たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

明日はなんとか

2017年10月06日 22時40分37秒 | 日記
 次の居場所に出会うべく、昨日相談窓口でパソコン使って勢いのある時になんとか書類の準備はできたので写真を撮らなければとがんばってみましたが、仕上がりがあまりにもやせっぽちの貧弱なのに心が折れて挫折しました。よくある写真ボックス。最後にお金を支払わなければキャンセル扱いになるのでそうしました。会社で働いていた頃より、すり減っていた頃より5キロも太ったとはいえやっぱり痩せてるんだなあと実感。これ以上は太れないみたいで、ほんとに貧弱。しかも証明写真だからか鏡に映る姿よりもなんだか老けて写っていました。パスポート用を選べばもう少し明るい感じになるのかなあ。断捨離は部屋にいなければできないなれど、日中は部屋にいられない緊張感、日中の居場所のない緊張感、部屋にいればご近所が気持ち悪い緊張感、中でも外でもずうっと緊張しているのだからそりゃ疲れるよなあ。疲れが出てるなあっていう感じです。今日も午後歯医者さんのあとはずっとカフェにいました。部屋には帰ってこれないんでね、オッサンはずうっとずうっといついかなる時もいるし、いることがわかるから耐えがたい。

 明日から三連休。少し気持ち楽に過ごせるかな。明日はなんとかもう少し元気な表情の写真が撮れますように。先週提出したところよりも、同じことをやるなら条件がよくて安定的なので、朝が早いのと通勤が大変そうですがトライしたい。あとはどれぐらいディープでハードかが問題ですがまずは書類を提出しないことにはどうにもならないので明日はなんとか。居場所探しは、ひとつひとつエネルギー要ります。待つ時間を辛抱しながらこうして孤独にやらなければならないのつらいですね。つまらないグチでした。

 写真は春のプリンス・エドワード島、朝のグリーン・ゲイブルズ。ようやく整理していたら、あまりにもきれいでびっくりしました。旅日記を読み返すと曇っていたのに晴れてきて、雲がぐんぐん流れて緑が輝く誰もいない静かな朝でした。

2009年2月‐6月『ルーヴル美術館展』_17世紀ヨーロッパ絵画(3)

2017年10月06日 17時47分15秒 | 美術館めぐり
 雨、書類に貼付する写真を撮らなければならないのにエネルギー要るのでやれないでいる夕方、急に寒くなり、ようやくキンキン冷房の季節が終わっていくでしょうか。お昼を食べるところで出されるキンキンに冷えた水やお茶、体が冷え切ってしまうのでなんとかならないでしょうかね。こうしてどうにかこうにか生き延びていて、ごはんを食べられるだけでもありがたいですけどね。ニュース記事をみるといやなことやおかしなことばかりで、この先どうなっていくんだろうなと不安にかられます。先のことは誰にもわかりません。今自分にできることをやるしかないと言い聞かせます。観劇日記を書こうと思いながらなかなか書けずにいる感じで、ルーヴル美術館展を振り返っていて、フェルメールの「レースを編む女性」、レンブラントの自画像以外にも気に留まった作品があるので紹介したいと思います。権力とかすごいお金なんかいらない、片寄せ合ってつましく生きていけばいいじゃないですか、っていう気持ちを込めて、レ・ミゼラブルな人々の日常。いつの時代も社会の矛盾をひきうけるのは一番弱い立場の人々。矛盾は誰かが引き受けることで成り立つ。電気もガスもない時代に寒い北ヨーロッパでどうやって生き延びていたんでしょうね。一日一日を生き延びることが精一杯。舞台で「The end of the day」を聴いたときにこみあげてきた感覚がよみがえってきました。

(公式ガイドブックより)

「ル・ナン兄弟(アントワーヌ:1588頃‐1648/ルイ:1593頃-1648)

 《農民の家族》油彩、カンヴァス、113×159㎝)

 三世代からなる家族を描いた情景。粗末な室内に集い、ひとりの子供が吹く笛の音を聞いている。中央の男はパンを抱え、人々は塩が置かれただけのテーブルのまわりに座り、後景の左隅ではふたりの子供が暖炉の火に我を忘れている。手前では犬と猫、そして一番幼い子供が地面に座っている姿が加わり、農夫の家族の日常の全容を思い描かせる。

 同じくルーブル美術館所蔵の《農民の食事》とともに、おそらく本作品はル・ナン兄弟が描いたすべての農民のいる室内画の中で最も評価が高いと同時に、とりわけ最も野心的な作品でもある。作品の大きさと描かれた人物像の多さ、また質の高さは、この作品が物語画のひとつとして構成され、制作されたことを推測させる。フリーズ状の構成は、画面に重厚な威厳を与えている。同時に人物の白い服を強く輝かせる光は、地面の暗くくすんだ色を思わせる緑灰色や褐色と対照をなすとともに、空間を組織化し、この絵の真の主題を照らし出す。悲惨で絶え間ない戦争に苛まれ、飢饉がどこにでもある農民の日常を描いた。自然主義的でもあり、劇場的でもある表現の裏には、明らかに宗教的な次元が存在している。

 パンとテーブルの上の塩は、老婦がグラスに注いだワインと同様、最後の晩餐を象徴する食べ物であり、一方、光はキリストの詫宣という精神的な啓示を想起させる。さらに17世紀には、とりわけ聖ヴァンサン・ド・ポール(1581-1660)の伝道に刺激され、説教の中で、貧しく困窮した人々はキリストの姿を連想させると説かれており、対抗宗教改革のカトリックの精神性において特別な場所を占めていたことを思い起こす必要がある。」