎、本田。
 さて、今回は1970さんのエントリーとそれへの皆のコメントがあるから、それらにもたれかかって書くことにする。
 70さんはこの相手なら最低でも4点取れたと言われたが、これは誰でもそう思ったはずだ。一体何本のシュートを外したことか。最も多く外したのが武藤、本田。香川、岡崎も外したし、特に本田のドフリー・ループシュート外しは惜しかった。彼我のシュート数は、15対5を超えていたのではないか(今、新聞で確認したら、20対5だった)。アギーレが望んだようにジャマイカ・ゴール前へ何人も入り込めたからこそこのシュート数なのであって、隔靴掻痒、物足りなかったこと甚だしいと誰でも感じたろう。なぜだったのか。これは結構難しい問題だと僕は感じたが、70さんはこう語っている。
『今日の岡崎、武藤は守備やり過ぎ、こんな相手には攻撃専念位でいい。守備は後ろに任せる。本来433の中盤は守備、攻撃半々で前後をフォローするのが基本なんだから。逆になっている。これではいつまで経っても速い攻撃は出来ない。前が守備をやり過ぎれば当然攻撃はワンテンポ遅れる。つまり時間の無駄。ちょっと先行き厳しいチームになってきたわ』
 確かに、こういう点があったと見うる。特に、70さんの代表への長期的要望から来るゲーム観点(攻撃的繋ぎと、「433の前3人の攻撃重視役割」を重視する観点)としては「攻撃はワンテンポ遅れ」たと見うる。が、「勝つためにこそ」ということで相手への潰し、ボール奪取を重視する僕は、ちょっと違う。前3人も潰しを重視したからこそ、何本もショートカウンターができたのであると僕は観たのだ。ちなみに唯一の得点は、岡崎が高い位置で敵ボール奪取に成功して、前に走り込んだ本田、柴崎と渡ることによってもたらされている。
ただ、こう見てさえ、次のことはなお不思議なのである。なぜあれほどシュートを外したのか。「ワンテンポ遅れ」た事が主たる原因なのだろうか? 昨日のゲームに関しては大変難しい所だが、僕は違う意見だ。武藤、柴崎が入った連携になれていないということと、このゲームのアギーレがいろんなFWを使ってみることの方を重視したからではないかと観た。敵がイエローでしか阻止できなかった岡崎を後半早々に小林に替えているのだし、その次にはよく打っていた武藤を柿谷に替えている。ただ、「奪ったら速く攻めろ」とアギーレが言い続けたらしいから、やや打ち急いだのかも知れない。得点場面以外では案外ゴール前ショートパスも少ない気がしたし。
 このことは、すぐ後にあるブラジル戦を観れば判明するのではないか。この強豪チームとやっても守備が有効で、結構チャンスを作れるかどうか。2失点までに抑えて、5本ちょっとのシュートが打てれば、僕の観測が正しかったということになろう。強い相手に対してこそ武藤、岡崎、本田の守備が案外効くだろうし、アンカー細貝や、柴崎の守備も良かったと、僕は観ているからである。というよりも、アギーレのこういうチーム構想は、強いチームに対するときのものだと僕は観ている。

 なお、小林、太田、田口を使ったのは、良いことだった。カジュさん、ちょっとの時間だったが予想に反して田口が観られて、お互い良かったね。森重はもちろん、塩谷もとても強いね!
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世界経済史の今を観る(10)経済諸問題解決の方向③  文科系

2014年10月11日 04時03分17秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
解決の方向③ ワシントン・コンセンサスへの規制、運動

 ③ワシントンコンセンサスに対する抵抗、運動

 ここまでにも紹介した岩波新書、西川潤早稲田大学大学院教授の著「世界経済入門」(07年第5刷版)は、1988年に初版が出て、『大学や高校の国際経済学、国際関係論や政治経済の副読本としても広く使われ』たというベストセラーである。が、この第5版はグローバリズム経済を前にして、それへの反発という点を終始問題意識の一つに置いて書き直された『新しい入門書』という重要かつ珍しい側面を持っている。そこのさわりを紹介して、このシリーズの終わりとしたい。

 西川氏は、『経済のグローバル化』は、『人権や環境など、意識のグローバル化』を進展させずにはおかなかったと語る。そして、この書は、この両者の『相関、緊張関係を通じて、新しい世界秩序が生成しているとの視点に立っている』と解説される。これは『第3版へのまえがき』の部分に書かれた表現だが、これに呼応した回答として述べられているのは、最終章最終節のこんな記述であろう。

『この経済のグローバル化が世界的にもたらす不均衡に際して、ナショナリズム、地域主義、市民社会、テロリズムといくつかのチェック要因が現れている』
『これらの不均衡やそれに根ざす抵抗要因に対して、アメリカはますます軍備を拡大し、他国への軍事介入によって、グローバリゼーションを貫徹しようと試みている』
『(アメリカの)帝国化とそれへの協力、あるいはナショナリズムが、グローバル化への適切な対応でないとしたら、残りの選択肢は何だろうか。それは、テロリズムではありえない』
『これまでの分析を念頭に置けば、市民社会と地域主義が私たちにとって、グローバリゼーションから起こる不均衡を是正するための手がかりとなる事情が見えてくる』

 とこう述べて、西川氏がこの部分の結論とするところはこういうことになる。
『1999年にオランダのハーグで、国際連盟成立のきっかけとなったハーグ平和会議1世紀を記念して、平和市民会議が100国、1万人余の代表を集めて開催された。この宣言では「公正な世界秩序のための10の基本原則」として、その第一に日本の平和憲法第9条にならって、各国政府が戦争の放棄を決議することを勧告している』
『2001年には、多国籍企業や政府の代表がスイスで開くダボス会議に対抗して、ブラジルのポルトアレグレで世界のNGO、NPOの代表6万人が集まり、世界社会フォーラムを開催した。このフォーラムは「巨大多国籍企業とその利益に奉仕する諸国家、国際機関が推進しているグローバリゼーションに反対し、その代案を提起する」ことを目的として開かれたものである。ポルトアレグレは、労働者の自治組織が市政を運営し、発展途上国とは思えないほど社会保障の充実した都市で、それ自体、グローバリゼーションのもたらす不均衡へのオールタナティブとなっている。その後、「もうひとつの世界は可能だ」を合言葉とするこの市民集会は年々拡大し、2004年1月、インドのムンバイで開かれた第4回の世界社会フォーラムでは、参加者が10万人を超えた』
『もうひとつ、アジアとの関係も重要になる。いま、日本とアジアの経済関係はきわめて深く、第9章に述べたように、新たに東南アジアと東アジアを結ぶ東アジア・コミュニティの構想も動き始めている。しかし、このような地域協力を政府の手にのみ委ねておくのでは、こうした協力も得てして戦略や欲得がらみのものとなり、ナショナリズムの対立がいつ何時、抗争を引き起こすとも限らない』

 以上について、僕の下手な説明は要るまい。ただ一言だけ。西川氏のこの問題意識は、僕がここまでこのシリーズ原稿を書いてきた動機に通じるところがとても大きいと感じたものだ。

(終わり)

 長らくお読み下さって有り難うございました。
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「よたよたランナーの手記」(69) 長い雌伏で、雄飛は?  文科系

2014年10月10日 03時21分58秒 | 文芸作品
 ちょっと中期的に、9月20日まで最高39度の一週間ほど続いた熱風邪からの回復以降を、さらにそれ以前とも比べつつ、まとめてみる。22日に13日以来9日ぶりのランで、30分をゆっくりと3.7キロ。23日にはちょっと頑張って、4.2キロ。25日、30分で4.3キロまで行った。この最高速度は、前日と同じ9キロ時。
 次が28日、30分で4.1キロしか走れなくって、なにか体力の非常な衰えを感じたものだ。治っていたはずの右アキレス腱周辺の疲れ、筋肉痛?が再発してきたし、体重が2キロも減って近年珍しく55キロを切り、体脂肪率10.7%なのだから、無理もないのである。そこで、今の体力を確認してみる作業として、29,30日と久しぶりに階段往復をやってみた。いつものように我が家の18階段を80往復ずつやったのだが、案の定身体が疲弊していると分かった。両脚のふくらはぎから足首にかけて筋肉痛が出たのである。この程度の運動ではかってなかったことであって、きつい風邪の後遺症なのか、やっぱり年なのか。例によってまずはとにかく、いろんな確認作業に入った。

 1日にサイクリング、3日には階段100往復、4日には70往復と、走るのを控えて、身体の運動順応度・回復度・強化度を慎重に調べていった。その上で、7日に9日ぶりで走ってみたのだが、30分で4.1キロ。まー何とかこんな風に感じられた。
「アキレス腱はまーまーで、心肺機能もさほど低下していない。一応次へのスタート地点には立てているのかな?」

 ということで迎えた9日には、4.4キロまで行けた。最高速度は9.6キロ時である。心拍数は終わり頃の最高時で、170とかまでになっていた。かと思えば150に下がったりと、とにかく不安定この上なかったが、事後の状態はまー一安心。「走れるな!」と感じたものだ。
 さてただし、今年3月15日の30分×2回で9.85キロはおろか、その後アキレス腱痛から復活してきた9月13日の同8.8キロもまだまだ「先のことだ」のようだ。前者では最高時速11キロでも心拍は155までだったのだし、後者はほぼ時速9キロで走り通しただけなのだから、今は、前者などもう金輪際無理かも知れないとさえ思われるのである。この3月前後からは、2度の外国旅行、しつこいアキレス腱痛、左脚力の衰え発見を巡る一進一退、おまけに高熱で一週間寝込むなどなどと、とにかくいろいろあった。
 
 年を取ると、身体のほんのちょっとした不調が意欲・精神力の減衰に直結し、その衰退と活動低下との悪循環が始まると、今回も改めて痛感したもの。胃や大腸の内視鏡までやった高齢者無料健診結果にほっとしたり、コツコツと運動できているおかげもあったりだからか、頭脳の活力は明らかに戻ってきた。ギターレッスンなどへの意欲、内容もずいぶん向上しているし、本、文章もよく読めるようになった。また、こんな時こそ大好きな愛車・パナレーサーをいつも思い出すべく玄関に立てかけてある。僕の心身を保持、向上させてくれるという意味で、これほどに大好きなものがあることの幸せを日々温め直しているわけだ。ジムでちょっと走りを重ねてから、来週あたりにも、高い青空の下でツーリングに出かけるぞ!
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世界経済史の今を観る(9) 経済諸問題解決の方向③  文科系

2014年10月10日 01時51分17秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
世界経済諸問題解決の方向③ ワシントン・コンセンサスへの規制、運動


①防衛と規制

 中進国が先進国を追いかけ、後進国が中進国を追いかけて物作りが活発になるにつれて、アメリカを中心とした先進国は株、金融に活路を見出していった。その結果が5回目で述べたこのことだ。
『1970年から2007年までの38年間に、208カ国で通貨危機が、124カ国で銀行危機が、63カ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後1970年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません』

 この状況の最新問題は、ユーロ危機である。背後に日米などの金融機関がいることが分かっていても、どうしようもないという窮状、難問なのである。さらにまた、ギリシャ、スペインなどの現窮状はサブプライムバブルや、例えばキリシャ国家自身がゴールドマン・サックスに騙された事やに起因する事も既に世界周知の事実である。
 汗水垂らして蓄えた金を一夜にして奪っていくこんな動きに対して、いろんな防衛、規制論議が起こるのは当然のことだろう。まず防衛というのは、一時的な当面の絆創膏手当に過ぎないにしても、こんな事があげられる。
「金融危機国への外貨融通制度、あるいは銀行など」が各地域に国家連合的に作られ始めた。アジア通貨危機から学んだASEANプラス日中韓が、日中等の支出で大きな資金枠を持った例。岩波新書「金融権力」(本山美彦京都大学名誉教授著)は、南米7カ国が形成したバンコデルスル(南の銀行)に注目している。
 最近の次の出来事も、この部分に関わることと言える。南アフリカで開かれたBRICS首脳会議は、新興国支援を目的とした「BRICS開発銀行」と、危機の際に資金を融通し合う「共同積立基金」の創設で合意したそうだ。戦後の世界経済は、「世界銀行」と「国際通貨基金」を中心とするブレドン・ウッズ体制によって支えられてきた。BRICSの構想は、その「過去の遺物」から離れ、独自の体制づくりに乗り出すというものだ。

 G20などにおける、世界レベルの金融規制改革の現状はどうだろうか。先回に観てきたような堂々巡りにしても、こんな事が論議されてきた。銀行の自己資本比率を高めるだとか、レバレッジ規制だとか。さらに「大きくて潰せない銀行」を世界29行にしぼった対策として「潰せるようにする」ことや、税金なしに破綻処理をする方向なども論議されてきた。が、現状は何も決まっていないに等しいと言える。アメリカや日本が邪魔しているのであろう。

②実体経済重視の方向

「金融にはまだまだチャンスがある。当面日本はここに活路を求めよ」と語る人にさえ今、中・後進国が遠からずキャッチアップを遂げるから、そうしたら世界中に現状よりもはるかに失業者が増えて、世界は困窮しつくすと観る人も多いはずだ。中後進国などの生産性アップは凄まじく、すぐに供給過多の時代が来るということだ。たとえば、岩波ブックレット「グローバル資本主義と日本の選択」の武者陵司・武者リサーチ代表がその一人である。ドイツ銀行、大和証券などを経たアナリストとしてかなり有名な人らしい。この人は加えてこう述べている。『インドでも中国でも、極端に安いチープレーバーの供給は、少なくともあと5~10年は続くのではないでしょうか』と語っている。生産性が高い現代はそのような速さで物作りの飽和状態に困り抜くようになると観ているのである。当然のことだろう、人間はものの中でしか生きていけず、金融だけで食ったり暮らしたりはできないのだから、自動車やIT産業に代わるような新商品が生み出されなければ、あるいは別のやり方で職を創り出さねば、世界の人々の職業がどんどんなくなっていくばかりだろう。「グリーンニューディール」政策とか、格差の解消・雇用問題などをなによりも強調する人々は、そういう方向と言えよう。「グリーンニューディール」とはこういうものだ。
『用語の起源は、イギリスを中心とする有識者グループが2008年7月に公表した報告書「グリーン・ニューディール」である。ここでは、気候・金融・エネルギー危機に対応するため、再生可能・省エネルギー技術への投資促進、「グリーン雇用」の創出、国内・国際金融システムの再構築等が提唱されている。
 同年10月には、国連環境計画(UNDP)が「グリーン経済イニシアティブ」を発表し、これを受けて(中略) オバマ大統領は、今後10年間で1500億ドルの再生可能エネルギーへの戦略的投資、500万人のグリーン雇用創出などを政権公約として打ち出した。(中略)』 (東洋経済「現代世界経済をとらえる Ver5」)」)

 グリーンニューディール政策には雇用対策も柱として含まれているわけだが、雇用対策自身を現世界最大の経済課題と語る人はこんなことを言う。以下のこと以外には、雇用対策などないと語っている。いや、生きていればケインズもそう言うはずだと述べているのである。

『成長主義者は、成長すれば多くの経済問題が容易に解決されるのに、なぜ成長に疑問を呈するのかと懐疑者を責める。たしかに、毎年1%の成長でも30年続けば、2010年現在約480兆円の名目GDPは、30年後には約650兆円と、35%も増える。30年間の累積で見れば、わずか1%の成長で増加額の累計は2450兆円にも達する。この増加額の30%が財政収入になると仮定すれば、30年間で735兆円の自然増収が期待できる。数字だけを見れば、こんな”美味しい”話になぜ疑問を呈するのかと、成長主義者が懐疑者を責めるのは当然のように見える。
 しかし、あらためて考えてほしい。こんな”美味しい”話を本当に信じてよいのだろうか。(中略)
 私はこうした成長論こそ、現代の日本における”奇想”だと考えている。それでも成長戦略という”奇想”に未来を託すのか、分配政策を見直し資本主義の純化に歯止めをかけるのか、あるいは資本主義という歴史的なシステムの崩壊を待つのか。いずれにしても喫緊の課題はデフレ脱却でもなく、財政再建でもなく、雇用の不安を止めることである』
(NHK出版新書 高橋伸彰立命館大学教授著「ケインズはこう言った」2012年8月発行)

 なお高橋氏はこうして、その最大主張としてこんな事を語っている。
『私は非自発的雇用の解決には労働時間の大幅な短縮が必要だと考えている。具体的には、週40時間、1日8時間の現行法定労働時間数を、週20時間、1日5時間に短縮するように労働基準法をあらためるべきだと考えている。企業による労働力の買い叩きを抑止するためには、年間実質1~2%の経済成長を目指すよりも、人為的に労働需要の逼迫を創り出すほうが有効だからだ。経済学者は、そんなことをしたら企業が倒産すると大合唱するかも知れない』
 週20時間労働? 全く現実性がないように思われる。が、イギリスで起こった資本主義は最初10数時間などと今から見れば途方もない労働時間だったことを僕は思い出していた。それが8時間になったのである。人類が必要と認めればこんなことも可能だということだろう。なお、高橋氏がこの本で最大問題にしている非自発的雇用とは年間2000時間働いても200万円に満たないワーキングプアや、週40時間を遙かに超える無給長時間労働を拒否できない正社員たちのことだ。これに関して高橋氏は、ケインズ理解、読み直しの基本として、こんな風に解説してみせる。
 ケインズは失業者をなくすために有効需要政策を創出し、論じたのであって、100年後の世界先進国に上で述べたような意味での非自発的雇用の膨大な群れが発生するなどという事態は彼の想定外の(酷すぎる)問題であったと述べているである。つまり、8時間労働制が実現したのだから将来の世界はもっともっと労働時間が少なくなるはずだと発想していたと、そうケインズを読むのである。ケインズにとっては自明の理すぎて、語る必要もない前提だったということだ。

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世界経済史の今を観る(8) 解決の方向②  文科系

2014年10月09日 02時08分05秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 解決の方向② しぶといワシントンコンセンサスおよびこれを巡る論議  

『アメリカ型の市場経済至上主義に基づく政策体系』がワシントンコンセンサスと呼ばれてきたものだが、それを巡るリーマンショック後の状況はこんな表現が適切だろう。
『一世を風靡したアメリカ型投資銀行ビジネスモデルの終焉が語られているが、健全に規制された金融モデルへの移行か、巻き返しのための変身なのか、ウォール街の戦略、西欧金融機関との競争を含めて、注視していく必要がある』。(以上の『 』は、東洋経済2010年刊「現代世界経済をとらえる Ver5」から)

 同じ事を別の本ではこう表現している。
『2009年のロンドンG20で、当時の英首相ブラウンは、「旧来のワシントン・コンセンサスは終わった」と演説しました。多くの論者は、ワシントン・コンセンサスは、1970年代にケインズ主義の退場に代わって登場し、1980年代に広がり、1990年代に最盛期を迎え、2000年代に入って終焉を迎えた、あるいは2008~09年のグローバル金融危機まで生き延びた、と主張しています。IMFの漸進主義と個別対応への舵切りをみると、そうした主張に根拠があるようにもみえます。
 しかし、ことがらはそれほど単純ではありません。1980年代から急速に進行した金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした。脱規制から再規制への転換が実現したとしても、市場経済の世界的浸透と拡大は止まることはないでしょう』(伊藤正直著「金融危機は再びやってくる」)

 さて、上記は過去にも繰り返されてきたことだ。ワシントン・コンセンサスが世界的危機を引き起こし、それに批判が出る。対して、アメリカがその正当化論を執拗に展開してみたが、IMFや世銀の場で譲歩せざるをえない事態になる。そして、いくらかの手直し、口約束。それによって国連機関の再規制などを論議、「前進」させても、やはりまた次に同じ事が起こる、と。こういう過去の一例を観てみよう。このシリーズ第6回目に見た1997年のタイ・バーツ崩壊と、これに端を発したアジア通貨危機以降に、こんな論議があった。

 この危機の原因はアジアの外にあったのか内にあったのかという論議だった。「外因説」と「内因説」という。外因、つまりアメリカや日本の投機家たちが原因なのか、アジア自身につけ込まれる無理、弱点があったのかという論議である。これは、初め少数派であった外因説の方が後には多数になっていったという。日常の株価、通貨動向に一喜一憂していると分からないことなのだが、この論議は世界の人々の生活そのものにとって、この上なく重要なことを教えてくれる。例えば、こう言えば分かりやすいだろう。
「一時の南欧経済沈滞をPIGSなどと侮蔑的に呼んできたわけだが、それが正しかったのかどうか?」
 アジア通貨危機の震源地タイに大きなバブルがあったにせよ、そしてアジア各国がそれに乗っかっていたにせよ、国際投資家たちがここに資金をつぎ込んで国際的投機ゲームの場としたこと自身が内因説では説明できないのである。典型はジョセフ・スティングリッツ。世界銀行の副総裁経験者にして、ノーベル経済学賞受賞者でもある彼の変身。彼は初め、アジア通貨危機についてこう述べていた。
「主流派の内因説も、外因説の方もそれぞれのイデオロギーに過ぎない。対するに、グローバル化はイデオロギーではなく、システムそのものの不可避的な進行なのである」
 まー「自然にこうなったのだ」というところだろう。新自由主義者お得意のこういう論議をやっていた彼が、その後にはこう変わっていった。次の思考、言葉などは、現在の世界経済を見る視点としてこの上なく重要なものであると思う。
『「ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関は、先進工業国の利益のため、もっと正確にいうなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手など)のために働いている」と指摘し、「アジア諸国が健全な金融システムと適切な政策を保持していたにしても危機は発生しえた」と主張しました。
 この見方は、当初は少数意見でしたが、その後、J・パグワッティ、J・サックスのような新古典派経済学の主流部分にも同調者が広がりました』(「金融危機は再びやってくる」)

 金子勝も同じ見方、国際金融資本を擁護した「内因説」に抗して、「外因説」が正しいと述べると同時に、イギリス政治経済学会の同じ論調変化を多く伝えている。
『たとえば、規制緩和の新自由主義型社会を重視しているシカゴ大学の中心人物であるリチャード・ボーズナー教授でさえ、09年5月7日に出版された「資本主義の失敗 08年の危機と恐慌への降下」の中で、「より積極的で懸命な政府が必要である」と指摘し、「金融部門の規制緩和が過多となった要因として、レッセフェール(自由放任主義)資本主義の治癒力を過信しすぎた」と断言している』(岩波ブックレット「脱『世界同時不況』」)

 さて、このように、問題の所在はもう分かっているのだ。元世界銀行副総裁・スティングリッツが、ここまで踏み込んで発言しているのだから。『もっと正確にいうなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手などーー世界金融と結びついた「世界独占企業群」と言うべきところであろう・文科系)のために働いている』。ここには当然、原油、穀物などの農産物などの独占を広げて、先物などの金融商品化し続けるという狙いが含まれているのである。
 こうして、G20金融サミットが08年11月にワシントンで始まり、12年6月の第7回ロスカボスまで続いたその概要を読んでみても軋みだけが目立つ。「金融規制か、財政・景気対策か」とか、その規制にしても「事前規制か、事後規制か」というような堂々巡りなのであった。そのうえに、09年10月にギリシャ財政赤字の粉飾問題に端を発してユーロ圏危機が起こり、今も続いているのだから、やはり何も進んでいないということではないか。なぜなのか。
 当面の問題と、あるべき国際金融システムという長期スパンの問題とが混在しているうえに、モノで国際収支、外貨を稼げない先進国が為替や国債操作や、世界的金融機関と結びついた石油や農業独占企業やなどによって稼ぐしかないという問題こそ事態を深刻にしている。そして、こういう国がサミットで発言権を持っているのだからなおやっかいということだろう。

 こうして、世界、国連で力のある国が自ら作った状況に強引に居座っているにも等しいそのあいだにも、中後進国が物経済で汗水垂らして貯えた金がマネーゲームで奪われているのだし、国家も会社も金融によって「財政再建」を迫られ、先進国世界で首切りが進み、失業者は増え、公共投資、社会資産や福祉も削られているのである。つまり、どんどん景気の悪い世の中、世界を作っているようなものではないか。そのくせ、先進国家が量的緩和という名目でその国最大の株主になって株だけをつり上げているような時代って、「国家率先バブル時代」とさえ言えるはずである。
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産経新聞                    1970

2014年10月08日 23時12分02秒 | Weblog
あまり好きでは無いというより元々関心が無かった新聞なんだが、元ソウル支局長が在宅起訴されたんだな。
韓国の司法もバカをやったもんだ。あの大統領始め司法もおかしいな。
こういうことが通るならば韓国の民主主義というのは名ばかりのものになる。
自覚も無くやるならば(まあそういうことなんだろうが)、北朝鮮の体制よりも余程危なっかしい。
注目しているのは、韓国の報道機関がこの件についてどういう報道をするかだ。
報道の自由を訴えるのか?
そうでないとおかしいだろう。
又、日本以外のマスコミが大統領への参詣のような記事を書いた場合同じように在宅起訴するんだろうな。
じゃないと筋が通らないもんな。
かなりおかしい。
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これからの2試合                 1970

2014年10月08日 16時18分24秒 | Weblog
香川は中盤で起用するらしい。柴崎と並べてアンカーに細貝か?
それはまあひとつ無難なところなんだろうが先行きつまらない中盤でぐだぐだになりそうな中盤だな。
433で世界に立ち向かうとするならば田中、香川と並べてアンカーを柴崎にするくらいでないとな。
柴崎は守備を少し鍛えればアンカーからの組み立てが出来る。
細貝や森重は逆立ちしてもそれは出来ない。
433でこの差は大きいんだよ。
ドイツにしろスペインにしろアンカーから攻撃を組み立て、守備でも敵陣バイタルまでカバーする。
今の代表の中で先々そういう可能性を秘めているのは柴崎だけ。
他の連中は程遠い。ただの掃除屋。
だから柴崎をアンカーとして代表で育てれば強力な中盤になる。当然香川の後ろに柴崎と並ぶと守備で崩壊する危険はあるが、育てる価値は細貝、森重のアンカーよりは
はるかに高い。
せっかく433をやるならばそこまでやって欲しいんだよな。
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アギーレジャパン(10)代表に定着した頃の岡崎   文科系

2014年10月08日 12時40分18秒 | スポーツ
 表題の内容の古い拙稿二つを紹介させていただきます。09年に書いたものです。今をときめく岡崎の原点と言えるものを、皆さんどう読まれるでしょうか。


『 岡崎慎司の凄さの立派な表現  2009年06月14日 | スポーツ

日本代表FW岡崎の凄さを僕はここでも去年から書いてきた。その通りに今年になって彼はさらに一皮むけてきた。8ゲームで7得点などという選手がここ4回のワールドカップ日本代表にいただろうか。

さて、僕が誰かからの受け売りなどではなく自分で考えて書いてきた岡崎の特長をそっくりなぞったような評論が、最新号の週間サッカーダイジェストに載っているので紹介したい。彼はまさに、こういう選手なのだ。顔がけっして知性的とは言い難いので損をしているが、非常に賢い青年だと思う。
以下に彼を描いた場面も南アワールドカップ出場を世界で最初に決定したあのウズベキスタン戦の得点シーンである。当ブログでも知ったかぶりして無責任に人を批判する誰かが僕の評論を否定して論議があったシーンだが、この記事は僕が述べた通りを書いてある。

【 このゴールが決して偶然の産物でないことは、これまでに何度も実証されている。09年に入ってからの岡崎は、すでにA代表のゲームで6ゴールを奪っていた。先のキリンカップでは2試合3得点。そのどれもが、決して簡単ではないものばかりだった。誰よりも早くスペースを見つけて動き、相手ディフェンダーに体を寄せられてもバランスを崩さずにトップスピードのままボールを止め、素早くシュートモーションに入る。(中略)
4大会連続のワールドカップ出場を決めたこの日の一撃も、結局はすべて本人のシナリオどおりだったのかもしれない。中村憲にボールが入った瞬間、岡崎はすでに相手最終ライン裏のスペースへ全力で走り始めている。『憲剛さんがいいボールをくれました』という事実も見逃してはいけないが、そのパスを引き出したのは間違いなく、岡崎自身から放たれた”リズム”だった。】

この岡崎、かって日本にいなかったようなFWだと僕は書いてきた。まずシュート技術が極めて多彩かつ繊細に上手い。次いで、いつも前へ詰めて、他人が放ったものでもシュートがでるとさらにまた前へ詰める。不器用な中山雅史が多くの点を取ったのは、この「詰める」ということの繰り返しからなのだと言われている。「ゴール前では何かが起こる」という格言どおりに、ダッシュの走力やスペースなど周囲の状況を見る目などを、誰よりも繰り返して鍛えてこないとなかなかできないことなのだ。そしてまた、体も強い。現在世界1のフォワード、バルセロナのメッシも169センチであれだけできるのは体も強いのだろう。メッシとイニエスタ両天才の武器はアジリティーだが、岡崎のそれもすごい。』


『 代表・岡崎慎司が成長を語る  2009年07月10日 | スポーツ

岡崎慎司のことは、去年からここで何回も書いてきた。代表の代表・「点取りの顔」が生まれるという予感からだった。そんな時、スポーツグラフィック・ナンバー最新号に彼へのインタビューが載った。その内容は、最近の自分が成長したと思う点を語っていて、それもかなり深いと感じた。そこを、彼の言葉として要約する形式で紹介し、いくらかのコメントをつけたい。サッカーの最新点取り術紹介というところだろう。

①「自分が動けば良いパスが来る」
去年11月、シリアとのテストマッチで先発しましたがある反省がありました。「自分は、味方のパスに合わせて動いているだけのFWだ」と。これに対して、今年の1月ごろにこう決心したんです。「自分は止まった状態で足元にボールを受けても何もできない。自分から動き出そう」と。すると、良いパスが来るんです。だから、パサーがパスする前に「ここに欲しい」というのを示すんです。もう身振り手振りを入れながらね。

②迷いをなく動くこと
「僕はこっちに行きたいけど、パサーはなんか違うところを見てるんじゃないかな」、なんてやってると、遅れてしまい、相手より先にボールにさわれなかったりします。自分を信じて、とにかく迷いを捨てて自分から動くことにしました。

③自分の長所と、これから身につけたいプレー
去年の代表戦でも確かに、自分は運動量があったし、チャンスも作れていたと思う。今年のチリ戦では、フィジカルコンタクトでも負けていないなと感じた。(その上で、上記の変化があったということなのだ)
僕のゴールを目指す姿勢は、相手のDFラインを下げさせると思うんです。すると、相手の、DFラインとボランチの間にスペースが生まれます。そこで僕がボールを受けられるようになって、さて何ができるかと。これが、次のステップへの課題です。

さて僕、文科系は以上の内容から、中田英寿と中山雅史の間にあったこんな会話を思いだす。多分、まだ中田が日本にいた97年頃のことだ。20歳の代表新人が、日本のエースアタッカーの1人に堂々と注文した話であって、いわゆる「体育会系」組織ではあり得ないようなエピソードとして、強烈な印象を受けた覚えがある。

英「中山さん、あんなに敵DFを背負ってちゃパスを出せませんよ。何でも良いですから、敵のいないところへ全力で走ってってください。そこにパスを出しますから」
中山は、半信半疑ながら言われるとおりにやってみたら「すげー!」と目から鱗だったと述べている。ぎりぎり届くあたりに、厳しいパスが来たのである。ゴール枠に入りやすい絶好の場所で、かつ自由にシュートが打てるということなのだ。
ちなみにこの話が多分、全盛期の磐田を作るのに生きたはずなのである。磐田のパスサッカーはこれ以降に、点とり屋の中山の動きに合わせて組織全体が動くようになったという磐田選手の話を聞いたことがあるからだ。この時の磐田がどれだけ強かったかは次のことで分かる。02年に中山の相棒・高原がJリーグ得点王になったのだが、これ以来日本人得点王は出ていない。因みに岡崎は、FWとしてのゴンのスタイルを尊敬して止まないと公言してきた。「あの泥臭さが特に好きだ」とも。

なお、中田・中山のこの歴史的やりとりにも関連することだが、当時の中田にはサッカー関係者の大多数からずっと、こんな批判が集中していたことも思い出す。
「不親切なパスばかりを出す奴」
「アタッカーに『全速力でそこまで動け。届くはずだ』という生意気で、不遜なパスだ」
そのすぐ後には、「中田のパスこそ世界標準である」と変わっていったというおまけが付く話であった。代表での相棒トリオを形成した名波、山口や、岡田監督が中田のこのパスを高評価したからである。
中田へのこの批判から、当時の僕は、評論家とか専門家とかが案外当てにならぬなと思ったものだった。20歳の代表新人であった中田が、日本サッカー関係者全体を大変革して、それによって史上初めて日本がWCに出ることができたというエピソードでもあって、非常に興味深い。』
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世界経済史の今を観る(7) 諸問題と解決の方向①  文科系

2014年10月08日 06時47分37秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 さて、第3回から前回まで、70年代ポスト戦後世界以降の新自由主義的経済グローバル化の流れを観てきた。グローバリズムとはその思想のこと。実際に問題になるのは実体経済グローバル化の問題点であって、思想と実態は同じ物ではない。ちょうど市場主義と市場そのもののように。
 ここ以降は表題の内容で、以下三つのことを紹介してみたい。つまり、こう進むつもりでいるということだ。①まず、ここまで観た世界経済経過の構造的まとめ。これは、過去の理論が格闘した問題提起をも借りつつ、今をまとめてみるということになろう。②次いで、100年に一度の大事件リーマンショックを通して、今この構造に世界でどんな論争が起こっているかということを観る。真っ向から対立するような論争だらけなのである。なお、こういう論争で次第に増えてきた意見、国連などで他方が譲歩してきた解決方向なども観ておきたい。そして最後に③、②も含めて具体的課題を全体的にできるだけ羅列しておき、終わりとしていきたい。すべていろんな該当本のつぎはぎのようなものだ。が、特に次の本は今ここでおすすめしたいと思う。

 岩波ブックレット伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授著「金融危機は再びやってくる 世界経済のメカニズム」。短いこの本が、題名のことについて重要な具体的事項をほとんど網羅していると、僕には思われた。僕が読んだ他の多くの本に書いてあることがほとんど入っているからだ。ただそれだけに、「広く浅く」ではなく「広く難しく」と言える。つまり、他の新書版2~3冊では到底すまないような広い事項に少ない分量で触れているから、説明が少なくなるということ。相当の予備知識がないと理解できない部分が多いということになる。ただ、金融危機の反省過程で国連レベルで起こっている論争とかその推移とかまでていねいに紹介されているのはとても公正なやり方でもあるし、自分でも考えを深め、まとめることも出来て、非常に有り難かった。この部分を紹介したくて上記②を書こうと思ったようなものである。

 さて、①、現在の世界経済構造である。これを、過去のケインズやマルクスの経済構造把握理論との対比でどういうことになるのかについては、ここまで折に触れて観てきた。要は、新自由主義が、『需要側でなく供給側つまり資本の自由に任せるのが、官僚任せにも等しい、怪しげな「マル公」国家まかせに比べればまだ上手くいくのだ』というやり方である。だが、需要を重視したケインズなどに言わせれば当然こういうことになるだろう。現に有効需要がおおいに不足しているではないか。それで現物経済はどんどん小さくなり、そこでの利子率はどんどん下がってきて、失業者をいっぱい出しながらだぶついた資本はマネーゲームに明け暮れることになってしまったではないか。資本が膨大に余っているほどにこんな豊かな世界なのに非正規労働者が溢れ、死に物狂いで働かなければ正規職もつとまらない世界というのこそおかしなものだろう。このようにケインズを読むのが、今話題の本、NHK出版新書、高橋伸彰立命館大学教授著「ケインズはこう言った」などである。

 基軸通貨ドルが変動相場制以降どんどん安くなって、世界がふらついているからマネーゲームが起こるのだが、いずれにしても、資本がモノ・実物経済から全く離れてしまったのは大問題である。この点は、金子勝とか浜矩子とかなんらか伝統を踏まえた経済学者のほとんどが指摘し、批判するところと思う。食料、水、エネルギー、地球環境など、人間はモノの中で生きるしかないのだから、確かにそうには違いないのだ。問題は、それらのモノがきちんと生産、確保されて、すべての人々に優しく行き渡る仕組みとして何が相応しいかということだろう。なのに食料は買い占められて世界のあちこちに反乱が起こるほどなのだし、中国の退耕還林政策は水問題で悪戦苦闘している有様だ。なお、金子勝らが強調するグリーンニューディール政策提起などのように、世界の実物経済の新分野で有効需要を切り開き、失業者などに普通の職を作っていくというように新たな有効需要の道を開拓していくことに国家の命運をかけるべきだと語る論者も多い。少し前のオバマもそうだったし、イギリスの政治経済論者にもそういう人は多い。

 また、先進国の失業、非正規労働者問題をこのように辛うじてのように「弁護」する論議がある。
「ブリックス諸国など中進国のキャッチアップで、市場を奪われたのだ。そちらの生活が向上しているという側面を観ないといけない。ただこれも、キャッチアップが一応成し遂げられるまでの十年程度の延命策だろう。その後の世界は、有効需要不足問題から難問噴出となるだろう」(岩波ブックレット「グローバル資本主義と日本の選択」で武者陵司・武者リサーチ代表がこういう内容を語っている)
 これに対して、もちろん「資本主義の命運がつきたのだ」と、新しく言い出した人も多い。上にも観た、NHK出版新書、高橋伸彰立命館大学教授著「ケインズはこう言った」のように。
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世界経済史の今を観る(6)通貨危機の仕組み・タイの例  文科系

2014年10月07日 09時51分29秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 24日の拙稿『随筆「退廃極まる政治」』を連れ合いに読んでみたら、この部分をもっと分かりやすく知りたいという。
『「投機家はタイに自己実現的通貨投機をしかけた。一ドル二五バーツに事実上固定していたタイ・バーツが貿易収支の悪化から下落すると予想し、三ヶ月後に二五バーツでバーツを売りドルを時価で買う先物予約をすると同時に、直物でバーツを売り浴びせた。タイ中央銀行は外貨準備二五〇億ドルのほとんどすべてを動員して通貨防衛を試みたが力尽きた。」(東洋経済「現代世界経済をとらえる VER5」二〇一〇年。一二一頁)』

 今日はタイのこの問題に最も詳しい専門家による解説をご紹介したい。なんせ通貨危機というのは、「1970年から2007年まで世界208カ国で起こり」、各国恐怖の対象とされてきたもの(岩波ブックレット12年刊 伊藤正直「金融危機は再びやってくる」P3)。世界金融資本の最大暗躍手段・場所の一つであって、世界各国から「通貨戦争」とも呼ばれている。なお、このタイ通貨危機は、97年の東アジア通貨危機の発端・震源地になった事件として非常に重要なものである。
 毛利良一著「グローバリゼーションとIMF・世界銀行」(大月書店2002年刊)243~244頁から抜粋する。

『通貨危機の震源地となったタイについて、背景と投機の仕組みを少しみておこう。タイでは、すでに述べたように経常取引と資本取引の自由化、金融市場の開放が進んでいた。主要産業の参入障壁の撤廃は未曾有の設備投資競争をもたらし、石油化学、鉄鋼、自動車などで日米欧間の企業間競争がタイに持ち込まれた。バンコク・オフショアセンターは、46銀行に営業を認可し、国内金融セクターが外貨建て短期資金を取り入れる重要経路となり、邦銀を中心に銀行間の貸し込み競争を激化させて不動産・株式市場への資金流入を促進し、バブルを醸成した。
 このようにして流入した巨額の国際短期資本は、経常収支赤字の増大や大型倒産など何かきっかけがあれば、高リターンを求めて現地通貨を売って流出する。投機筋は、まずタイ・バーツに仕掛け、つぎつぎとアセアン諸国の通貨管理を破綻させ、競争的切り下げに追い込み、巨大な利益を上げたのだが、その手口はこうだ。
 (中略)1ドル25バーツから30バーツへの下落というバーツ安のシナリオを予想し、3ヶ月や半年後の決済時点に1ドル25バーツ近傍でバーツを売り、ドルを買う先物予約をする。バーツ売りを開始すると市場は投機家の思惑に左右され、その思惑が新たな市場トレンドを形成していく。決算時点で30バーツに下落したバーツを現物市場で調達し、安いバーツとドルを交換すれば、莫大な為替収益が得られる。96年末から始まったバーツ売りに防戦するため、タイ中央銀行は1997年2月には外貨準備250億ドルしかないのに230億ドルのドル売りバーツ買いの先物為替契約をしていたという。短期資本が流出し、タイ中央銀行は5月14日の1日だけで100億ドルのドル売り介入で防戦したが、外貨準備が払底すると固定相場は維持できなくなり、投機筋が想定したとおりの、自己実現的な為替下落となる。通貨、債券、株式価値の下落にさいして投機で儲けるグループの対極には、損失を被った多数の投資家や通貨当局が存在する。
 投機を仕掛けたのは、ヘッジファンドのほか、日本の銀行を含む世界の主要な金融機関と、大手のミューチュアル・ファンドをはじめとする機関投資家であった。また、1999年2月にスイスのジュネーブで開かれたヘッジファンドの世界大会に出席した投資家は、「世界中を見渡せば、過大評価されている市場がどこかにあります。そこが私たちのおもちゃになるのです」と、インタビューで語っている。』

 以上につき僕の感想のようなことを一言。一昨年11月15日の拙稿に書いたことだが、日本の銀行協会の会長さんがこんなことを語っていた。「不景気で、どこに投資しても儲からないし、良い貸出先もない。だから必然、国債売買に走ることになる。今はこれで繋いでいくしかない状況である」。ギリシャやスペイン、キプロスの危機を作っているのは、普通の銀行なのである。こんな状況で円安・金融緩和に走っても実体経済や求人関連にはほとんど何の影響もなく、株バブルや上記タイのような(通貨、株、国債などの)バブルつぶし(空売り)に使われるだけという気がする。要は、それ以外の投資先そのものがないのだ。そこを何とかしなければ何も進まないと思う。つまり、供給側をいくら刺激してもだめ、ケインズやマルクスが指摘したように、需要創造が問題だと言うしかないではないか。リーマンショックが起こった時に、心ある経済学者のほとんどから「ケインズ、マルクスの時代到来か」と言われたのは、そういう意味だったと思う。
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新聞の片隅に載ったニュースから(171)    大西五郎

2014年10月06日 18時55分04秒 | Weblog
消費税10% 反対7割超 世論調査 家計負担増、強い懸念(14.10.5 中日新聞)

本社加盟の日本世論調査会が九月二十七、二十八日に実施した全国世論調査で、来年十月に予定されている消費税率10%への再増税に反対する人が72%に上り、賛成の25%を大きく上回ったことがわかった。安部晋三首相は予定通り再増税するかどうかをことし十二月に決めるが、景気に配慮して判断時期を先送りするよう求める声も出ている。
四月に税率が8%に上がった後、家計のやりくりが厳しくなったと感じている人は「有る程度感じている」を含めて82%に達した。財政再建の必要性に一定の理解を示す意見もあるが、再増税でさらに負担が増すことへの懸念が強い。
税率8%への増税が決まる直前の昨年九月に実施した共同通信社の電話世論調査では、賛否はほぼ並んでいた。これに比べて再増税への反対論が広がっており、消費低迷も続く中、首相は難しい判断を迫られている。
再増税に反対するのは、男性が68%だったのに対し女性は77%で、主婦などが家計の厳しさをより強く感じているようだ。大都市よりも小都市や郡部で反対が多いとの傾向も出ている。
反対する理由は「低所得者の負担が重くなり過ぎる」が49%で最も多く、「景気に悪影響を与える」が
19%で続いた。賛成する理由は「年金・医療などの社会保障制度を維持するため」が52%と最も多かった。
反対した人に政府がどうするべきか聞くと「十二月に判断せず、景気動向を見極める」が46%で最多だった。一方「再増税は実施しない」は26%にとどまり、将来的な再増税の必要性を感じている人も多いようだ。
四月の増税前と比べて「消費を控えている」と答えた人は41%だった。再増税時の負担軽減策では、生活必需品の消費税率を低くする「軽減税率」の導入が60%でトップだった。
日本経済の先行きに対する不安を「大いに感じている」「ある程度感じている」とした人は計86%に上る。その理由は「少子化と人口減少が進む」が53%を占めた。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

「共同通信が昨年九月に実施した調査」というのは、14、15の両日実施したもので、中日新聞が16日朝刊で紹介しています。8%への引き上げ「反対」が50.0%、「賛成」が46.8%でした。共同通信は10月1、2日にも全国緊急電話調査を行いましたが、このときは8%への引き上げには「賛成」53.3%、「反対」42.9%でしたが、2015年10月からの10%への再増税には61.6%が「反対」しています。8%への引き上げは社会保障費の確保のためには「止むを得ないか」と考えたであろう人も、10%への引き上げには抵抗が強かったようです。さらに今回の調査では「反対」が72%にまで増えました。生活の実感から再増税には抵抗が強まったことがわかります。
安倍首相は「国民に丁寧に説明する」といいながら、国会答弁などでも自分の考えを述べ立てるだけです。こうした国民の声を素直に受け止める政治を行なうべきです。
                                          大西 五郎
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世界経済史の今を観る、番外編 随筆「退廃極まる政治」   文科系

2014年10月06日 16時40分02秒 | Weblog
随筆「アメリカ共和党に見る退廃極まる政治」
  

 12年の米大統領選挙で、この演説ほど話題になったものはあるまい。こう解説されて大評判になったものだ、
「オバマは税を払わない奴のための政治。私は納税者のために働く」

『九月二六日。ロムニー陣営の幹部らは米キニピアック大などが発表した世論調査に青ざめた。中西部オハイオ州で十ポイント、南部フロリダ州で九ポイントという大差でオバマ氏が支持率の優位をみせたからだ。数ポイント差の接戦とされていた両州でロムニー氏の劣勢が濃厚になった。(中略)
 支持率低下の最大の要因は相次いだ失言だ。
「オバマ氏に投票する四七%の国民は政府に依存し、自分は被害者で政府が面倒を見る必要があると考えている。所得税も払っていない」――。庶民感覚のない大富豪ぶりを指摘されてきたロムニー氏だが、その印象は決定的になった。弱者切り捨てと受け取られかねないだけに、共和党内部からも批判が集中した。(以下略)』(日経新聞)

 さて、選挙演説でこう話す感覚!?それが大統領有力候補の口から出るアメリカって、一体どういう国なのか。この演説のさわり部分は、日本なら明治時代にあった「制限選挙制度」の考え方と親類なのだから。「選挙権を持つのは、○○円以上の納税者男子とする」というあれである。こういう人を大統領候補に選ぶ政党が確か下院では多数党だった。訳が分からないが、こういう傾向がこの三十年ほどかの国に打ち続いた重大な政治変化に起因するのは明らかだろう。

 八一年に始まったレーガン大統領の政治は、なんと「画期的」なものであったか。大減税を行った。それも大金持ちには、特に。また、こう称して、法人税減らし、投資資金控除などにも邁進していった。
「一般消費者の側ではなく供給側をこそ、これからは刺激していく。そういう景気対策をとる」
 すると、凄まじい格差が生じた。だぶついたこれらの所得、資金でもって今度は、こんな画策が始まる。八〇年代急成長をとげた中南米、アジアなどで汗水垂らして蓄えた金が、九十年代には一夜にしてアメリカに奪われていくことになる。通貨危機という形で世紀の移り目に世界中で起こったマネーゲームがそれだ。全国の大学経済学部のために作られた教科書から、そのアジア通貨危機の発端、九七年のタイ国の一例を抜き出してみよう。
『投機家はタイに自己実現的通貨投機をしかけた。一ドル二五バーツに事実上固定していたタイ・バーツが貿易収支の悪化から下落すると予想し、三ヶ月後に二五バーツでバーツを売りドルを時価で買う先物予約をすると同時に、直物でバーツを売り浴びせた。タイ中央銀行は外貨準備二五〇億ドルのほとんどすべてを動員して通貨防衛を試みたが力尽きた。』(東洋経済「現代世界経済をとらえる VER5」二〇一〇年。一二一頁)
 これは、その五年前にヘッジファンドの雄ジョージ・ソロスがイングランド銀行を、空売りでもって完敗させたのとそっくり同じやり方である。ソロスは、東西ドイツ統一でイギリスからドイツへとマルクが還流していくと見越して、ポンドの空売りとマルク買い攻撃をしかけたのである。なお、空売りとはこういうものだ。間もなく安くなると見込んだ通貨、株などを大量に借り受けそれを売り、最も安くなった時を見計らった安値でこれを買い戻して貸し主に現物を返すことによって、その差額を取得するという手法だ。元金はその借り受け株や通貨などの総額の4%ほどを見せておくだけでよいから、25倍ほどの大ばくちが打てるというやり方でもある。

 このようにしてアメリカには、日本より遙かに激しかった超格差がもっと膨らんでいった。〇五年には、一%の国民が国民所得の二二%を占めるというように。この非人間的社会現象を前にしたら、こんな説でも流布させるしか自己防御術はないのだろう。
「大金持ちの金は、サービス業などにも大いに流れていくのだ」
 これをトリクルダウン説という。トゥリクルとは、ぽたぽたと滴り落ちるという意味だ。「下」の人をバカにしていてふざけたような表現と僕は感じるが、確かに幾分かそうなるには違いない。が、何十億円ものボーナスが付く人々も多いこの超格差を打ち消す勢いでこんな喧伝がなされてきたというのが、いかにも今のこの国らしい。
 これらの出来事すべての間にも、アメリカの軍事費はいっこうに減らなかったのである。それまでの軍隊強化の口実、「冷戦」が終わったというのに。こういう「口実創造」、意識して国家の敵を作り出すやり口も含めて、これもお金持ち本位政治の国ということなのだろう。こうして八十年代以降のアメリカは「好景気に沸き続けた」のだそうだ。ただこの好景気も基本的には金融が儲けただけであって、ITバブルを除いてはアメリカの製造業はどんどん衰えていくことになる。貿易収支の大赤字がその証拠と言われ、この赤字を支えてきたのは日本や中国などだ。米国への輸出などで儲けた金をアメリカに還流させ、この金でアメリカがこれらの国の商品をさらに買い増し、アメリカの家計赤字などを増やしてきただけだったと、これも今や通説である。こんなやりかたも、ドルが基軸通貨だったから可能だったこと。次第にこんな手は使えなくなってきたから、ドルはどんどん安くなっていくはずだ。そしてさらに何よりの悲劇はこれ。アメリカのこの金融本位経済がサブプライム住宅バブル爆発で、一兆ドルを超える莫大な国家赤字を積み足したことだ。その分「軍事を削るか、福祉を削るのか」との国論分裂も激化したりしつつ、ドルはさらに安くなっていくのだろう。これではアメリカは、中国が怖いわけである。中国はどうも、作られた「強敵」ではないようだ。アメリカから儲けた金で大量のドルと米国債を所有し、その金で軍事力も強化してきた。嘘の理由でイラクに戦争を仕掛けたなど強面一本でやってきたアメリカ流儀も、中国にはどうも通じそうもない。元安をどうやって崩せるか。さもなくば、覇権の交代がおこるのか。とにかく日本だけは味方に付けておかねばならぬ。そして、あわよくば、アメリカの前衛部隊、楯になっていただけないものか。

 以上の間中、金融によって整理統合・合理化されるだけだったアメリカ現物経済は、失業者、半失業者を、つまり相対的貧困者をどんどん生み出し、国としての購買力をなくしているのだ。これでどうして景気が良くなるのだろうか。アメリカはもちろん、世界の景気も。いや、万一こういうやり方すべてを前提として「アメリカの株価にかぎって景気が良くなった」としても、人類にとってどんな意味があるというのだろう。憎しみの連鎖から、世界が滅びていくのではないか。

 ロムニーの発言は、この三〇年かけてアメリカがたどり着いた「到達点」なのでもあろう。
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