【産経抄】:先刻まで安らかに目を閉じていた亡きがらは、荼毘(だび)に付され小さくなって帰ってきた。
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【産経抄】:先刻まで安らかに目を閉じていた亡きがらは、荼毘(だび)に付され小さくなって帰ってきた。
▼「座禅を組んだ仏様が、手を合わせた姿に見えます。『喉仏』と呼ばれるところです」。斎場の係の人に説明を受けながら、お骨上げが厳かに進む。亡き人は美食家だった。喉元が休みなく動いていたっけ…。ありし日の姿が浮かび、まぶたを割ろうとする熱いものをこらえ切れない。5月初めに営まれた家族の葬儀である。
▼故人の入院は4年を超えた。長いときは半年以上会えず、見舞いが解禁されても日に10分ほど。病床の愁いを和らげることもできぬまま、旅立たせた無念が遺族一人一人の胸にある。この場を借りて小欄の個人的な体験をつづった。同じ悔いを唇にもつ人は多いのではないか。この3年余り、多くの家族から大切な時間を奪っていった中国発の新型コロナ禍である。
▼すでにマスクを着けるも外すも個人の自由で、8日からは季節性インフルエンザ並みの扱いになる。世は「平時」の色だが、悪意の塊のようなウイルスが残した課題はどこまで解決しただろう。感染者数の把握やワクチン接種では、デジタル化の進まぬ行政のもたつきを見た。「第8波以上」と懸念される「第9波」を前にして、身近な医療機関は当てになるのか。
▼<くさめして我はふたりに分れけり>阿部青鞋(せいあい)。消え入りたいと赤らむ自分と、何が悪いと居直る自分。いまはどちらが多数派だろう。遠慮、自制、含羞、寛恕(かんじょ)(思いやり)といった言葉もこの頃は口ににがい。喉の異物もろともの「ゴホン」や肺活量に任せた「ハクション」の大音量に、混んだ車内で接することが増えたような。
▼わが国に根付く感性の揺らぎがコロナ禍の後遺症なら、闘いはここからだろう。
元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】 2023年05月07日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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