1970年代初頭の金本位制、固定相場制崩壊以降には、小さなバブルとその破裂は無数に起こっているという。IMF(国際通貨基金)の08年調査によればこのように。
『1970年から2007年までの38年間に、208カ国で通貨危機が、124カ国で銀行危機が、63カ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後1970年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません』(岩波ブックレット12年刊 伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授「金融危機は再びやってくる」P3)
また、08年のような史上かってなく大きなバブル崩壊について、必ず起こるとも予言されてきたのである。経済学者からはもちろん、高等数学が分かる人からも。例えば、数学者である藤原正彦・お茶の水女子大学教授はその著作「国家の品格」(新潮新書 06年4月第24刷分)でこう予言していた。
『新聞等ではなぜかあまり騒がれておりませんが、このデリバティブの残高が、国際決済銀行の発表によると2004年時点で1兆円の二万五千倍と言われています。二万五千兆円ですね。わずか三年前の残高の2.2倍です。ここ10年では25倍という恐るべき急増です。多分、京(きよう)だか京(けい)だか知りませんが、2京五千兆とでも言うのでしょう。・・・・リスク率を4%と仮定しても、一千兆円です。銀行やヘッジファンドはデリバティブの主役ですから、大規模デリバティブが一つでも破綻すると、その瞬間に資金の流れが止まり、連鎖的に決済不能に陥ります。一千兆円という数字は、銀行のリスク許容能力である自己資金の総額の数倍にも達しているのです。・・・・いつ世界経済をメチャクチャにするのか、息をひそめて見守らねばならないものになっています。しかもなぜか、これに強力な規制を入れることも出来ない。そもそもマスコミはこれに触れることすら遠慮している。』(p32~34)
上の「デリバティブ残高」と「リスク率4%」というのは、レバレッジ、証拠金取引ということに関わっている。通貨、債券、株式などの先物買いなどのデリバティブ(金融派生商品)取引は、「想定元本」の取引を、その4%ほどの証拠金でもって行うことができる。つまり手元資金の25倍ほどの梃子を利かせる大ばくちが出来るのである。逆を言えば、儲ける場合の金額も大きいけれど、自己責任が負えないような大損もあるということだ。
こういうものが破裂して、さて世界はどうなったか。今は、どうなっているのか。こんな重大なことが、藤原氏も言うように、その後のマスコミで追跡調査や反省などほとんど社会問題として正しく反省されたようには見えないのである。全く不思議なことだ。アメリカ政府資金だけでも1兆ドル遙かに超えるほどに使ったはずの公的出来事なのに。こんな不思議な事態は、金をもっている権力者たちが政府ぐるみでその権力をフルに使ってあらゆるマスコミ社会に対して口止めをしているとしか僕には思えない(藤原氏もそう思っているはずだ)。新自由主義社会の最大の恥部をみんなして隠しているわけである。これほどにおかしい問題処理をしておいて、「アベノミックスの超株高!」とか「アメリカ株価、リーマン以前に戻す!」とかを今叫んでいるのでは、世界が今回と同じ政府資金投入という社会主義的不公正・弥縫対策を何度も繰り返すことになるのは、必然だと思う。今現在でさえ、日銀・政府が日本最大の株式などの所有者であるという事実を、どれだけの人々が知っているだろうか。政府が率先してバブルを作っているとも言えるのである。量的緩和というのが、そういう意味だとさえ言えるのである。つまり、バブル育成は、今の先進諸国家の常態になっている。現在の株高にはこうして、実態的な性格がどれだけあると言えるのだろうか。
上記伊藤正直氏著作の題名「金融危機は再びやってくる」とは、そういう意味なのである。
この間、根本的に「正しく」景気、購買力をよくするべく、世界先進国の失業者に職を与えるとか臨時、パートを正規職に変えるとかは、世界で何も進んでいないのである。世界の先進国の失業者たちになんの変化もない「景気」「株高」に、どんな意味があるのか。だからこそ資本で物を作っても何も売れないから、資本がどこでも、何度もマネーゲームに走るしかなかったのではないか。その元凶連中は100億とかのボーナスをもらって食い逃げしていくだけでなく、その会社は国家救済までされるのにである。彼らに騙されるようにして家を買わされ、数年で高い利子に替わって払えなくなり、その虎の子の家までを取り上げられたうえに借金漬けにされたサブプライムローンの人々は、その一生をめちゃくちゃにされたのである。アメリカだけではなく、ギリシャでも、スペイン、ポルトガル、イタリアでも同じことが起こったのである。
これは戦争と同じだ。それも、バブルの膨張、破裂のたびに何度も繰り返される戦争。
数百万のサブプライム家庭を殺したにも等しい投資銀行幹部たちは大儲けをした「英雄」、「セレブ」のまま。対するに、たった一軒の家のローンが払えなくなった人々はその人生を殺されたにも等しいということだろう。こんな事を何度繰り返すというのか。なんと不思議な世の中なのだろう。
『1970年から2007年までの38年間に、208カ国で通貨危機が、124カ国で銀行危機が、63カ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後1970年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません』(岩波ブックレット12年刊 伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授「金融危機は再びやってくる」P3)
また、08年のような史上かってなく大きなバブル崩壊について、必ず起こるとも予言されてきたのである。経済学者からはもちろん、高等数学が分かる人からも。例えば、数学者である藤原正彦・お茶の水女子大学教授はその著作「国家の品格」(新潮新書 06年4月第24刷分)でこう予言していた。
『新聞等ではなぜかあまり騒がれておりませんが、このデリバティブの残高が、国際決済銀行の発表によると2004年時点で1兆円の二万五千倍と言われています。二万五千兆円ですね。わずか三年前の残高の2.2倍です。ここ10年では25倍という恐るべき急増です。多分、京(きよう)だか京(けい)だか知りませんが、2京五千兆とでも言うのでしょう。・・・・リスク率を4%と仮定しても、一千兆円です。銀行やヘッジファンドはデリバティブの主役ですから、大規模デリバティブが一つでも破綻すると、その瞬間に資金の流れが止まり、連鎖的に決済不能に陥ります。一千兆円という数字は、銀行のリスク許容能力である自己資金の総額の数倍にも達しているのです。・・・・いつ世界経済をメチャクチャにするのか、息をひそめて見守らねばならないものになっています。しかもなぜか、これに強力な規制を入れることも出来ない。そもそもマスコミはこれに触れることすら遠慮している。』(p32~34)
上の「デリバティブ残高」と「リスク率4%」というのは、レバレッジ、証拠金取引ということに関わっている。通貨、債券、株式などの先物買いなどのデリバティブ(金融派生商品)取引は、「想定元本」の取引を、その4%ほどの証拠金でもって行うことができる。つまり手元資金の25倍ほどの梃子を利かせる大ばくちが出来るのである。逆を言えば、儲ける場合の金額も大きいけれど、自己責任が負えないような大損もあるということだ。
こういうものが破裂して、さて世界はどうなったか。今は、どうなっているのか。こんな重大なことが、藤原氏も言うように、その後のマスコミで追跡調査や反省などほとんど社会問題として正しく反省されたようには見えないのである。全く不思議なことだ。アメリカ政府資金だけでも1兆ドル遙かに超えるほどに使ったはずの公的出来事なのに。こんな不思議な事態は、金をもっている権力者たちが政府ぐるみでその権力をフルに使ってあらゆるマスコミ社会に対して口止めをしているとしか僕には思えない(藤原氏もそう思っているはずだ)。新自由主義社会の最大の恥部をみんなして隠しているわけである。これほどにおかしい問題処理をしておいて、「アベノミックスの超株高!」とか「アメリカ株価、リーマン以前に戻す!」とかを今叫んでいるのでは、世界が今回と同じ政府資金投入という社会主義的不公正・弥縫対策を何度も繰り返すことになるのは、必然だと思う。今現在でさえ、日銀・政府が日本最大の株式などの所有者であるという事実を、どれだけの人々が知っているだろうか。政府が率先してバブルを作っているとも言えるのである。量的緩和というのが、そういう意味だとさえ言えるのである。つまり、バブル育成は、今の先進諸国家の常態になっている。現在の株高にはこうして、実態的な性格がどれだけあると言えるのだろうか。
上記伊藤正直氏著作の題名「金融危機は再びやってくる」とは、そういう意味なのである。
この間、根本的に「正しく」景気、購買力をよくするべく、世界先進国の失業者に職を与えるとか臨時、パートを正規職に変えるとかは、世界で何も進んでいないのである。世界の先進国の失業者たちになんの変化もない「景気」「株高」に、どんな意味があるのか。だからこそ資本で物を作っても何も売れないから、資本がどこでも、何度もマネーゲームに走るしかなかったのではないか。その元凶連中は100億とかのボーナスをもらって食い逃げしていくだけでなく、その会社は国家救済までされるのにである。彼らに騙されるようにして家を買わされ、数年で高い利子に替わって払えなくなり、その虎の子の家までを取り上げられたうえに借金漬けにされたサブプライムローンの人々は、その一生をめちゃくちゃにされたのである。アメリカだけではなく、ギリシャでも、スペイン、ポルトガル、イタリアでも同じことが起こったのである。
これは戦争と同じだ。それも、バブルの膨張、破裂のたびに何度も繰り返される戦争。
数百万のサブプライム家庭を殺したにも等しい投資銀行幹部たちは大儲けをした「英雄」、「セレブ」のまま。対するに、たった一軒の家のローンが払えなくなった人々はその人生を殺されたにも等しいということだろう。こんな事を何度繰り返すというのか。なんと不思議な世の中なのだろう。