九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

右の広告が五月蠅いから  文科系

2018年03月19日 10時18分16秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 「ハルノート、ハルノート!」と、右の広告が五月蠅いから、今一度「ハルノート開戦原因論」の嘘を暴いておく。旧稿の何度目かの転載であるが。


【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編)  文科系 2010年11月20日

 しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
【『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』】

 

 「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく
1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』

2 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』】
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トランプという人間(2)   文科系

2018年03月18日 09時03分14秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 こんな人物が大統領になるって珍しいことだから、しばらく続けようかと思う。「炎と怒り」?とかいう告発本も出たことだし。

 今日の中日新聞には珍しく彼について二つのエピソードが載っている。
 一つは、「日本 ボーリング玉で車検査」という見出し記事があって、14日のミズーリ州集会での発言が紹介されていた。トランプが、「ボーリング玉試験を知っているか?」と切り出したうえで、米国車輸入を妨げている証拠の一つとしてこんな解説を付け加えた。
『高さ6メートルから球体を車のボンネットに落とす実験と紹介し、「もしボンネットが傷つけば、品質の低い車とみなされる。こうして我々は脅かされている。ひどいことだ」と語った』
 もっともこの発言は例によって悪意ある、ガセネタ、フェークニュース。報道官が慌てて記者会見、「この発言は冗談だ」と釈明する始末。というのは、この検査が以下のような意味で正しいものだからである。車にぶつかった歩行者は、ボンネット強打による頭の怪我から死亡した例が過去に多かったところから、ボンネットをちゃんと凹むように柔らかくしないといけないということなのである。

 さて、今一つの記事は、トランプ氏によくある例として大統領選出馬前の女性絡み事件だ。
『「口止め違反」で元ポルノ女優提訴 トランプ氏、21億円請求』
 口止め合意によって1400万円支払い済みの過去をばらしたから、新たに支払いを求めるというもの。もっとも、このお相手はこう反論して見せたとあった。
 トランプ氏の弁護士が独断で結んだ契約であって、『合意文書にトランプ氏本人の署名がなく無効だと訴えて訴訟を提起』ということ。
 有名テレビ番組司会者でもあって女性問題が華やかなトランプ大統領、さてこういう過去が一体どれほど表に出てくることなのだろう。そのたびに政権不安定?とか、他人事ながら心配になる。
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「太平洋戦争の大嘘」という大嘘   文科系

2018年03月18日 03時23分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 標記「 」のような右流大嘘広告が、金に飽かしてここにもいつも載っている。これらの右流広告がどう大嘘であるか。最要点を改めて一言。

・太平洋戦争は、満州事変以降に国際法に違反した確信犯的諸行動を日本が取っていったことの帰結であった。満州事変は、日本の不法戦争だと国際連盟総会リットン調査団報告採択(反対は日本ただ1票)で徹底批判されて、開き直った日本が国連脱退に至った大事件だった。
・以降の日本は、国際法違反の確信犯である。この確信犯国際違法行動が重なる度に、アメリカ、日本などが今北朝鮮にやっているような「制裁強化」が日本に掛けられてきた。そういうチキンレースの果てが「石油が尽きる前に太平洋戦争」となったのに、日本右翼は真珠湾以前の数々の国際法違反行為をすべて太平洋戦争から切り離して論じて来たのである。
・曰く「不当な制裁強化!」、曰く「傲岸不遜なハルノート!」など「あまりにも重なり過ぎた鬼畜米英による理不尽行為に対して、終に堪忍袋の緒が切れた日本の正義の戦争決意!」という理屈である。
・以上をまとめると、要はこういうことを語っているだけである。
「国際組織から脱退して以降は、何をやっても裁かれないのである。それは横に置いておいて、日本が負けた戦争だけを人は見るべきなのだ」

 戦前日本とドイツなどはこうして、今の北以上に鼻つまみの軍国主義独裁国家だったのである。それがまた今の北とは違って強大な世界的軍事力を持っていたから、平然と、どんどん、国境を侵して行ったというわけだ。真珠湾しかり、ポーランド侵入電撃作戦しかり。
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安倍さんの支持率  らくせき

2018年03月17日 16時32分03秒 | Weblog
時事通信の世論調査では安倍さんを支持しないが、支持するより上回ってるが、
それでも支持利率は40%あるとのこと。

これは何を表しているのか?
ひとつの解釈は、安倍さんの代わりがいないという声もあります。
しかし民主主義の危機です。新しいファシズムの始まり。

安倍さん以外なら誰でも、これより悪くはならないのじゃないかな?
国民は民主主義には、経済ほど関心をもっていないということか?
手離してから気付いても遅い・・・

あるいは・・・・


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トランプという人間   文科系

2018年03月17日 15時02分18秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 現在世界政治で最も影響力のあるトランプという男は、いったいどういう人間か。そのことを最もよく示していると思われる例を二つばかりあげてみたい。その人間のすべてを白日の下に曝してしまう言動というものがあるのであって、以下は正にそういう例と言える。

 一つは、大統領に就任して最初に行った大きすぎる外交的大事件、エルサレムをイスラエルの首都とあえて認定してみせた政治行為である。
 周知のように、エルサレムはイスラム教徒の聖地でもある。だからこそここをイスラエルが武力でもって不法占領しても、イスラム教徒の聖地であるということ自身もそこへのイスラム教徒の巡礼などもイスラエルは認めてきたものだ。それを大統領になってすぐに敢えて、ユダヤ教徒であるイスラエルの首都と認定してみせるという行為は一体どう表現したらよいものだろう。ただでさえイスラムと険悪な関係になってきたアメリカが、その宗教の表看板に真っ黒な泥を塗りつけたも同じ行為になる。これはどう表現したらよいか、イスラム教徒という人間の根底を敢えて改めて嘲笑って見せたのと同じことであって、つまりこういうことだ。相手を自分と同じような人間だと見ていない事を示す行為であると。つまり、彼には人としてのリスペクトがない人間たちが存在するわけである。これは要するに、民主主義の感覚そのものが欠如した人間といういうことではないか。

 次いでこの事。これは大統領になる以前の彼の公式な場での発言であるが、こんなことを語っている。「金さえあれば、女にどんなことでもさせられる」
 たぐいまれな不動産王なのだそうだが、金で人の顔をひっぱたいてきた人物ということがよく分かる言葉だ。これは世界の一角の真実には違いなかろうが、彼がそういう一角の住人であり続けてきて、自らそう振る舞ってきたということを恥ずかし気もなく述べているわけだ。

 大変な人間がアメリカ大統領になったものである。ロシアゲート事件絡みもあって、あと3年続けられるのかどうかだが、米国大統領の地位をこの上なく引き下げてしまった人物と言えることは確かだろう。
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公平を捨てる?   らくせき

2018年03月16日 08時59分29秒 | Weblog
安倍政権が検討している放送制度改革の方針案が15日、明らかになった。テレビ、ラジオ番組の政治的公平を求めた放送法の条文を撤廃するなど、規制を緩和し自由な放送を可能にすることで、新規参入を促す構え。放送局が増えて、より多様な番組が流通することが期待される一方、党派色の強い局が登場する恐れもあり、論議を呼ぶのは必至だ。

 共同通信が入手した政府の内部文書によると、規制の少ないインターネット通信と放送で異なる現行規制を一本化し、放送局に政治的公平などを義務付けた放送法4条を撤廃するとともに、放送に認められた簡便な著作権処理を通信にも適用する。
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まだまだ不気味、トランプ朝鮮政策  文科系

2018年03月14日 14時29分06秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 米ティラーソン国務長官解任は、僕には大変気になる情勢だ。この1日に「米先制攻撃への現実的恐怖」というエントリーの中でこのように書いたが、これの延長問題として。
『この2月27日新聞は、アメリカのこんな悲観的情勢を伝えている。国務省北朝鮮担当特別代表ジョセフ・ユン氏が、3月2日付けで辞任すると米国務省が明らかにした。オバマ前大統領が北朝鮮の核・ミサイル問題をになう特別代表に任命して以来、この任に当たってきた「対北対話派」筆頭の人物である。このことを、トランプ大統領府に対する不満表明だと報道するアメリカ・マスコミが多い。トランプ政権になって1年、外交の府・国務省が政権から疎外され始めたことへの「やってられない!」といういくつかの報道の一つなのである。』

 さて、そもそも、今年に入ってからの米北をめぐる遣り取りは意外なことばかりが続きすぎている。
①まずなによりも、韓国が北に対してかってなく粘り強く平和的解決・交渉を持ちかけたこと。日本のマスコミが「北に欺されている」「アメリカを疎外している」などと評したほどの必死の工作ぶりであった。
②これに対して北が、南北及び米北首脳会談に応じたというのも、「非核」を交渉の議題に載せると応じたのも、全く意外な展開であった。

 さてこの二つからこんな推察も成り立つのではないか。トランプが既に対北先制攻撃を決めていて、それを察知した韓国が形振り構わず和平に動いたと。そして、韓国にこの情報をもらしたのが、アメリカ国務省筋であったと。こういう見方をするならば、今回のティラーソン解任にまで引き続いてきた国務省と政権との確執が初めて理解できるように思うのである。
 こうしてつまり、アメリカの対北先制攻撃(開戦)はいったん遠のいたが、決して消え去ってはいないと、今僕はそう強調したい。それほどにあのトランプという人物を危惧している。
「北は完全に破壊する」と繰り返してきたのだし、「それは、どうするつもりということか?」と問われて「今に分かる」と答え続けてきた人物である。どれだけ人が死んでも銃を規制しないと頑張っている米政治勢力に支えられていることや、イスラムの聖地でもあるエルサレムをイスラエルの首都と認めて改めて中東に憎しみを深く拡散させたその遣り口などに思いを馳せざるをえないのである。

 さし当たって4月に予定されている米韓軍事演習はおこなわれるのかどうか。安倍首相が韓国大統領にわざわざ「延期をするな」と申し出て、「内政問題である(内政干渉するな)」と突っぱねられた経緯があったあの大演習である。今までの経緯から観てこれはもういったん吹っ飛んだのかどうかなどを含めて、不安な目で観守っていきたい。
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久しぶりに 1970

2018年03月13日 23時32分15秒 | Weblog
年明け初か?w
今年はW杯イヤーでサッカー以外のことはあまり書くつもりはなかったが、此処んとこ色々あったので。

①財務省の文章改竄問題
森友についてはかなり前に一度、総理夫人のおバカな行動について書いたことがあったが、今回の改竄問題でも同じ感想になる。結局そもそもはあそこからじゃない?
闇の深い地域に建てられる小学校をめぐり胡散臭い業者にまんまと手玉に取られた脇の甘さが全てだろう。最初に証人喚問でも何でもやって御免なさいしていればここまでの話しにはならなかった筈。それがよってたかってうやむやにしようとして複雑骨折になった。アホの極み。しかし今回の件で私が一番驚いたのは財務省の文章改竄ではない。その後に出てきた、会計検査院が文章が2種類あることを知っていたという話だよ。おいおいwこれじゃチェックもクソも無いだろ。分かってるのか?
これには開いた口が塞がらなかった。今後どうやって立て直すのか見物。
でも、野党のやることにも相変わらず感心出来ないので、まあ様子見だな。いつから政治家の調査能力がここまで無くなったのか?昔は爆弾男なんてのが居たんだけどね。今回は朝日の起死回生スクープで、いつもは週刊文春だからな。野党は居ても居なくても一緒。

②米朝会談?
やるのホントにw実際行うとなれば歴史的な会談になるだろう。
しかし、カリアゲが本気で核を廃棄するつもりだなんてとてもじゃないが思えない。唯一にして最大の拠り所が親子三代悲願の核だろ?それをいつ辞めるか分からないようなトランプ相手に犠牲にするとは思えないな。そうやって考えると5月と言われてる会談迄に幾つもヤマがありそうな気がする。そして、会談にこぎ着けても話が纏まる保証は当然無い。あまりいいイメージがわかないんだよな。

③サッカー日本代表
この期に及んでまだメンバー探しをやってるんだよなw今までの2年間は何をやってたんだ?直前での不調から度々岡田ジャパンと比較されるが、あの時とは比較にならない程今回の方が酷いからなw南アの時はこの時期メンバーはほぼ決まってたんだよ。試行錯誤したのは戦術なの。今のように毎回スタメンさえコロコロ替わるんじゃ呼吸が合うのは来年だよw

というわけで、次は多分今月末のサッカーヨーロッパ遠征の時だな。
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日本国家行政を破壊した内閣   文科系

2018年03月13日 15時55分26秒 | 国内政治・経済・社会問題
 とうとう、森友問題の経過が白日の下に曝されることになった。事の重大性に鑑みいろんな文章を読んだが、 以下が最も参考になったものだ。「アエラ・ドットコム」に12日に掲載された古賀茂明氏の解説(の抜粋)である。この数年、安倍内閣の元で官僚の世界がいかに堕落させられてきたかが、とても良く分かるのである。


『 今回の佐川氏の辞任と近畿財務局職員の自殺は、官僚による、同じ森友学園問題への対応である。一人は生きながら逃げる道を選び、もう一人は死の世界に逃避する道を選んだ。対照的ではあるが、共通することがある。
 それは、時の権力者を守るための犠牲になったということだ。

 一昨年くらいから、官僚が安倍政権を守るために、あるいは安倍総理の意向を忖度して不正を行うケースが頻発するようになった。大きな事件だけでも、南スーダンの日報隠ぺい問題、森友学園に続き加計学園問題、ペジー社のスパコン詐欺事件、厚労省の裁量労働データ捏造など、まるで官僚機構は悪の巣窟であるかのような印象さえ与える。この他にも表に出ない不適切な行政は数えきれないくらいあるのだろう。
 それくらい、今、日本の行政は腐敗しきっている。もはや「崩壊」という言葉を使いたいくらいだ。

 その原因は何か。

 安倍総理自身がどう考えているかにかかわらず、今、霞が関では、安倍首相に逆らうことは役人としての“死”を意味するかのように受け取られている。逆らえば、昇進がなくなり、左遷は当たり前、さらには、辞職してからも個人攻撃で社会的に葬られる恐れもある。逆に、安倍首相に気に入られれば、人事で破格の厚遇を受ける。

 霞が関の官僚のほとんどが違憲だと考えていた集団的自衛権を合憲だと考える官僚を法制局長官に置き換えた人事は、象徴的だった。あんな禁じ手を使われたら、官僚は、安倍首相に媚びようと必死になる。
(文科系注 この事件はこのブログでも何回か扱ってきた。元々内部昇格が伝統であった内閣法制局長官を、史上初めて外部から、それも外務省から持って来たのである。これを称して古賀氏は上のように「あんな禁じ手を使われたら、官僚は、安倍首相に媚びようと必死になる」と評したわけなのだ)

 文科省で、退職後ではあるが、安倍政権の政策に異を唱えた前川喜平前文科次官の個人情報がリークされて御用新聞の読売がそれを記事にしたことも官僚たちを震え上がらせた。安倍首相が如何に容赦なく自分の敵を叩き潰すかを目の当たりにしたからだ。

 もちろん、これらは氷山の一角だ。

 こうした言動を日々見せつけられる官僚の目には、安倍総理は、尋常ならざる権力者と映る。』


 古賀氏も上で「(日本という国の)行政の崩壊」とまで表現しているが、安倍政権は日本国家そのものをかってなく破壊したと言える。それも、行政というものをどれだけ破壊したかということも理解できない政権だからこそ、こうなったのであろう。そんな内閣が「内閣人事局」を新設して、官僚の首根っこを押さえた、そのことの諸結末。この後遺症がまた、限りなく大きいと思う。
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マスコミ報道の歪み(14)日本が「戦争に巻き込まれそう」   文科系

2018年03月13日 13時46分30秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 内閣府が1月に実施し、この10日付けで発表した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」において『戦争巻き添え8割超が懸念』という回答結果が出たという。日本という国にとってこの数字は、大変な事態であると強調したい。なんせ、9条を持った反戦の国なのだから。なんでこうなったのか?

 北に対してアメリカが仕掛けたチキンレース政策がこの原因になっているのは自明であろう。ところがこの自明のことを我が日本のマスコミはこぞって、北が原因というように書いてきた。こういう書き方は重大な誤りなのであって、北を巡る最近の事態の本質は、前回書いた表現で言えばこういうことであったはずなのだ。

『とこう見てくれば、戦争直前という地点まで今の朝鮮半島緊張を高めたのが北ではなくアメリカであることは、誰が見ても自明ではないか。日本のマスコミには、こういう観点が全く欠落している。そもそも「ならず者国家」を潰すという米論理が、半島緊張報道、解説のどこにも出て来なかった。だからこそ、今の朝鮮緊張をば、「ならず者国家」イラクに戦争を仕掛けてこれを潰したという「先例」とは全く関係づけもしないのである。
 そこを僕はこう述べてきた。アメリカを免罪している。核を持っているだけで戦争を仕掛けても良いとしているのと実質同じ論理となる。日本マスコミの論調は「隣国の韓国が、同朋との戦争は嫌だと振る舞うその気持ちを嘲笑っているに等しい」などなど・・・。』

 さて、こういう結果として日本国民の圧倒的多数が「戦争に巻き込まれそう」と感じたというのだから、アメリカばかりではなく、日本マスコミもなんと罪な世論盛り上げをやったものだろうと、改めて思うのである。日本のマスコミがやらなければならなかったことはむしろ、こういうことだったはずだ。
「核を持っているからと言って、先制攻撃を仕掛けて良いということにはならない。『大量破壊兵器』を原因として始まったイラク戦争開戦のようなことは断じて不承知である」
「北を『ならず者国家』と名付け、「徹底的に破壊する」などと叫び続けることは、今時甚だしい時代錯誤の誤りである」
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反米は即、親中国なのか?  らくせき

2018年03月13日 12時42分46秒 | Weblog
財務省の改竄、書き換えがは白日のもとにさらされて
ネトウヨさんたちの元気がないとのこと。
これはネトウヨさんがほんとの右翼じゃないということでしょうね。
ホンモノの右翼なら怒るべきでしょう。

かねがね感じていたことですが、右でなければ左という
無意識の前提でコメントをつけるのはいかがなものでしょう?

右も左もおかしいという立場もあるのでは?
私が反米なのは日本が独立国家として自立してほしいという
気持ちを表明しているのであって親中国でも韓国でもないですがね。



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「よたよたランナーの手記」(218)インフルB型のあと  文科系

2018年03月11日 10時01分33秒 | スポーツ
 3月1日の夕方、走った後に全身悪寒が始まった。熱は高くないのだが、悪寒が凄まじく、震えながら寝ているということ以外は何も思い付かないという始末。

 週明けの5日に掛かり付け医へ行ったらインフルエンザB型の診断。タミフルを飲んで、結局7日まで基本寝ていた。そして、この10日おそるおそる走ってみたが、ちゃんと走れたではないか。9キロの外走りからちゃんと帰ってこられた時は、本当にほっとした。僕の有酸素運動筋肉って、10日程度の完全ブランクでは取り返しが難しくなるほどに衰えるということはないと、改めて分かった思いだった。もっとも、完全LSDでキロ8分と、ピッチもストライドも抑えに抑えて走ってきた。それでも平均心拍数は148と、僕のこのスピードとしては平均10以上も高かった。10日も完全ブランクがあると、心肺機能はえらく低下するということだろう。2月の初めにキロ6分23秒平均で走った時のことを夢の中のことのように思い出していた。
 ただ、昨日の今日11日には、疲れは全く残っていない。これも嬉しい徴候。

 この歳になると、ちょっとした怪我とか病気とかでいつも、「もう走れなくなるのではないか?」という不安がわいてくるのである。
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小説  「人・走る」(3)  文科系

2018年03月10日 09時35分48秒 | 文芸作品
小説  「人・走る」(その3)  文科系


 こういう経過を経た二十歳の頃の中田の主な特長をあげてみよう。ちなみにこの二十歳とは、フランスワールドカップアジア予選で日本が苦戦を強いられていた年であり、その苦しい連戦の大詰めにさしかかってチームの柱になっていった中田が、日本ワールドカップ初出場に向かって救世主と呼ばれた年でもある。
 ある記者は、当時称えられ始めた中田の一つの特長を「神の視座を持っている」と表現した。常にフィールド全体を鳥瞰しているような広い視野のことを指している。この能力は、その瞬間瞬間のプレーを人よりも速く、意外かつ最も的確な方向に展開していく土台となるような力である。ちなみにこれとは逆に、ドリブルが得意であるがゆえに目線を自分の周囲のみに限りがちだという選手は、現代サッカーでは大成しないというのが定説だ。この視野の確保は想像以上に難しいものらしい。常時不断にコート全体に目線を走らせることができるように、足下のボールをできるだけ見ずに操作するトレーニングを根気良く重ねた末にやっと得ることができるもののようだ。そう言うと何か非常に高度な練習法を取り入れていたように聞こえるが、中田の場合ことはいたって単純で、こう語っている。
「シンプルに二人一組で向き合って、頭の中にあらゆるシチュエーションを描きながら、パスを繰り返す。俺って無駄なことは嫌いだから、身にならない練習はしないんだよ」
そんなやり方らしい。
 また彼は、十六歳のナイジェリア体験以来、日本人離れした体力を目指してきたようだ。「日本人が小さいから外国人にはじき飛ばされるなんて、それは言い訳だよ。(中略) 当たり負けしない体力ってことが、プロの基本でしょう」、さりげない二十一歳当時のインタビュー回答である。そして彼はこう語るだけではなく、すでに二十歳前にしてこの「基本」を体現した肉体を作りあげつつあった。当時初めて彼にであった頃を振り返って、二年後輩の中村俊輔(横浜マリノス)は証言している。
「中田さんはちょっとでも、体半分でも抜ければどんどん前に行って、追っかけてきたやつを弾き飛ばしてまだ前に行って、で、誰かが裏に出たときにスルーパス。これがすごいなと。(中略)みんなが足が止まっても前に行くスピードと、そのなかで周囲を把握してる視野と、ボディバランスが違う。日本人っぽくない」
「当時でも中田さんは他の人と違ってた。毎日、全体練習の後に一人でどこかへ消えちゃった。自分用に作った体力トレーニングメニュを毎日消化してたんだよね」
 このように中田は、ナイジェリアに出会った十六歳の頃から、サッカーというものを広く整理して考え、世界水準の要素の分析、抽出に努めていたと分かる。人よりも若くして多く世界を体験したということがあるにしても、その戦略的な着眼、賢さ、執着力というような点で、非常な早熟さを示したと表現することもできるだろう。また、こういう早熟したやり方は、けっして人に教えられてできるものでもないらしい。


 さて以上は、数日間かかって慎治がまとめあげた二十歳までの中田のプロフィールである。そして彼はある日、スポーツジムで山本にこのまとめを聞いてもらうことになった。この間もせっせと続けていたいつものジム・ランニングを終えた後のことだ。
 二人の頭上のスタジオから届いて来るのは、相変わらずのエアロビクス音楽、フットワーク音、時折の喚声や拍手。目の前のプールからはクイックターンの水音、水泳教室の指示の声。少し離れた受付嬢からは、入退者への丁寧な挨拶がと切れなく続いている。それらに取り囲まれながらもそこだけが閉ざされた世界のように、一人は語り、一人は聞いていた。一気に語り終えた慎治はやっと二口目のビールを口に運び、山本がゆっくりと話し出す。
「村木君、よく調べたねえ、立派なノンフィクションができると思うよ。この前の本当に凄い中田の話が、こんなふうに生きたんだねぇ」
 しばらく沈黙。慎治は山本の次の言葉を待っていたのだし、山本は何かを考え込んでいるらしい。運動後の二人の体はシャワーくらいでは焼け石に水で、飲んだビールが汗になって吹き出し放題といった様子だった。
「一つ聞いていいかな一」と山本。慎治が二、三回うなずくのを確認したのかしなかったのか、とぎれとぎれに話しだした。「スポーツの練習や試合のやる気に関わって、モチべ-ションという言葉があるんだけど、まぁ言ってみれば動機付けとでも訳される言葉らしいんだけど、中田がナイジェリアの身体能力に『サッカーやめたくなるよ』というほどに圧倒された時、どうしてもう一度モチべ-ションを持続できたんだろう。しかも、基本のきに戻るような感じでね。彼らに当たり負けしない体力もなんてまあ、とんでもない野心だと思うけど、十六歳の子どもが夢じゃなく、そんなふうにできてくもんかねぇ?」
 この疑問は慎治の頭にもすでに浮かんだことだったので、自分なりの答えがすぐに口をついて出た。「体力強化の方は『おいつけないんじゃないか』と不安だったはず、それも彼はとことんがんばりましたけどね。他方その不安を何かで補えなきゃ展望は開けない。そこで苦労して見つけたのが『神様の視座』なんじゃないですか。『日本の取り柄は組織力』なんて、当時でも言われてましたしね。『神様の視座』って、チームとしてのこの組織力を高めることに個人が貢献できてく最大の武器だと思うんですよ。中田はそういう形で辛うじて自分を奮い立たせた………」
「うんうん、彼の事実としては確かにその通りだと分かるんだけど、それにしても、そのモチベーションが三年続いたんだよな。世界の最先端を、それもいろんな国の長所ばかりを目標にして、諦めないで初志を三年間貫くことができた十七、八歳の志って、どんなものなんだろうかとね」
 それから暫く話し込んで、山本はいつもより早目に帰っていった。その後慎治は、ビールを飲みながら先程までの会話の周辺にあれこれと思いを巡らしていく。
〈確かにそうだ。山本さんはそんなことを言った訳じゃあないけれど、そもそも中田の目に見えた成功史だけ書いたって小説になるわけないよ。中田の心が書けなきゃ安っぽい劇画、常套のドラマだ。そんなこと、当然知ってる俺が、なんで?……中田が俺を興奮させるくらい面白いからだけど、俺は一体中田のどこに興奮するの? これは意外に難しい問題だよ。………当たられても倒れない強靭なバランスカ? 大舞台での幾つかのゴール? そこへパスするかという素速く正確な展開力? 行く先々での大成功? 日本を飛び抜けた唯一のサッカー選手? 世界選抜メンバーに選ばれた時?………、ちょっと待てよ、マジに。……こんなもんじゃあ、スポーツビジネスの宣伝文句やサッカーフーリガンの「感動」と変らんぞぉ。それで悪いかとは言えるけど、小説にはならんよなぁ………。読み物としちゃ、観戦記にオノマトペみたいに使われた感動用語くっつけるだけのスポーツライター、それと同類のドキュメンタリー程度のもんだ。かと言って彼の心を描こうにも、当時の中田の野心、認識、悩みなんかを聞き取るなんてことは、夢だしなあ)


 創作活動が振り出しに戻り、秋に入った。今日もいつものように夜九時過ぎ、慎治はジムのベルトを走り始めている。この頃は短時間ではあっても、ほとんど一日置きに通って来る。創作が進まないことの憂さ晴らしでランニングに熱が入っているという気がしないでもなかったが、こちらの方の成果は上々、それも急激な上昇期に入ったらしい。開始一年過ぎのこの夏以降通い詰めた成果が出たのか、その頃から体重がはっきり減り始めたからなのか、涼しくなって呼吸が楽になってきたことによるのか、いずれにしても急激なタイムの上昇であった。もっともスポーツには長い停滞あるいは後退の時期があっても年齢なりに急上昇する時が来るものであり、ランニングの場合は特別で、一定の筋力トレーニングをしつつ距離を走り続けるかぎり練習時間に比例して力がついて行くものだとは、慎治が山本からよく励まされた話であった。こんな知識もまたさらに、慎治を熱くさせてきたものだ。
 ランニング日誌八月分で既に、急激な上昇を改めて振り返ることができる。
 七日、十キロを五十四分十秒。九日、同じく五十二分三十秒。十一日、五十分四十秒。その後暫くゆっくり距離を走ったり、五キロのタイムトライアルをしたりして、二十五日、五十分二十秒。二十九日、四十九分十秒。
 九月に入って最近熱を入れているのは、五キロのタイムトライアル、スピード練習である。この日の目標は二十二分二十秒、山本の記録を抜こうというものだ。夏の初めが二十五分前後だったことを考えるなら、大変な進歩と言える。もっともその頃までは距離を伸ばすことに熱中していたのだったが。

 タイムトライアルは苦しい。どれだけ深くまた規則正しく呼吸しても、吐き出し足らぬ感じに悩まされ、加えて脚全体の違和感が耐えがたいものになってくる。それでもベルトスピードを緩めずに続けると吐き気に似たものが襲ってくることももう体験済みだ。そんな場合は走るのを止めるべきであるが、最近はさすがにそこまでの無理はしなくなっている。
 肘を後方に大きく突き出すように、低目に構えた腕を振る。その振幅で脚を前へ前へと引っ張って、大きく走る。意外に腿に疲れが溜ってこない今日のような日の、脚が大きく伸びても柔らかく着地できていくといった感触は、ランニングの醍醐味だと慎治には感じられる。自分に合った走り方で、それに相応しいリズムだと体全体が示してくれているらしい。しかも、適度に力強いとも実感できるこんな日の一歩一歩自身が、自分の体の節々に無理なく蓄積されていくといった手応え、こういった快感である。ちなみに、この感じの象徴として使おうというある文章を、中田についての書きかけの作品用に創り、用意してあった。シャワーの後、十時半前に外の夜風に当たった時、今日もこれを己に語って聞かせるようにつぶやいてみる。

〈ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根差したものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ〉

 そして慎治は今夜初めて、この言葉をさらに自分流儀のこんなつぶやきで引き次いでみる。

「徒に緩み、弛んだ尻・腿は、禁断の木の実を食べた人というものの、原罪を象徴した姿である。システィナ礼拝堂の天井絵、最後の審判を下す神に帰るべきなのだ! いやあ-、我ながらお洒落、お洒落!」

 慎治は最近、自分らのランニング自身を小説にしようと決めた。そしてその取材も兼ねて、山本さんと二人で数か月後のあるシティマラソンに出ようとも、決めていた。十キロ部門だが、もちろん二人とも初体験である。次回の同人誌には作品提出なしとなるが、それもやむをえないと納得している。エアロビクス教室の「背中が曲がってるあの子」は、今ではしっかり顎を引いた姿を見せている。慎治の腹もいつの間にかもう目立たない程度に引っ込んでいた。この調子だと初マラソンを走る頃には、ほとんど目につかなくなっていることだろう。


(完)
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小説 「人・走る」(2)  文科系

2018年03月09日 04時32分05秒 | 文芸作品
小説 「人・走る」(その2)  文科系


 慎治は初め、山本の流儀に抵抗を覚えたものだ。「遊びだよ、むきにならなくても」、そんな感じの抵抗だった。しかしこれが、山本のように「勉強みたいにやる」のもけっこう面白いと変わってきた。始まりは、彼のこんな言葉だ。「僕らみたいな素人はもっと上半身を立てて走らないと疲れるよお」山本からたまに言われたこの言葉を、慎治はある日気まぐれのように真面目に取り入れてみた。時間にしてわずか十分ほど。彼としては背筋が張るのを我慢した試みだったが、確かに速くなり、体の他の部分が楽にもなったと感じたのだ。これ以降、慎治のランニングがどれだけ大きく変わっていったか。歩幅が幾分伸びるようになったのに呼吸はかえって楽になったようだ。だから当然スピードが上がった。それも平均時速にして一キロ以上である。その速さで刻み続けているメーターをちらちら確かめながら、さらに脚が軽くなっていくような気がしたものだ。この改善以外にも、前足は意識して踵から下ろすこと。前脚の膝下を膝より前加減に振り出して着地すると膝を痛めなくてすむということ、最低二十分以上走ってはじめてフィットネスにもなっていくということ、だから「そもそも二本脚動物の人間が過食するなら、長く走れないようになると太るしかない動物だ」ということ。これらの知恵を自分なりに取り入れていくと、すぐその日のうちに、結果が計器に現れることも多いのである。「自分の最高時速の持続時間を三分更新したよ」とか、「体重が一キロ近く絞れた! 頑張ったもんだ」とか、「六百カロリー消費したぞ-!」とか、それは確かな手応えであった。
 走行距離が常時五キロを越えた頃から、慎治の体重が少しずつ減り始めた。すると走り続けるのが急に楽になっていくようになった。こんなある日には、成長期の自分をあれほど悩ませたスポーツコンプレックスを、無知のままにただやっていたことの結果に過ぎなかったのではないかと振り返りもした。「知は力なり」という言葉が何か新鮮に思い出されたものだ。

 山本のスピードがまた上がった。肘を後に突き出すようにして、腕を低い位置で強目に振ってストライドをさらに延ばそうとしている。呼吸もいっそう深く、激しくなってきた。顎のさきからベルトに落ちる汗の間隔がどんどん狭くなっていく。スピード練習の最後の仕上げに入ったらしい。そうして突然、ベルトスピードが緩められた。五キロを過ぎたのだろう、クールダウンの速歩に入った。慎治はまだ続けている。今日は、ゆっくりでも十キロ以上は走る日と決めていたからだ。

「山本さん、今日の練習テーマは何だったんですか?」
「えーっと、……… 膝を前に速く出すこと、腕をしっかり振ってね、そんなことかなあ」
「五キロを、今日は何分でした?」
「初め遅く入ったから二十三分ほど。ちょっと頑張ったよ。ところで村木さん、ローマの中田がまたやったけど、新聞見た?」
 練習を終えた二人が、談話コーナーでいつものように缶ビールを飲みながら始めた会話であった。中田というのは、イタリアに渡った現在二十四歳のサッカー選手、中田英寿のことで、山本が特別に入れ込んでいる人物である。彼がいかに特異な日本人であるかなどと山本は折に触れて話してきたが、慎治も一種独特な気分で付き合うようになった話題だ。山本は中田のことをこんなふうに語ってきた。
 今、ベースボールのイチローらアメリカへ渡った何人かが騒がれていてそれも当然だろうと考えるが、あえて比較するなら中田は彼らと比べてもまるで突然変異のような日本人である。まず、日本は、世界で二番目の野球先進国で、イチローはここで既にずば抜けたオールラウンドプレーヤーだったが、ことサッカーに関しては四十番目前後の遅れた国であるから。次いで、こんな事情からか、中田以外のサッカー輸出組のほとんどが成功しなかったにもかかわらず、彼だけが世界のサッカー先進国イタリアでまる四年間もトッププレーヤーであり続けているから。さらに彼は、イタリアナショナルチームの司令塔選手とたまたま同一チームにいて、その役割も重なるのだが、チーム内でその相手と張り合うほどの力を近ごろますます示し始めているのだから。

「今日の新聞もテレビもよく見ましたよ。ところでね山本さん、昨日のもそうですけど中田の話は、世界を股にかけたサクセスストーリーというヤツで、なかなかないようなまー劇画の世界ですよね。だけどー、何と言えばいいかなあ、……劇画じゃなくて本当に凄い中田って、変な言い方で済みませんけど、一体彼のどこ見たらいいと思います?」
 吹き抜けの一階、ロビー兼談話コーナーに坐った二人の会話は、続いていく。目の前、透明プラスティック隔壁の向こうにはプールを縦に見る、その全景。同じ二階、全面の透明ガラス越しには、エアロビクス教室の十数名、今は上級者コースらしく、行き来も振りも一段と激しいし、区切りに発される声も決然として乱れがない。同じ二階の、今は見えない奥の方には、様々な機器を置いたトレーニングルーム、二人が走っていた場所である。これらを眺めているような面持ちで、慎治が期する所あって発した問いだった。これに対して山本は、身体を揺すって前に乗り出しながら、応えた。
「スポーツ劇画ねぇ。確かにスポーツマスコミはこの頃『感動』をヤラセしていると感じるね。上り詰めていくヒーロー、これだけ鍛えた彼の技、困難を乗り越えてどんでん返し。そういうもんじゃない本物の中田って、なんか本格的な質問だなー。ちょっと考えてみるから、待っててよ」
 山本のこれらの表現に慎治は、期待できるという予感のようなものを感じていた。

〈 このジムの、三つのコーナーのメンバーたち、それぞれ何が欲しくてここへ通って来るんだろうか。十代から七十代くらいまでみたいだけど、男女どっちが多いかな。プールは女性、初心者教室などに中年女性が多いから、これまでの人生折々に悩まされた水へのコンプレックスを払拭中で、浮き浮きと通ってる。雰囲気全体がそんな感じで、見てるのも楽しい。だけど、ご希望の減量にはまだなかなかかなぁ。強めの運動の持続時間がもう少し増えてかないと、脂肪は減ってかないよ。減り始めるまで我慢できるかどうか、それが問題だってね。
 こっちの泳げる人たちはまあフィットネス。みんな綺麗な体だし、「ブランド物よりよっぽどオシャレだね」って声かけたいくらい。
 スタジオのエアロビクスは、若い女性に、若者から五十くらいの男が少し、あれはまあ「楽しがってる自分を観てる」というやつかなぁ。三壁分の全面鏡に囲まれてるから。みんなスタイル良いし、それに何よりも、あんなフットワーク持ってたら人生ウキウキだってね。「会談も四段跳びで上がってく」ってやつ。それにしちゃあ、背中が曲がってるあの子、なんとかならないかなぁ。自分で気づかないのかなぁ、顎をちょっと引いたらすっごい美しいのに。そんなことぐらい、周りの人をちょっと見ても分かるけどなぁ。きれいになりたいと一生懸命なはずなのにぃ。人それぞれって言えばそうだけど、近づいてって直してやりたいよ。
 それにしても俺ももお、イジワル婆さんみたいになったもんだ。山本さんに俺が名付けた「スポーツオタク教」そのもので、それでもって回りを一刀両断しとる。スポーツオタク教って言えば、山本さんの神様は間違いなくミケランジェロの天井画のあの神様か、ロダンの考える人かってね。「一神教の神様があんなごつい体だなんて、日本にはなかった感じ方だと思う」とか言ってたなぁ。ローマのシスティナ礼拝堂の最後の審判だったかな。「ああいう肉体にこそ、神性が宿る。これがルネッサンスの考え方だ」山本さん、こんな解説付けてた。
 こっちは、いっつもすぐに眼が行っちゃう子! まず姿勢がきれいだし、上下にも左右にも大きい動作のその中で、脚も腕もすくっと伸びるように動いて止まって、なんか一人だけ全く違う。手足の関節全部や指の先っぽまで、初めから意識して習ってきた感じ。習い始めの頃に、自分の身体を観察し自覚するやり方を教えとくというそういう入門の仕方が、そんなやり方を取り入れてる教室がどっかにあるんだろうな、きっと。それにあの子、筋肉で身体が締まってるというふうで、だらんと痩せてるんじゃない。ただだらんと痩せてる人って、中年に近づいて身体の張りがなくなって来ると、おなかだけポコンと出て来ちゃうんだったよなぁ。まあ、俺はいつ見てもあの子に惚れ惚れしてるこった。顔はそれほど見なくって、身体の動きばっかり見てなんだけど、なんかおかしいくらい。ストーカーと見られないように注意しないと。ああ、そうか! 顔を見たことないというのは、鏡の中の顔を見るのも避けてるというのは、そう見られるといけないから目を合わせないように意識してるって? 〉

 前触れもなく、山本が語りだした。十代後半の思い出を語った中田の言葉を紹介していく。
「最近の本で中田が言っていることだけど、『俺は九三年に十七歳未満のワールドユースでナイジェリアと戦っているでしょう。その時の衝撃は一生忘れない、と思う。あの運動神経や体力や筋力を目の当たりにしたら、サッカーやめたくなるよ。現にFWのカヌーを見て、とても同じ人間がサッカーやっているようには思えなかったから』(注3)。この三年後、十九歳の中田がさらにこういう体験を重ねたと言うんだね。『十六歳の時、このまま強くなったらどうなるんだろうと考えていたナイジェリアは、三年後にアトランタ(オリンピック)で対戦したときは普通のチームになっていた。もちろん、強いよ。だけど、俺の想像する強さじゃなかった』
 この間三年、中田は一体どう過ごしてたのか。彼のいろんな伝記全ての中で、僕が最も興味深いところがここなんだよ」
 慎治は、見据えていた山本の顔から上半身を起こして視線を中空に逸らせていきながら、一度大きくゆっくりと頷いたようだ。
〈予感通りだ。一つの小説で言えば最良の山場を、山本さんは間違いなく示してくれた。ここを、中田の後の場面のいくつかとシンクロさせられれば、最高の読み物になるなぁ〉
 十六歳で中田は一度アスリートとして絶望的な体験を味わった。それからは日本の誰をも素通りしてただナイジェリアのカヌーらだけを思い描いて、三年。それも、自分と同じ速さで伸びているに違いないカヌーの姿を傍らにイメージし「やっぱり駄目だろうなぁ」という気持も過ぎりつつの、そういう三年! そうして再会。「何とか、まぁ、追いつけたのか?!」、この嬉しさは、中田自身に頼んでも表現に困るようなものだったはずだ。展開小説、劇画の全てが入った三年とその結末ではあるが、これは事実である。それも早生まれの中田にとっては高校二年間とプロで一年、そういう三年だ。
〈俺がスポーツにこれだけ興奮するなんて?!〉、よどんだ朝の気分が頭の一方に蘇ってきて、慎治は悩み抜いてきた小説のプロットがもう決定したと、舞い上がっていたものである。
「中田の生い立ちのそういう肝心なところを、きちんと追った本なんかないんですか?」
「意外にそれがないんだよ。この二つのナイジェリア体験は中田があちこちで述べてることだけど、この三年の中身は誰にも追求されてない。彼関連の単行本は十冊じゃとても済まないはずなんだがね。スポーツマスコミにはどうも現在の大成功の周辺だけが大事ってことかと思っちゃうよ」
「観るだけの人って……… 応援するチームの勝ちや、その日お手柄のヒーローのことしかあんがい観てないんですよ。それも、無意識の劇画的観戦法。マスコミは観るだけの人を増やせば良いんでしょうし」
「中田はもちろん、野茂もイチローもみんなマスコミ嫌いで、それぞれ一度は絶縁状を叩きつけたことがあるらしいけど、そういうことかも知れないね。やる人にとって命みたいな所を聞かないで、馬鹿な質問を連発する」
「テレビ育ちの鑑賞力なんて、そんなもんじゃないですか。それで制作者の方もその力に合わせて番組を作る。こういう悪循環の果ては自分の体験で裏付けるということが本質的に欠けた一過性の感じだけが残ってく。ある小説家が昔、映画育ちの鑑賞力なんてそんなものだよと言ったらしいですけどね」
 

 この夜、帰宅した直後から慎治は、十六歳から十九歳までの中田の取材に己の創作活動を集中していく。主要な伝記物は購入し、部分引用が必要と考えたものは書店で立ち読みもした。山本もいぶかった通りに、この三年前後の情報はなるほど極端に少なかったが、これらをつなぎ合わせていくと、当時の中田英寿像が一応の形を成して現れて来た。
 十六歳の中田は、ユース全日本チームの大黒柱で今は消えていったある選手からあからさまにこう言われていたという宮本恒靖(元日本代表キャプテン)の証言がある。「お前、トラップ(注4)止まらへんなぁ」。その宮本は、一年後に会った中田の急変に驚いている。パスの受け手から出してに変わっていたという。そういう技術が急に伸びていて唖然としたと宮本は言うのだ。
 とはいえ、アトランタオリンピック当時十九歳の中田は、まだ中心選手とは見られていなかった。当時のオリンピック制限年齢上限の多くの選手たちよりも三歳も若い最年少だということもあってか、レギュラーに定着しているとはいえないが、自己主張が強烈という点で風変わりな選手だったらしい。この点では、アトランタオリンピック・ナイジェリア戦の一つのエピソードが、当時の新聞などを大騒ぎさせて有名になったものだ。守備的に戦うチーム戦略を指示した監督に反抗するようにして攻めに出ていた中田らが、ハーフタイムの時にある主張をした。「勝てるから攻めを厚くして欲しい。僕らが前のゲームでブラジルを破ったせいか、ナイジェリアはびびっている」。ここから監督との激しい言い争うが始まって、中田が次の試合以降はベンチに下げられたということである。三年越しの恋人ナイジェリアに〈予想外に伸びてない。これは闘える!〉高ぶった気分を抑えられないでいる彼が目に浮かぶような事件ではないか。彼らが伸びていないのではなく、それ以上に伸びた中田の目からは相対的に彼らが伸びていないと見えた、これが真の事態だったはずだ。
 そうしたアトランタオリンピック以降に十九歳で彼が行った自己評価は、こういうものであった。
「自分が一体世界のどの辺りにいるのか、それを知りたいからサッカーを続けているようなものかな。大きな舞台での楽しみのひとつには、そういう判断を自分でできるということも含まれている。オリンピックの後、対戦した選手のことを気にしていたら、自分がマークについて決して負けていないと思っていたはずの選手たちが欧州に移籍し、ブラジルにもハンガリーにも勝ったのに、自分にはオファーが一件も来なかった」
〈このサッカー後進国で世界に負けたくないと三年やってきて、これだけやり切れたと自分で分かったその時に、誰ひとり相応しい評価をしてくれる人がいないんだ〉
 何か、鳥になることに青春をかけた最初のコウモリ。そんな心境が伝わってくる。

(その3で終わる)

注3 これ以降の中田英寿関連のカッコ付き引用は、以下の文献からのもの
  小松成美 文藝春秋社「ジョカトーレ」
 小松成美 幻冬舎「中田英寿 鼓動」
 中田英寿 新潮社「nakata.net」
 村上 龍 光文社「奇跡的なカタルシス」
 本條強他編 同朋舎「日本代表マガジン」
注4 「トラップ」 自分の所へ来たボールを、身体のどこか一部で衝撃吸収して、思うところへ思うように置く技術。近くの敵がボールをどう奪いに来るかとか、敵との関係で次にボールをどう動かして攻めていくかなどをいろいろと予測、想定しつつ行う。中田はこれの重要さをたびたび、こう表現していたものだ。「シンプルな1対1のパス交換を凄く練習したが、次のあらゆる場面を想定しながらやったもの」
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小説 「人・走る」    文科系

2018年03月08日 12時58分48秒 | 文芸作品
小説 「人・走る」(1)  

 大きな木の机だが、中央にあるパソコンの脇や後には、本や、いくつかの小説執筆プランが書き込まれた文書類、強調したい主張に関わる統計なども含んだ資料の群れ、その他の雑多なメモ、黒赤青などの筆記具、文鎮、大小の辞書など、隙間もない乱雑さだ。机の外、部屋全体も、ある種の生活破綻者の寝床を連想させる混乱である。ここの主、村木慎治のどろんとした目線は机の上を見ているのかいないのか、前の椅子に座って間もなくそうなってから、どれだけの時が過ぎていただろう。ゴールデンウイーク週末の早朝、所属する同人の年一回、来年一月に出す作品集に向けた創作活動中なのである。
 たった30枚程度の小説プロットを半年考えても、いくつかの中からどれを選択するかがまだ決められなくて、稼ぎ時の連休がもう終わりかけている。今朝も四時に起きたのだ。頭が比較的冴えている朝を選んで、今日こそどれかに決めようと意気込んできたというのに。

 慎治にはこの頃、馬鹿になったのかと思い当たることもいくつかある。「総じて前年より良くなければ、出さない方がましとする」、これはみずから決め、拘ってきたポリシーだが、今年そう断定するのはまだ早すぎるし、こんな予感だけで生きる気力が削がれるような何とも嫌な自己嫌悪だ。それを打ち消すように他方でいつも、こんな思いも浮かんで来る。
 〈 自分の要求するものが年々増えて、高度にもなっているから、こんなに苦しいのではないか。さらに、今年望む水準に届くかどうかが自分の場合このプロット作りの段階で八、九割がた決まってしまうと考えているから、今が特に苦しいんじゃないか 〉
 たかが三十枚の小説に慎治は毎年、まる一年かけてきた。数か月で一応の完成を見た後でも、また数か月、間を置いてえんえんと推敲し続ける。構成に関わるような補足修正は言うまでもなく、一行二十字ほどの加除さえ見出しがたくなってからもまだ、〈語句とかテニオハとかの感じを嵌め換えてみる〉のである。部分部分までを楽しみ味わうことに、一種狂気のようだと思えるほどの充実感を覚えるからできることらしいのだが、、この膨大なエネルギーは一体どういう正体のものだろうかと、慎治は自分でもよく不思議に思う。〈アマチュアだからできる執筆の醍醐味、ここまでやるから後で楽しい〉と開き直っていることは確かなのだが。
 書き始めてまる七年、何か文学賞のようなものを目指そうと考えたことはない。それが目指せるかと考えてみたことも、おそらくない。他人に読んでもらうことは多分人一倍嬉しいのだが、返ってくる批評に過不足なくピタリと来るものが少ないとは、もはや分かってしまったことだ。当然の話と思う。慎治のこんなに膨大な書くパワーに見合ったエネルギーで読んでくれる人などはいるはずもない。そもそも今どきのプロでも、己の最愛の著作の一つでさえ彼のように読む者は少ないだろうという妙な自信さえある。それでも、テーマ、モチーフが一作ごとに替わっているから、今度は望みの読者がいるかもしれないという期待は、やはりどこかで持ち続けているのだろう。けれどもやはり、書いている自分をあちこちから覗いてみてもとにかく、主として他人に向けて書いているわけではないようだ。逆に、自分が老いて記憶力も定かではなくなった頃にこれを読むのが途方もない楽しみになるのではないかと、密かに期待し始めた節さえあった。執筆一年あとに自作を読んでいてさえこれほど一喜一憂できるのであるから、こういう期待を持つのはまた無理もないことだという気もする。そして、その時の楽しみに傷がつかないようにと考え及んだら、この膨大なエネルギーもさらにパワーが増してきたというように感じられた。こんな執筆動機は、他人の目で見るならば〈もう、一人でやってろ〉と言うしかないが、「それで悪いか」と既に開き直っているようだ。

〈 もう一度整理してみよう。なぜプロットさえ決まらないのか。まず第一に、嘘っぽい話が嫌だというのがある。大笑いしながらうなずいてるもんなあ、あんな文章を読まされると。ええーっと、あーこれだこれだ。「いばりくさった主人公に全部都合よく運ぶ『スリリングな物語』、フェミニストなんか絶対出てこず奴隷のような美女達にはヒステリーも水虫もない『気持ちのいい恋愛』、何ひとつ頭を使わなくても最後まで読める『安心な展開』、それだけが彼らの『面白さ』というわけです」、芥川賞作家、笙野頼子の文章だ。(注1)事実を描いてさえ、部分を強調しすぎたり、筋を劇的に進め過ぎたりするとこうなっちゃうって訳だ。虚構を混ぜた方が真実に近づけるとは、例えば近松門左衛門の「虚実皮膜論」(注2)とかいうものでも言われてるそうだけど、俺はもっと「自分にリアルで、かつ大切なこと」じゃないと嫌で、やる気もなくなってくるんだろうなあ。すると、自分のことを書くか、取材を徹底するしかないけど。……… 笙野がちょっとやってるように、あちこちに潜入なんてことはアマチュアじゃ時間に限界あるし、太宰治のように女に日記を書かせてそれに筆加えてというような愛人たちなんかもいない訳だし、結局、私小説ということになっちゃう。だけど今どき私小説なんて、本当の事を書いてても「自己顕示的でうさん臭い」とすぐ見られちゃうんだよな。なにしろ、目立ちたがりときちんとした自己主張との区別もつけないような世の中だ。それに、私小説で自己主張にしっかり突っ込むというのも、またなんか作り物めいてくるというのもあるし。
 だったらやっぱり、このプロットか。
「一般には、こっちの『展開』のが面白いんじゃない?」
 誰かがこう言ってくれたけど。でも、俺は「展開」はすぐに自制しちゃう。こんな具合だ。小説はやはり主張だから、読んでもらうために書くものだと知ってはいるつもりだけれど、他の人の目に入りやすいような『感動』や『趣向』を『展開』させるだけなんて、何か楽しさが減るようでいつも禁じてきたじゃないか。第一、自分自身があとで読んで楽しく感じないものに何でこんな苦労ができる? ああっ今、俺もまた「読んで楽しい」とか「面白い」とか言っとる! どうでもよい所で言ったんじゃなくて、そもそも何を書くのかという大事な文脈の場所でだ。面白い?、楽しい?、こんな言葉に何か意味があるんかね?こんなもん「私は引かれました」というだけの意味であって、それ以外の事は何にも語っとらんのだぞ! 例えば、前はモダンを言っとった奴が、今はポストモダンを叫ぶとかいうことも時節がらいっぱいあるみたいだけど、これは前と後とで「私が引かれた」という点じゃ同じことをやってるつもりなんだけど、だから自分自身は変わってないつもりなんだけど、モダンとポストモダンという中身は、私が引かれている対象そのものは、前後で全く違うわなあ。つまり、引かれたというだけが大事なら、何に、どのように、どうしてなどは必要ないってことかね。引かれた内容がころころ替わっても、混乱ってやつだ。まるでテレビのバラエティ番組みたい、何でもあるようで、何もない。だからだろうか、観る方もチャンネルをどんどん替えてく。そのくせ、他ならぬバラエティ番組のなかだけで次に観るものを選んでる。こういう最近の若者流儀を見ると、こんな混乱は先刻ご承知、いや自明の自然な世界なんだろうなあ。バラエティ番組はなんか、ポストモダンを象徴してるみたいなもんか。
 こんなのは、自分が引かれ続けるものを一生究めれないということにもなる。「自覚」の道を探さない奴は、一生混乱してろってか? それが「面白い」って奴だ。ご本人は、「自分が」面白いものを選んだのだからという訳で、素面で「主体的」なつもりが、その内実は全く何かに振り回されとる「受動性」そのもの。「面白い」って奴だけだとそうなる 〉

 こんな朝は、頭脳は一応覚めているのだ。が、ただ頭のあちこちを、しかも大小構わず次元の違う事項をごちゃごちゃにして、脈絡なくつついているというだけのことで、何かが産まれてくる予感というものが全くない。そう思うとまた、目の焦点が合わなくなってくるようだった。のったりと起こした体を椅子の背にもたせかけたら、慎治の両手が自然に腹に触れた。腰の曲がりが常態より一段と前にせり出しているそれを左右に動かし、質量感を確かめてみる。するとどういうものか、この質量感のせいで、頭脳が支離滅裂になっているのだというような気がしてきて、臍の上辺りを人指し指でピーンと弾いていた。
 そのままのたのたと立ち上がって、北の窓を開け、東の方を見る。朝日に活気を注いでもらおうというように、こうした早起きの朝によくやってみることだ。〈正面の家の、春に赤くなる紅葉? あれは赤銅色というのか、小豆色というのか。そんな色に、白っぽい黄緑の竹とんぼを小さくしたような新芽がぱらぱらとのっている〉。次に目に飛び込んで来たのは、さらに小さい芽をびっしりと付けた手前のツゲの生け垣だった。

 ふっと窓辺からきびすを返して、電話口へと歩いた。そして、山本さんを呼び出すと、スポーツジムの十時オープンからの待ち合わせを約束しあった。一年ほど前に、二人が知り合った場所である。自分がそこに通い始めた訳というものを、慎治はよく振り返ってみるのだが、こんなことに行き着いたように思う。
〈 四十をかなり越えた。もう一つ何かしよう。さしあたって、この重くなった体と突き出た腹をなんとかできないもんか………〉
 初めは、こんな軽い動機だったのだ。

〈 山本さん、また速くなったみたい。ストライドを伸ばしているのにピッチが落ちてないようだし……… 短い距離のスピード練習なのか、緩急つけたインターバル練習か───〉それと分かるほど大きめにしたストライドでトレッドミルのベルトを突き進む山本を左隣に見ながら、慎治は思う。〈 時速十四キロは出てるんじゃないか。近ごろどんどん速くなってる。ランニング経験一年のはずなのに、ほんとに六十の人なのかなあ〉機械のモータ音が高く響く割に、もっと大きくなるはずの山本の足音は柔らかく、代わりに規則正しい呼吸の音が慎治にも強く届いて来る。山本の走行距離メーターに目をやると既に四キロ。
 一年ほど前に、偶然彼と同じ頃にここでランニング入門をした慎治は、いつとはなしに彼に歩調を合わせてきたものだった。それも、自分が一回り以上も若く、中学時代にランニング経験がいくらかはあったということも意識させられて、ずい分無理をしてしばらくついていった。やがてある時期から山本のストライドが広がり始め、ついていくのを諦めざるをえなくなった。若いころに比べて十数キロも重い体を恨んだものである。ちょうどその頃、山本と隣りあわせて鏡の前に立ったとき、慎治は二人の腹と尻を密かに見比べてみたことがあった。自分の方は、腹は前にせり出し、その横は太い筋のような弛みが浮き出ることもあるいわゆるズンドウで、尻がいかにも小さく見えた。よく見ると、山本の尻が彼のよりさほど大きいわけでもないのである。〈尻が実際よりも大きく見える男は全て、腹が出ていない〉とは、何か不思議な発見をした思いだった。もっとも、後になるとこの思いは、違う認識に変わっていく。尻や大腿が締まった人間だけが、腹を引っ込めることもできるらしいと。

 こんな情けない比較もジム通いのバネに加わって、自分なりに距離が伸びていると認められる日々が続いていった。そして、ことスポーツで過去に良い思いがない慎治だが、走るという単調な行為を、いつしかこう思い始めていた。〈ジムは、修正の結果がすぐにその場ではっきり分かるからいい。手応え、質量感が大違いだ〉
 通いつめ方にも熱が入った。

(その2,3まで、続く)

注1 笙野頼子 講談社 「ドン・キホーテの『論争』
注2 虚実皮膜論 芸術の真実というものは、虚と実との被膜の間、虚構と真実との中間にあるとする説
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