春のプリンス・エドワード島への旅日記をまだ載せていないことにようやく気がついた次第。すっかり載せた気になっていましたが写真の整理が追いついていませんでした。断捨離を進めていますがいろいろとあふれかえっていて整理しきれず、こんなノートがあったねえと振り返っているそばから、そのノートがどこにいったのかまたわからなくなっている状態。すっきりと暮らせるまでにはまだまだ時間がかかるんだなあと再認識しました。少しずつやっていくしかありませんね。
春のプリンス・エドワード島への旅は2010年6月6日(日)から13日(日)までとちょっと長めのゆっくり旅。前年夏のプリンス・エドワード島へ旅して、幸せ感に満たされた、夢のように美しい島にもう一度行きたいと思いました。今度はアンがはじめて島に降り立った春に行きたいと強く思い、年明けには旅行会社の窓口に申し込みに行ったと思います。まだプランが出ていないのでもう少しお待ちくださいと言われた記憶があります。父親の具合が悪くなることなど全く想定していませんでした。蒸し暑くなりはじめた頃、父親の具合がよくないと弟から連絡がはいっていました。それでも、妹とお別れしているのに自分の親がこの世からいなくなることなど思い描くことができなかったわたしは、7年ほど続いていた会社の二人分労働もとうに限界をこえていたのでつらくってつらくってつらくって仕方なかったわたしは、弟へのうしろめたさを抱えながらも実家には帰省せず予定どおり旅に出ました。今行かなかったらもう行けなくなるという気持ちがありました。2010年、真夏は連日40度近くまであがり酷暑と言われた夏でした。旅から3か月後の9月、父親とのお別れがおとずれました。そして2011年3月に東日本大震災、そして2012年2月に母親とのお別れ。試練の連続でした。心の引き出しの中にプリンス・エドワード島への旅の思い出がなかったら乗り切れなかったと思います。2012年9月、妹と両親の三人を一緒にお墓にいれてあげて三度目の、秋の島への旅をしました。そのあとに働いて働いて働いた会社から使い捨てにされるというかたちで日中の居場所をなくし突然社会から孤立するというまたまた大きな試練を経てようやくこの旅を少しずつ振り返ってみようと思います。
「2010年6月6日(日)
17時、AC0002便にて成田空港からトロントへ出発
-日付変更線-
15時50分着、トロントピアソン国際空港に到着(時差13時間)
20時30分、AC8858便にてシャーロットタウンへ出発
23時34分、シャーロットタウンに到着(時差12時間)
成田→トロント→シャーロットタウン、
飛行中殆ど眠れないまま、夜半12時頃PEIに降り立つ。
雨and寒い。また来ちゃったPEI。信じられないような・・・、でも現実。
ベスト・ウエスタンホテル泊。
なんとか2時頃ベッドに入るが、何度も目がさめたりしてあまり眠れなかった。
金・土も眠れていないので、すでに体はへばっていた筈だ。
トロントの乗り換えはやっぱり大変。荷物がでてくる所を見間違えてたし、入国審査のあと違う方向に行きそうになった。危ない。」
トロントで一人乗り換えなければならないのに緊張していました。日本人CAの「まもなく当機はトロントピアソン国際空港に到着します」のアナウンスにぼっとうしていたのが一気に緊張感高まり。降りるとき、「乗り継ぎの案内はありますか」ってCAにたずねたら「特にありません」っていう答えが返ってきたのはこの時だったかな。成田空港で預けたトランクをいったん受け取ってから入国審査を受けるのですが、しばらく違うターンテーブルで待っていました。6日の午前中自分の部屋を出発してから20時間近くが経過、日本は真夜中、疲労と時差でほとんど頭が回っていない上に、老眼が始まっていたので電光掲示板の赤い文字がちかちかしました。気づいてからあわてて正しいターンテーブルに行くと自分のトランクだけがまだ回っていたっけかなあ。それから入国審査を受けると今度は違う方向へ行きそうになり、係員の、えっ!あっ!っていう表情で気づいた次第。それから国内線への乗り換え口でまたトランクを預けると、搭乗口のゲート番号をたよりに広い広い空港の中をひたすらシャーロットタウン行きの搭乗口を目ざして歩きました。同じフリーツアーを利用されていた女性の二人連れに声をかけていただいたのは無事シャーロットタウン行きの搭乗口近くにたどり着いた時だったかな。すごく不安で一人で来ている女性がいるときいていたのでさがしましたって声をかけていただきました。声をかけていただいた時は、わたし日頃のストレスと疲労の蓄積で顔がひきつっていました。申し訳ないですとあやまりました。お二人とは帰国してからも何度かお会いしており、気にかけてくださっていてほんとにありがたいことです。旅の縁とは不思議なもの。たまたま同じ日程を選んでいなかったらお会いすることなかったですからね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/73/ae4e2f279f1f8b218b207446e2f48f6c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/82/f4a01525f77524b5dc580c276cfa0dee.jpg)
シャーロットタウンまではエアカナダのこんな小さい飛行機に乗ります。
風で大きく煽られるとちょっと緊張。
上空で安定しているときはおやつと飲み物がでます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/6a/712fda43174e8efc6327da40f0d946f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d4/33c480db35f122c3f74796d00881c1ca.jpg)
陽が落ちようとしているカナダの空を飛び、夜のシャーロットタウンを目指しました。
こうして振り返っていると、なんだか涙がでてきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/e4/07197b534654c61a29ffa12088195963.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/6c/63d241e799899438e8fcb679c5ed79cf.jpg)
春のプリンス・エドワード島への旅は2010年6月6日(日)から13日(日)までとちょっと長めのゆっくり旅。前年夏のプリンス・エドワード島へ旅して、幸せ感に満たされた、夢のように美しい島にもう一度行きたいと思いました。今度はアンがはじめて島に降り立った春に行きたいと強く思い、年明けには旅行会社の窓口に申し込みに行ったと思います。まだプランが出ていないのでもう少しお待ちくださいと言われた記憶があります。父親の具合が悪くなることなど全く想定していませんでした。蒸し暑くなりはじめた頃、父親の具合がよくないと弟から連絡がはいっていました。それでも、妹とお別れしているのに自分の親がこの世からいなくなることなど思い描くことができなかったわたしは、7年ほど続いていた会社の二人分労働もとうに限界をこえていたのでつらくってつらくってつらくって仕方なかったわたしは、弟へのうしろめたさを抱えながらも実家には帰省せず予定どおり旅に出ました。今行かなかったらもう行けなくなるという気持ちがありました。2010年、真夏は連日40度近くまであがり酷暑と言われた夏でした。旅から3か月後の9月、父親とのお別れがおとずれました。そして2011年3月に東日本大震災、そして2012年2月に母親とのお別れ。試練の連続でした。心の引き出しの中にプリンス・エドワード島への旅の思い出がなかったら乗り切れなかったと思います。2012年9月、妹と両親の三人を一緒にお墓にいれてあげて三度目の、秋の島への旅をしました。そのあとに働いて働いて働いた会社から使い捨てにされるというかたちで日中の居場所をなくし突然社会から孤立するというまたまた大きな試練を経てようやくこの旅を少しずつ振り返ってみようと思います。
「2010年6月6日(日)
17時、AC0002便にて成田空港からトロントへ出発
-日付変更線-
15時50分着、トロントピアソン国際空港に到着(時差13時間)
20時30分、AC8858便にてシャーロットタウンへ出発
23時34分、シャーロットタウンに到着(時差12時間)
成田→トロント→シャーロットタウン、
飛行中殆ど眠れないまま、夜半12時頃PEIに降り立つ。
雨and寒い。また来ちゃったPEI。信じられないような・・・、でも現実。
ベスト・ウエスタンホテル泊。
なんとか2時頃ベッドに入るが、何度も目がさめたりしてあまり眠れなかった。
金・土も眠れていないので、すでに体はへばっていた筈だ。
トロントの乗り換えはやっぱり大変。荷物がでてくる所を見間違えてたし、入国審査のあと違う方向に行きそうになった。危ない。」
トロントで一人乗り換えなければならないのに緊張していました。日本人CAの「まもなく当機はトロントピアソン国際空港に到着します」のアナウンスにぼっとうしていたのが一気に緊張感高まり。降りるとき、「乗り継ぎの案内はありますか」ってCAにたずねたら「特にありません」っていう答えが返ってきたのはこの時だったかな。成田空港で預けたトランクをいったん受け取ってから入国審査を受けるのですが、しばらく違うターンテーブルで待っていました。6日の午前中自分の部屋を出発してから20時間近くが経過、日本は真夜中、疲労と時差でほとんど頭が回っていない上に、老眼が始まっていたので電光掲示板の赤い文字がちかちかしました。気づいてからあわてて正しいターンテーブルに行くと自分のトランクだけがまだ回っていたっけかなあ。それから入国審査を受けると今度は違う方向へ行きそうになり、係員の、えっ!あっ!っていう表情で気づいた次第。それから国内線への乗り換え口でまたトランクを預けると、搭乗口のゲート番号をたよりに広い広い空港の中をひたすらシャーロットタウン行きの搭乗口を目ざして歩きました。同じフリーツアーを利用されていた女性の二人連れに声をかけていただいたのは無事シャーロットタウン行きの搭乗口近くにたどり着いた時だったかな。すごく不安で一人で来ている女性がいるときいていたのでさがしましたって声をかけていただきました。声をかけていただいた時は、わたし日頃のストレスと疲労の蓄積で顔がひきつっていました。申し訳ないですとあやまりました。お二人とは帰国してからも何度かお会いしており、気にかけてくださっていてほんとにありがたいことです。旅の縁とは不思議なもの。たまたま同じ日程を選んでいなかったらお会いすることなかったですからね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/73/ae4e2f279f1f8b218b207446e2f48f6c.jpg)
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シャーロットタウンまではエアカナダのこんな小さい飛行機に乗ります。
風で大きく煽られるとちょっと緊張。
上空で安定しているときはおやつと飲み物がでます。
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陽が落ちようとしているカナダの空を飛び、夜のシャーロットタウンを目指しました。
こうして振り返っていると、なんだか涙がでてきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/e4/07197b534654c61a29ffa12088195963.jpg)
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