【 大谷昭宏のフラッシュアップ】:教え子の求めがある限り…教師の責任
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【 大谷昭宏のフラッシュアップ】:教え子の求めがある限り…教師の責任
春3月は別れと出会いの季節。石川県穴水町の元小学校の校長先生、71歳の中前和人さんから、私たちの小学校時代の恩師、内藤美智子先生が94歳で亡くなられたという先日のコラムを読んでお手紙をいただいた。
〈内藤先生の見事な生き方や教え子の姿に心打たれました。実は私にも忘れられない教え子たちがいます。
私が6年生のクラスを担任した時、子どもたちは荒れていました。5年の時には担任が心労で退職したほどでした。そんな状態だったのですが、私と子どもたち、一緒に力を合わせ、なんとか克服したのです。
それから35年、私の校長退職時、なんとその時の教え子が集まり、「最後の授業」をさせてくれたのです。以来10年、この教え子と毎年、同窓会が続きました〉
お手紙には2011年の地元紙の記事が同封されていた。「47歳の教え子が臨む最後の授業 『新米担任』の退職ねぎらい 笑顔と涙でエール」の活字が躍る。
だが、いま身辺に異変が。
〈妻が7年前、肺がんの手術。続いて娘も同じ病を発症、余命宣告されたのです。校長、指導主事、養護施設園長と教師として自信を持っていた私も、さすがに落ち込み、同窓会も終わりにしようと思ったのです〉
-そんな時、あのコラムを読まれたのですね。
〈私は教師として教え子に対する責任に思い至っていなかったのです。まだまだ教え子から悩み事の相談もあります。求めがある限り、同窓会にも参加しようと思い直したのです〉
穴水町は能登半島のまん中の町。役場に聞くと、雪はすっかり解けたとか。どこかで春が…ふっとそんな気持ちになるお便りでした。

元読売新聞記者で、87年に退社後、ジャーナリストとして活動する大谷昭宏氏は、鋭くも柔らかみ、温かみのある切り口、目線で取材を重ねている。日刊スポーツ紙面には、00年10月6日から「NIKKAN熱血サイト」メンバーとして初登場。02年11月6日~03年9月24日まで「大谷昭宏ニッポン社会学」としてコラムを執筆。現在、連載中の本コラムは03年10月7日にスタート。悲惨な事件から、体制への憤りも率直につづり、読者の心をとらえ続けている。
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【コラム・「大谷昭宏のフラッシュアップ」】 2022年03月07日 08:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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