【卓上四季】:憂国の言葉
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【卓上四季】:憂国の言葉
「実は私は愛国心という言葉があまり好きではない」。三島由紀夫の言葉である。「背中のぞっとするような感じでソッポを向いていたい」と唾棄し、「官製のにおいがする」と警戒心をあらわにした▼1968年1月8日付朝日新聞に掲載された寄稿文だ。人類普遍の愛という感情に基づくものが戦争を招く矛盾を突き、愛国心という言葉の陥穽(かんせい)を看破する。軍服での割腹自殺や改憲主張という言動では捉え切れない三島の姿がある
▼学生運動全盛の60年代、民族派の訴えは少数派。それでも、価値観が根底から覆る敗戦を20歳で迎えた経験から思想の強制や議論の封殺は耐えられなかったのだろう▼69年の東大全共闘との対話で「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます」との言葉を残した。イデオロギーは違っても、社会を改善したいという思いは共有できると信じた▼三島が結成した楯の会の改憲案は徴兵制を否定。核兵器に反対し、日米同盟を批判した。一水会元顧問の鈴木邦男さんは、近年の改憲論の高まりでその悲願がかなうという論調について「三島はそんな偏狭な、排外主義的な日本を夢見たのではない」と一蹴する(「愛国と憂国と売国」集英社新書)▼「このままではからっぽな経済的大国が極東の一角に残るのであろう」。自決の4カ月前の言葉だ。決起を呼び掛けた事件から半世紀。言葉の力は失われていないか。2020・11・26
元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【卓上四季】 2020年11月26日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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