たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2009年2月‐6月『ルーヴル美術館展』_17世紀ヨーロッパ絵画(2)

2017年10月01日 19時15分03秒 | 美術館めぐり
 2009年2月28日から6月14日まで国立西洋美術館で開催された『ルーヴル美術館展』。色々と整理していたらもう一枚チケットが出てきました。会期終了間際の金曜日に訪れた時のものだと思います。9月21日の記事で紹介したチケットは、フェルメールの「レースを編む女性」。もう一枚はレンブラントの「縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像」。フェルメールの作品と並ぶもう一つの目玉でした。「夜警」(アムステルダム国立美術館)で有名なレンブラントの自画像。

(公式ガイドブックより)

「レンブラント・ファン・レイン(1606‐1669)

 <縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像>

 1633年
 油彩、板
 70×53㎝


 画家自身を描いた本作品は、ジョワズール公爵の売立(1772年4月6日と以後数日にわたって開催)に出されたレンブラント作と見なされる6点の絵画に含まれ、確かにアムステルダムの巨匠の作品であると常に批評家から認められてきた。画商ルブランは、600リーヴルでこの絵を手に入れている。

 サインの傍らには、年記として1633と記されているが、この年レンブラントは27歳。ここに顔を見せているのは未だ青年と呼べる人物である。志と品格の高さは明らかである。少し斜めに構えた胸像で、画面中央を少しだけ外した配慮は、軽やかな妙技を感じさせる。ここで画家は鑑賞者の目を見つめている。演出は確かなものである。この点から見れば、伝統的にこの板絵のタイトルに付けられた縁なし帽や金の鎖は、ほとんど無駄なものに思える。画家はここで、きわめて内省的な自らのイメージを作り上げている。

(中略)


 実際、レンブラントは君主国下の生活様式に憧れて、衣装や立ち居振舞いを採り入れていたオランダ共和国の典型の装いをしている。金の鎖は王族からお気に入りの画家へのよくある贈り物である。宮廷での服装を身に付けた裕福な男性として自らを描くことで、レンブラントは宮廷画家ではないことを露わにしてしまっている。もっとも、彼は自らの芸術に導かれて、公的な肖像画家が企て得ないような自画像の探求に向う。彼自身が描いたものにせよ、他の画家によるものにせよ、レンブラント像の流布は、「黄金の世紀」の美術史における最も重要な現象のひとつであり続けている。」


 この展示会のテーマは、「17世紀のヨーロッパ絵画」でした。もう少し公式ガイドブックより。

「「黄金の世紀」、この言葉で17世紀は表現される。スペイン、オランダに限らずヨーロッパ全体にあてはまるこの表現には、この時代に開花した均衡や美、文化に対する疑いなき信念が窺われる。

(中略)だが、好況と言っても、17世紀においては、ヨーロッパの幾つかの場所に限られていた。王侯の宮廷は威厳に満ちたイメージを広めるために、画家を庇護した(宮廷は一種の芸術産業の場でもあった)。一方、オランダ人までもが、市民の欲望と貴族の威信とのあいだで揺れつつも、貴族的洗練という模範を身に付けようとした。洗練された趣味や豪奢な宮廷生活と絵画の完成度とは調和していたと見なせるだろう。「黄金の世紀」は芸術的妙技を披露する場でもあったのだ。

 調和が崩れるのは、貧困、戦闘、あるいはただ粗野なもの、淫らなものを描き出す絵画においてである。そうしたイメージが示すものをうのみにしてしまうことはないにせよ、画家が演出したのか、ピクチャレスクな効果を狙ったのかはともかく、それらは理想的に澄み切った絵画が伝える豊かなイメージや、安定的なイメージを間違いなく乱している。

 病、戦争、掠奪、宗教的熱情なども「黄金の世紀」を際立たせる要素である。絵画がこの時代の核心をなす社会の光と影の対比に警鐘を鳴らしているとしたら、それは図解するよりも効果がある。注文市場に配慮し、あるいは、供給市場に沿って制作する中で、画家は明確な目標を定めている。たとえば当時の歴史を伝説の域に高めることで、王のイメージを形成する。また、ありふれた光景に当時の不安を響かせて、絵画上の処理を再定義する。さらにはリアリズムの核心に作為を加えるといったことである。17世紀の画家たちは、時代の陰の領域をも自らの芸術の素材としたのである。」


 2009年に購入した分厚いカタログをようやく少しずつひも解き始めました。分厚くって重くって購入したはいいもののずっと手付かずでした。うまく言えませんがこの時代のヨーロッパ社会の光と影が、日本も含めた現在(いま)の世界の有り様をつくっているのでは、など考えながら書いています。むずかしいですが過去があって現在があるわけで、過去を振り返る意味はそうところにあるのではないかなどひとり考えています。分厚いカタログに書かれている長い解説を読みこなすのはむずかしいですがフムフムと勉強になります。むずかしいですけどね・・・。

 
 夕方からカフェにまた長居しました。帰りたいけど帰りたくない部屋に帰るとしますか。
ほんとに帰りたいけど帰りたくないんです。これ以上いない方がいいけど大事なものがまだまだある部屋。