【社説②】:国スポ見直し論 大会の意義見つめ直せ
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②】:国スポ見直し論 大会の意義見つめ直せ
各都道府県の持ち回りで開かれる国民スポーツ大会に対し、全国の知事から抜本的見直しを求める声が上がっている。開催自治体の重い財政負担が最大の要因だ。
以前から「開催地の優勝至上主義」などの問題点も指摘されてきた。一方、特にマイナー競技にとっては貴重な「晴れ舞台」であり続けているのも確かだ。財政面の議論に終始せず、まずはスポーツ大会としての意義を見つめ直す視点こそ必要ではないか。
大会は1946年に国民体育大会(国体)として始まり、日本スポーツ協会(JSPO)、文部科学省、開催地都道府県の共催。今年から名称が国民スポーツ大会に変わり、2035年から3巡目に入る予定だ。
議論の口火を切ったのは全国知事会長の村井嘉浩宮城県知事。行政のスリム化の一環として「廃止も一つの考え方」と言及し、各地の知事からも現行のままでの継続は困難との意見が出た。実際、約2万人が参加するスポーツの祭典の開催費は莫大(ばくだい)で、22年の栃木国体の総額は829億円に上る。
かつて「国体」は地域の施設整備やスポーツ普及に寄与し、国民の注目度も高かった。だが、プロスポーツが隆盛し、競技ごとの全国大会も増えると関心は低下。さらに、開催地ばかりが総合優勝する不自然さが、大会の価値の低下に拍車をかけてきたといえる。
開催地優勝は有力選手200人を体育教員で採用したという1964年の新潟国体から始まった。以来、他県選手を一時的に住まわせ地元代表とする手法は常態化。64年以降、開催地が優勝を逃したのは5度だけで、過去には地元有利な判定が疑われた例もある。
いくら選手が誠実に試合に臨んでも、出来レースのような仕掛けがあってはスポーツ大会としての魅力が損なわれて当然だろう。
東日本大震災後、2016年の岩手国体は開催が危ぶまれたが、県は復興への希望と感謝を伝えたいと実施。復興優先のため総合8位を目標としたが、地元の声援を受けた選手の健闘で総合2位となった。本来の「国体らしい」姿だったと言えるのではないか。
今後、JSPOや全国知事会は国スポのあり方を協議する。今も大会を目指す選手が多いことにも留意し、質実で、かつ、都道府県代表が真摯(しんし)に競い合える大会の方向性を見いだしてほしい。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年05月20日 07:27:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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