【ファクトチェック・ニッポン!・10.26】:テレ朝・玉川徹氏の“電通発言”は放送メディア研究の対象として極めて興味深い
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ファクトチェック・ニッポン!・10.26】:テレ朝・玉川徹氏の“電通発言”は放送メディア研究の対象として極めて興味深い
10月19日のテレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」。玉川徹氏は「謹慎の10日間、私は事実確認の大切さ、テレビで発言することの責任の重さを考え続けました」と語り、取材した内容を伝える形で番組に出演すると自身の今後について説明した。
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テレビ朝日社員の玉川徹氏(C)日刊ゲンダイ
これで玉川氏が国葬をめぐって誤った発言をしたとして騒ぎとなった問題は区切りをつけた形となった。この問題では、「謹慎では甘い」と降板を求める側と、その必要はないと主張する側とで二分する騒ぎとなった。顕著だったのは、前者は国葬に賛成する人たち、後者は国葬に反対する人たちという二項対立が貫徹されたことだ。
例えば、国葬に反対する人でも玉川氏の発言に批判的な人がいてもいいし、その逆があってもいいと思うが、そうした状況は目立たなかった。
私にとっては、そうした是非論はともかく、玉川氏の発言自体はメディア研究として極めて興味深いものだ。問題になった玉川氏の発言は短いものではないが焦点になったのは、「僕は演出側の人間ですからね、テレビのディレクターをやってきましたから。それはそういうふうに作りますよ、当然ながら。政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。当然これ、電通が入ってますからね」だろう。
最後の「電通」の部分を除けば、国葬が強い政治的意図を、その意図を隠した形で演出されるという演出家としての認識を語ったものと読める。その認識に同感する人は多いだろうし、反発する人も冷静に受け止められる内容かと思う。
ただ、放送メディアには、活字メディアとは異なる性質がある。それは発言者の声音だったり表情だったりといった放送の持つ特質だ。要は、「話し方」だ。特にテレビはそれによって極めて強い印象操作が可能となる。
仮に玉川氏が穏やかな「話し方」でテレビディレクターとしての視点から国葬への認識を語っていたら、その後の状況は変わっていたようにも思う。それでも反発する人はいるだろうが、少なくとも内容は正確に伝わった気もする。加えて言えば、仮に「話し方」が穏やかであれば、「電通が入っています」といった、確認さえしていない内容を断定的に語る愚を犯すことはなかったようにも思う。
■コメンテーターは誕生当初から「話し方」が重視されていた
実は、コメンテーターというのは、その誕生の当初から「話し方」が重視されていたという逸話がある。戦後にNHKがニュース解説を始める時のエピソードとして、GHQ=占領軍総司令部でNHKの指導・検閲にあたったフランク馬場氏が書き残したもので、それによると、人選に事実上の決定権を持っていたGHQは、新聞記者やNHKアナウンサーの音声をGHQで働いていたアメリカ人女性に聴いてもらって意見を求めたという。もちろん、彼女たちは日本語を理解しない。では、彼女らは何を判断したのか。それは「話し方」だった。
玉川氏の人気が勢いのあるその「話し方」にあることも間違いなく、そういう意味では今回の騒動は必然だったのかもしれない。
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元稿:日刊ゲンダイ DIGITAL 主要ニュース 政治・社会 【政治ニュース・連載・「ファクトチェック・ニッポン!」】 2022年10月26日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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