九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「日本の急すぎる貧困化」の象徴数字  文科系

2021年12月11日 08時32分15秒 | 国内政治・経済・社会問題

 今朝の中日新聞に日本の急すぎる貧困化を象徴する数字が載っていた。「これじゃあ、やはり、我々が貧しくなったわけだ!」というようなWTO、世界貿易機関の数字である。ちなみに、マスコミはこの数字の周辺をこそもっともっと調査報道などすべきではないか。日本の政治も含めた貧困化をこれ以上示す指標はないのだから。

 記事の見出しは、こう。「WTO加盟20年 中国膨張」「GDPも対外圧力も」。というこの記事に「世界全体のGDPに占める各国の比率」円グラフが、2001年と2020年の比較という形で載っていて、こんな事が一目瞭然なのだ。

・中国GDPが4%から17%へと、13%も伸びた。
・その13%減は日米がひっかぶっていて、米6%、日7%減となっている。米が31%から25%に、日本は実に13%から6%へと激減した。

 この数字に関連して、このブログではこんな数字をいつも上げてきた。「国民一人当たりGDPで、日本の世界順位は激落」とか、「ここ30年の日本は賃金がほとんど増えていない世界でも珍しい国だ」とかを。

 マスコミはこの関連の調査報道をもっともっと徹底的にやるべきである。ちなみに、関連して失業率関連の調査ももっと徹底すべきである。日本が採用している「完全失業率」という数字、計算式が、その根拠など大変に疑わしいものだから。さらに今一つ、貧困化からの未婚率、貧困と少子化・小国化の関係などの調査報道も望みたい。ちなみに、今の少子化は日本の人口統計史上かつてなかったような最速ものと報告されている。

 現代新自由主義国家社会のGDP急減は、言われてきたように相対的貧困者急増という国民の最低生活そのものに関わっているのだから、いやしくも民主主義国ならば絶えず、詳しく報道するのが当たり前と言いたい。これだけGDPが下がれば税も減ってくるから、日本国はどんどんどんな政治もできない国になっているはずなのだ。誰がこんな急貧困化国にしたのか??

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八十路ランナーの手記(393) 昨日は17キロプラス 文科系

2021年12月10日 09時26分20秒 | スポーツ

 20余年のラン生活でほとんど10キロまでしか走ったことがない僕が、ミッドフットからフォアフット走法を覚えたら疲労感が少なく、欲も出てきた最近は、走る距離を徐々に伸ばしてきた。そして、昨日9日には17・3キロ走った。ジムマシン30分×4回で2時間かっきりの距離である。ウォームアップを終えた後、ちょうど真ん中の1時間は頑張って走って8・9キロになっている。
 そして、この12月月間目標150キロに対して9日現在の合計距離は58・3キロになった。ハーフマラソンを2時間30分で走ることができる目途が付いたかも知れないと、なんか我ながらとても嬉しい。12月走行日のここまで4日はすべてマシン走だったから、12月中には何度か地面を走って距離を伸ばす日も持とうと目論みながら帰ってきたものだ。ただ、その日走り始めてフォアフットに慣れるまでまだ時間が掛かるから、もうちょっとフォームを固めないといけない。年寄りは、身体の物覚えもとても悪いのである。 

  フォアフット走法練習は、足の離陸時を意識し始めてから両脚のリズムなどかなり安定してきたが、右足の離陸法と地面つつき時の右膝の曲がりすぎに苦しんでいる。無意識に走っていると離陸した右脚が外側に流れて、地面つつき時のその膝も伸びが少なくなって、左右のリズムも狂ってくる。逆にフォーム修正を意識するとしばらくは身体全体に力が入って、無意識に正しく走れるようになればまだまだスピードも上がるのにと、悔しい思いをしている。でもまー、これらの癖は以前の跨ぐ走法の時からあって気づいていなかっただけのものなのだから、気づいた以上直すしかないのである。そして、この修正をちょっと意識していればそれ以降はずっと続けられるようになってきたからこそこんな長距離を走れるようになったのだと思えば、まだまだ先に楽しみもあるのだ。

 「しなやかなフォアフット」を意識せず脱力して続けられるようになったら、どれだけ走れるのだろうなどと夢想している。

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恐るべし「戦争世論」  文科系

2021年12月09日 03時29分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 昨日のエントリーでは、前自衛隊統合幕僚長河野克俊の「沖縄含む西太平洋が一触即発」という記事を紹介した。同じ昨日12月8日の朝日新聞がまた大変興味深い記事を二つ載せている。それぞれに、日本近代史学者の吉田裕と加藤陽子が登場していた。彼らが述べる「戦争の起こり方」に関わって、政治家や軍部への最大教訓の一つがこれだろう。「世論を煽れば、やがて、逆に己がそれに縛られていく」という法則である。「戦争が世論になりかけたら、もう誰にも止められない」とは、戦後の東條英機も語った言葉。僕でも、イラク戦争前のアメリカ・マスコミのあの熱狂をよく覚えている。為政者、軍人が世論を煽るなど論外なのだ。

 さて、昨日の加藤陽子はこんな事を述べている。
【映画監督の伊丹万作は「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」と戦後に書きます】
 
  吉田裕の方には、こんな言葉があった。
【当初は政府や軍部が『米国に妥協するな』という空気をあおったのですが、やがて、強硬化した世論に指導部が引きずられ始めたのです。戦争を避けるには中国から撤兵するなどの妥協をするしかない状況だったのに、指導部の選択肢が狭まってしまったのです】

 政治家らが戦争理由を煽る。それを信じて先鋭化していく民衆が必ず居るものだ。すると、どんな政治家にも止められない「戦争への流れ」が膨らんでいくと、そういうことだろう。かくてこうなる。

 岩波近現代史シリーズ10巻本の第6巻「アジア・太平洋戦争」の著者は吉田裕・一橋大学大学院社会学研究科教授の文章から。
【 東条首相は、各地で国民に熱烈に歓迎された。42年7月27日、大阪の中央公会堂で開催された「大東亜戦争完遂国民総力結集大講演会」の折には、講演を終えて退場する東条首相を熱狂した群衆がとりかこんだ。28日付の『朝日新開』は、その場の状況を、「熱狂した数千の聴衆は帽子、扇子を打ち振り打ち振り、〃万歳々々″と歓声をあげ、(中略)あつといふ間に東条さんを取り囲む。「しつかりやります、やりますとも」「米英撃滅だ、東条閣下お願ひします」「東条首相万歳」と群がる市民は熱狂して全く感激のるつぼだ」と報じている。これが誇張でないことは、同日の首相秘書官の記録に、「公会堂発」、「総理自動車会衆の圧倒的歓迎に取り囲まれ約十分、会衆の中を徐行す」とあることからもわかる(伊藤隆ほか編『東条内閣総理大臣機密秘録』東京大学出版社1990年)。
 さらに、東条に関するすぐれた評伝をまとめた作家の保阪正康も、この頃の東条について、「東京・四谷のある地区では、東条が毎朝、馬に乗って散歩するのが知れわたり、その姿を一目見ようと路地の間で待つ人がいた。東条の乗馬姿を見ると、その日は僥倖に恵まれるという〈神話〉が生まれた」と書いている。東条は、一般の国民にとって、「救国の英雄」だった(保阪『東条英機と天皇の時代(下)』)】

 昨日の拙稿の河野克俊前統合幕僚長も高市早苗も、以上の論からすればこういう人だということになる。「日本の対中先制的防衛戦争を煽る人」と。こう言う人々は、「こちらから攻めないとやられる」と説いて回っているとやがてこれに自分が縛られるという歴史から学ばない、とんでもない人々なのだ。こう言う人々こそがまた、アメリカの「核兵器先制不使用宣言」を懸命に止めているのだろう。

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前統合幕僚長・河野克俊氏が対中先制防衛論  文科系

2021年12月08日 02時46分53秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 今日は12月8日、あの太平洋戦争真珠湾の日である。対する今の日本には急遽、勃然と「軍事費をGDPの2%に」、「中国相手には先制的防衛戦争策を」などの声が起こっている。最近のその典型としてデイリー新潮サイトで表記の物を読んだから、要約してみたい。日本防衛に責任ある制服組最高位の立場だったお方が、こんなテーマで語ったのである。この文章に付いた題名もおどろおどろしいような・・・。
『「中国は確実に台湾に侵攻する」前統合幕僚長が警鐘、沖縄の海が戦場と化す?』

 まず、文中の中見出しすべてを順に紹介しておこう。
・自由主義陣営を挑発し続ける習近平国家主席
・世界で最もキナ臭い地域
・台湾侵攻はいつ起こるか
・脅威は6年以内
・米国も中国抑止の新たな手段を構築中
・台湾侵攻がおこってしまう条件
・自国民を虐殺した過去
・果たすべき責任
・目前に迫った危機

 どうだろう。「他国が攻めてこないように国防が必要」という戸締まり論が、「中国が6年以内に確実に攻めてくるから備えを」にまで進み、さらには最近流行のこんな論議に結びつけて行く。
「他国の攻撃で日本国民の安全が脅かされる場合に限っては、戦術的な敵地への先制攻撃を認める必要がある」
「『目前に迫った危機」であることを自覚し、決意をもって来たるべき日に備えなければならない」

 ところで、「6年以内」などと述べたのは米の一司令官に過ぎない。対するに、バイデンはその対中姿勢に関わってつい最近改めて、こう述べたばかりだ。
「『一つの中国』という(国連と)米の伝統政策は、これを認める」
「台湾の独立は促してはいない」
 ただこの時のバイデンも一言、こう警告はしていた。
「一方的な現状の変更や平和と安定を損なう試みには強く反対する」

 台湾が一国内の分裂政府であるという国際原則は、米でさえ認めるというように、国連を中心とした多国間主義国際社会にはやはり厳然と堅持されているのである。ただ、長く続いたこういう一国二政府状態をどう解決していくのかは、どの国にとっても難しい問題となるはずだ。ただし、この原則を中国が語るたびに、最近ではこれに対して「6年以内に進軍、侵攻」と河野氏らは決めつけることになるわけだ。その上で彼は、この問題を、「沖縄の島々・・・を取り巻く美しい海が一触即発の状態にある」と、日本国土の問題だと語ってみせるのである。


 中国が台湾に侵攻したら、中国への台湾得意分野・半導体輸出製品がすぐに止まるなど、世界貿易・経済は大混乱、長期にわたる停滞をおこす。アメリカとよりもはるかに大きい相互輸出入がある日中も取り返しの付かない歴史的なダメージを負うことになる。ましてやいったん始まった米中戦争は、核戦争にさえ発展しかねない世界の危機をはらんでいる。それも度外視するのでなければ、対中先制攻撃的防衛策などは出てくるわけもないものだろう。先制的な一撃で中国の核基地を全部叩けるという方向を目指していくことになる。どこまでもどこまでも・・・こんな論議は「中国が地球を破壊しようとしているから、それに対する地球防衛が必要だ」という「戸締まり論」(実は「相手」と同じ地球破壊論だ)を語る(悪)夢想家のものと観るのが相応しい。
 
 対する中国はと観れば、2015年国連総会で習近平がこういう提案をしている。
【 ①10年間で10億ドル(約1200億円)規模の「(国連)平和発展基金」を創設
②『中国が国連の新しい平和維持活動(PKO)即応体制に加わり、常駐の警察部隊と8000人規模の待機部隊の立ち上げを主導する』
③今後5年間でアフリカ連合に総額1億ドルの無償軍事支援を行い、アフリカの常備軍と危機対処部隊の設立を支持する。】

 国防を国連(常駐)軍でやっていこうという方向を含むこの提案には、当時の世界が驚いたものだった。ボイス・オブ・アメリカによる高評価も含めて。こういう中国の論議は日本では全く聞こえてこずに、河野氏や高市早苗氏の上記のような夢想的「対中先制防衛論」だけが政界席巻というのは、極めて異常だと思う。河野氏は制服組のトップ、高市氏は自民党政調会長だ。

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八十路ランナーの手記(392) 走法開眼   文科系

2021年12月06日 18時02分17秒 | スポーツ

 前回3日に、こう書いた。
『 12月2日には、この夏以降初めてというところまでジム・マシンのスピードを上げてみた。90分走ったのだが、最初の30分をウオームアップ4・1キロのあと、30分2回を4・4キロと4・6キロの計9キロ走った。・・・90分も走って13・1キロなどというのは、過去にはほぼなかったこと(11月13日の15キロは105分で、これより遅い)。それで気づいたことがこの日は特に、いろいろたくさんあった。・・・9・5キロ時でも心拍が150以下とかに下がってきたから息苦しくならず、・・・汗も随分少なくなっていた。9月から3か月続いたLSD走行距離月間目標達成が心肺機能を伸ばしたのだろう。・・・この心肺機能に合わせた最高スピードのフォーム練習をちょっと重ねれば、タイムが伸びる時を迎えているのだと思えたが、こちらはそんなに苦労しないはずだ。2年苦労してきた走法改善と、9月からの月間目標の設定・達成とが、80歳になったこの年に花を開かせ始めたとすれば、こんな嬉しいことはない。』

 その後、4日に110分で15キロ、6日は90分で12・9キロとそれぞれ楽に走れて、この3日だけで12月はすでに41キロ走ったことになる。そして何よりも、この二日間でフォアフット走法に一種の開眼が起こったようだ。前回書いた「高速で(フォア・フット走法の)フォームが乱れる」への対策が成功したその結果なのだが、こんな内容である。
                        
・両足の着地位置を探りつつリズムを揃える訓練よりも、その離陸位置を揃える訓練の方がはるかに容易で、これに成功した。そのやり方は、
・両脚同じように前へ出す気持は捨てて、代わりに前足膝を伸ばして地面をつついた後の着地時間を減らすべく、その離陸をできるだけ早くするように。
・ついては、立てた「やや前傾上半身の真下に」前足が来た瞬間に離陸すること。このやり方で、骨盤を中心とした身体の重心を最も速く、合理的に前へ運べる。

 以上に慣れてきたこの2日のランでは、10キロ時のピッチ数で最多180弱から165ほどまでいろいろに換えてみてもリズムが乱れず、かつ呼吸も最も楽になると分かった。ジムマシンで9・5キロ時30分がすぐそこに見えたし、10キロ時30分にも近く届く可能性ありと思えた。

 2日90分13・1キロ、4日110分15・0キロ、6日90分12・9キロと、これだけ走れれば僕が出たこともないハーフマラソン大会にも一度挑戦してみるかと、そんな気にもなってきた。昔の10キロ大会出場の時ように、不整脈や急性心房細動などももう全く出ない身体になっていることだし。調べてみたら、西区の庄内緑地で毎月ハーフ大会をやっている。来年2月辺りに出るつもりになった。初めての目標は、無理をせず2時間半・・・って?

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親友の旧聞、中日歌壇年間最優秀賞  文科系 

2021年12月05日 12時55分52秒 | 文芸作品
 
 以下のエントリーは古いものの再掲、12年年末の話。今病と闘っているこのブログ創始者の1人、らくせきさんの短歌のこと。彼は、俳句の世界の人とばかり思っていたから、驚いた話なのだ。彼の俳号は遅足という。もう1人の創始者は、すでに亡くなってしまい、僕1人細々と孤塁を守ることになったという次第。
 
 
 昨日の中日新聞を見ていたら、見覚えのある顔が載っている。それも3センチ四方以上かと思われるカラー写真の顔アップで。大学同級生時代からの友人の顔に違いない。見れば、中日歌壇の年間最優秀賞で、短歌ではたった二首の一方なのだという。毎日曜日の「中日歌壇」に選ばれたすべての歌の中で本年分の最優秀作品というのだが、その歌がまたとても気に入った。長いつきあいの彼だが、俳句をやっていることは知っていても、短歌もやっているとはぜんぜん知らなかったのに。

 生れ落ちこの世へひらく掌に雪の香はあり前の世の雪

 気に入ったことだらけだが、惹かれたことを順に上げてみたい。
・最初にまず、下二句の語調が気に入った。ここに、一種の品格を感じた。なぜかと考えてすぐに分かったのだが、「の」が三つ並ぶその調子、リズムの中に、「香は」の「は」が効いていると感じ、惹き付けられたようだ。
・次いで、輪廻転生を乗せた掌が白くこの世へひらいていくというこの歌のモチーフ自身に惹かれた。この子のこれからの「生老病死は?」とか、「愛と憎しみは?」とかまでに思いを馳せるのである。手塚治虫の「火の鳥」ではないが、輪廻転生が欲しいと思うかどうかは、人様々だろう。と、こんな事までも考えさせられる歌だと思う。
・動きがあって、意外にダイナミックな歌だとも感じる。「(生れ落ち)この世へひらく掌に」にそれを感じるのだろうが、この情景から思いがこの子の前世の雪にまで飛んでゆくのだから、確かにそうに違いない。記事にあった作者の言葉では「テレビで見たモンゴルの家族が話す輪廻転生」からヒントを得たのだそうだから、モンゴルの雪なのだろう。

 おめでとうございます。
 
 
(2012年12月27日 当ブログエントリーの再掲) 
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僕が政治論以外も書くわけ  文科系

2021年12月04日 20時54分18秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 

 表記のことを、改めてまた載せたい。この文章は、今までもここに何回か定期的なように載せてきたもの。随筆、サッカー評論などなど一見9条とは遠く、無関係なようなことを僕はなぜここ「9条バトル」に書いてきたか。


 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論やこれに関わる思想開陳だけをやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、およそナンセンスなだけの政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
 
 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。

 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。
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八十路ランナーの手記(391) LSDの成果   文科系

2021年12月03日 08時44分18秒 | スポーツ

 11月の月間目標140キロのところ146・1キロまで来られたから、12月の150キロ目標ももう達成が見えた。そして12月2日には、この夏以降初めてというところまでジム・マシンのスピードを上げてみた。90分走ったのだが、最初の30分をウオームアップ4・1キロのあと、30分2回を4・4キロと4・6キロの計9キロ走った。そもそも僕はランナー歴20年を10キロランナーで通してきたから、60分以上走るのはリアフットからミッドへと走法を換えたこの2年の後半になってからのことなのだ。だから、90分も走って13・1キロなどというのは、過去にはほぼなかったこと。それで気づいたことがこの日は特に、いろいろたくさんあった。

・ 9・5キロ時でも心拍が150以下とかに下がってきたから息苦しくならず、汗も今までよりもかなり少なくなってきた。9月から3か月続いたLSD走行距離月間目標達成で心肺機能が伸びたのだろう。ロング、スロウ、ディスタンスと「長時間、ゆっくりと、できるだけ長距離を走ってこそ、心肺機能強化が進む」という王道の鍛錬方法にかってなく努めた成果なのだろうが、呼吸の感じが「ちょっと違う」のである。11月初めごろの僕であれば9・5キロ時なら心拍数は平均160近くになっていた。

・ だから今は、心肺機能よりはむしろ新たに身につけたフォアフット走法のスピードアップに必要な筋力の方が今の課題になっているのだと思う。高速でフォームが乱れるからそう感じた。また、上半身をしゃんとして腕をもっとしっかり振るのは大前提になるが、上半身はともすればおろそかになっている。

・ 増強された心肺機能に合わせた最高スピード練習をちょっと重ねれば、タイムが伸びる時を迎えているのだと思えたが、こちらはそんなに苦労しないはずだ。2年苦労してきた走法改善と、9月からの月間目標の設定・達成とが、80歳になったこの年に花を開かせ始めたとすれば、こんな嬉しいことはない。がこのことは間違いなく事実だと、間もなく分かるはずだ。ジムマシンで固めてきたフォアフット走法フォームを外走りに慣らし始めてからが本当のテストになるのだろうが。

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随筆 僕の「人生とスポーツ」  文科系

2021年12月02日 08時33分36秒 | スポーツ

 スポーツを体育とか運動とか訳すのは、今や余りに日本的な誤り。適当な日本語訳語がないのだが、スポーツとは身体(感覚)を鍛え、その喜びを求める芸術と解するのが良い。視覚の芸術や聴覚の芸術があるように、身体感覚の芸術がある、と。全身の神経を協調、集中させた脚(の感覚)でボールを自由自在に操る楽しさ。筋肉、身体感覚を鍛え、全身協調したフォームで剛速球が急に伸びてゆく時の痛快。もっと誰にも身近なものでは、ちょっと老いてきたころに少々鍛えてみた後、階段上りなどでふっと気づく脚の軽さ、その爽快感。こういう喜びを追求した結果が、体育になっていくのだ。音楽が楽しいからその楽器技術を習うのであって、これはスポーツも同じ事。身体を上手く使える楽しさを追求した結果、身体もできていくということだろう。

 さて、適度な有酸素運動は人の活動年齢を著しく延ばすものだが、この有酸素運動能力こそ脂肪を落とし、均整の取れた身体を作り、どんなおしゃれよりもおしゃれの力。これは、万人が認めるところだろう。ボディビルダーの身体に好き嫌いはあるだろうが、あれにしてもそのコンクール入賞者に走れない人は居ないのである。走れなければ、コンクール前に脂肪が落とせず、脂肪を落とせないと筋肉が浮き出ないのである。筋肉を鍛えるほどに、中年が近づいて走れない人は筋肉の上に被さった脂肪が落とせなくなって、ただ太っている人になる。ウエートトレーニングをやっている若者はすべからく一時間近くは走れるように、ということだ。
 また、身体の科学が発展するにつれて、「身体によくないスポーツ」も分かってきた。ちょうど古い宗教が科学の発展によって修正を加えられて来たように。無酸素運動のスポーツがそれで、これ専門のプロなどは確実に活動年齢を短くするし、早死にする。これの予防法は、有酸素運動能力を鍛えて、走れる身体を維持するしかない。
 ただし、酸素を多く吸収してきたスポーツ好きがポリフェノールなどファイトケミカルと呼ばれている物質を摂らないと、それはそれでスポーツが最悪の習慣に替わってしまう。スポーツでいっぱい吸い込んだ酸素量に比例して身体に取り込む活性酸素が最兇の人間細胞老化物質だからだ。これを中和してくれるのがこのファイトケミカルなのである。有酸素運動とファイトケミカルがセットになってこそ、人の細胞の若さが保たれていく。

 この有酸素運動能力は、老人になると特に大きな差を生むことになる。拙稿からで恐縮だが、
【 『 ⑥最後になるが、高齢者のどんな活動でも最後は体力勝負。そして、活動年齢を伸ばしてくれる体力こそ、有酸素運動能力。酸素がよく回る身体は若いのである。80になってもギターやパソコンの3、4時間ぐらいなんともないというように。ランニングが活動年齢伸ばしにこんなに効力があるとは骨身にしみて感じてきたことであるが、これは今では世界医学会の常識になっている。その証言がこのブログのいたるところにあるが、一例がこれ。『「よたよたランナー」の手記(222)走る、歩くで活動年齢が伸びる 2018年05月10日』 】 
 僕は大学時代からずっとサイクリングをやってきた。そして今は、10キロ走れる間は100キロサイクリングが十分可能と考えている。このランニングの方は、2000年ちょうど、59歳の現役時代に勤務先があるスポーツクラブ法人会員になったのをきっかけに覚えたもので、その時意図したとおりに今の僕の諸活動の原動力になっているということだ。

 年寄りが太るのは走れなくなるからだ。そのことを僕は今の今、痛感している真っ最中である。ここ数年の僕は、ウォームアップの時間が20分以上も必要になっている。それだけゆっくりと長く走って初めて、全身の血管が開き、酸素を運び疲労物質を吸収、汗として排泄する能力が全開してくるのである。アップの初めは8キロ時でも疲れてしまうのが、循環機能が全開し始めると10キロ時超えてもちゃんと走り続けられるのである。年を取るほどこの差が激しくなって、スポーツをしない人はこのことがわからないから、ウォームアップの段階で「もう走れない身体になった」と誤解する。あるいは、アップの段階から昔のように走って膝を痛め、やはりランニング断念。すると今度は逆に、循環機能がそういう生活に慣れてしまって、心拍数120以上には上げられない身体になっていく。
 自分が走れるようになるかどうかは、こうやってみれば分かる。先ず速歩きでも何でもやってとにかく20分身体を温める。次いで、それより遅く10分走ってみる。この30分が週3~4日で何日か繰り返せれば、走れる身体(が潜在している)ならば次第に10分が延びていくはずだ。ただし、この10分が30分ほどに延びていかぬ間は、スピードは上げないことである。この繰り返し量によってだけ、上がるものならばスピードは自然に上がっていくものだから。
 ちなみに、僕の一定持続最高心拍数は165ほどだが、老人のこの最高心拍数という数字にこそ、その人の有酸素運動能力、つまり健康能力が現れてくる。そして、老人の場合のこの数字には、非常に大きな個人差があるものだ。

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随筆 僕の「人生と芸術」   文科系

2021年12月01日 00時27分06秒 | 文芸作品
 

 大金持ちが有り余った金をその余生などにおいて芸術、美に費やし続けてきたという話は多い。「○○美術館」と個人の名前を冠したものがいかに多いかとか、名古屋の「宗次ホール」のように弦楽器の世界的名器を山のように揃えて若手有望芸術家に貸与してきたとか。昔に遡れば、信長、秀吉らがある茶道具と城一つとを取り替えたとかの話もある。音楽の歴史をもっと古くまで遡れば、音楽が宗教の世界のものだったとか、仏教の「音声菩薩(おんじょうぼさつ)」とかにも辿っていける。これらは、大金持ちが人生の喜びをそういう芸術、美に発見し、求めてきたということだろう。僕はこのことを、ある宗教に財産をつぎ込むのとちょっと似ていると、いつも推論してきた。つまり、自分の人生を何に懸けうるかという、死生観の話にもなっていくのだと。

 さて、彼ら大金持ちの芸術はもちろん、鑑賞者のそれだろう。が、その芸術を行う者の楽しみはどうなのか。鑑賞者よりもはるかに楽しいのではないかと思われるが、などと歴史を見つめてみた。「素晴らしい旋律が夢のように湧き出てきた」と語られるシューベルトは、栄養失調に近い状態のうちに30歳ちょっとで亡くなっている。まるで、そういう多くの作曲と親しい人との演奏に開け暮らして、命を縮めたというようにも見える。生前一枚の絵も売れなかったといわれるゴッホは、まさに炎のように色彩豊かな絵をほとばしりだした。自殺したのだから人生が楽しかったかどうかは分からないが、絵画に懸けたその情熱が凄まじいものだったことだけは、誰もが認めるものだろう。
 
 とこんなことを考えて僕は、晩年の生きがいの一つに音楽、楽器演奏を選んだ。小中学校に7年ほどバイオリンを習っていたから迷ったのだが、独学で拙く弾いていたクラシックギターの方を改めて50歳代から復活させ、停年後に先生についた。それからもう19年目に入りかかって、近年は年とともに下手になっていくようにも思われるが、それでも毎年の発表会には出続けている。また、この年月で特に好きになった長短20数曲の暗譜を維持すべく月何周りか弾き回して来たが、この「暗譜群」は僕のギター生活の宝物になっている。

 ちなみに、ギターは「楽器の王様」とも言われるピアノと兄弟のような和音楽器であって、単音楽器よりも楽しみが深いと思われる。単音楽器の和音がアルペジオ奏法(フルートで奏でる変奏曲、例えば「アルルの女」を思い出していただきたい。ギター教則本の初めにあるアルペジオ練習だけでも、とても楽しいのだが)しかできないのに対して、ギターの重和音一つをボローンと弾いて、聞くだけでも楽しめるのだ。和音一つで、澄んで晴れやかな、あるいは重厚で悲しげな・・・とか。自分であれこれと出してみた音を自分で聞くというのが、また格別に楽しいのだろう。

 これからどんな拙い演奏になっても、弾き続けていきたい。和音一つでも、あるいはアルペジオ一弾きでも楽しめるのだから、下手になったなどと言ってやめるようなのは音楽に対して失礼な変な自尊心というものだ。下手になっても音楽は音楽。「技術を聴く」ものではないと考えてきた。

 
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