たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第四章 OLという存在_エピローグ

2017年10月21日 18時52分19秒 | 卒業論文
 「女の子は結婚すればいいと育てられてきた。でもある日、実は選択肢があることに気づき、がく然とする」。 1) 序章に記したように選択肢が多いことは良いことである。しかし、多くの選択肢の中から自分にとって大切なものを選びとることのできるだけの価値観を身に付けていない人にとってはかえって辛いことと言える。「個」として生きるためには、まず女性自身が主体的意識をもつことが重要である。女性自身が従来からの「世帯主」を中心とした標準モデルに埋没している限り、個人として生涯を自立して行く方向は見えてこない。現代のフェミニズムは女性もまた生涯を通して一個の人間、一個の市民としての義務と権利を得る方法を提起した。


  日本ではこれまで家事労働の評価として被扶養者の妻、「専業主婦」を保護してきた。被扶養の既婚女性をモデルとして設計されたベヴァリッジの社会保障を見直す方向へと進んではいるが、実際の企業社会の中では、人件費削減の為に専業主婦のパートタイマーの活用がさらに進んでいる。目先の利益に捉われて経費を削減しようとする企業のニーズと家事に差し支えない程度にぼちぼち働きたい主婦のニーズが一致した結果がパートタイマー労働である。しかし、正社員の代替として活用が進む今日、仕事内容は正社員を補完するものばかりではなくなりつつある。スリム化が進む企業社会の中でぼちぼち程度の働き方に留まっていることは困難である。勤続を積むにつれ徐々に高度化した仕事内容をこなし、時間給もそれに応じて上昇する対応の基幹型パートも普及する兆しがある。にもかかわらず、被扶養者の地位を維持するために就業時間を制御しなければならないという矛盾が見られる。

  ここには、日本の社会保障制度が持つ問題と同時に女性自身のジェンダーシステムの内面化という問題があると考えたい。筆者が勤務する会社でもパートタイマーの活用が進んでいることはすでに記したが、最近(2003年8月時点)採用された30歳代前半の女性は、自らを「パートのおばちゃん」と言っている。これは、自分自身で一個の労働者としての人格を否定していることにはならないだろうか。働いているにもかかわらず「主たる家計の維持者」である夫の「被扶養者」の地位に留まる専業主婦のパートタイマーという就労形態は、男性中心の日本型企業社会の象徴であると同時に、女性自身が「世帯主」を中心とした標準モデルに埋没した象徴でもあると言えるだろう。パートタイマー労働者の多くは、若年期に一般職の「OL」として働き、結婚・出産を機に一度労働市場から撤退している女性である。


  働く女性というとキャリアウーマンばかりがクローズアップされがちである。誰でもできるような仕事をしている一般事務職の女性は「OL」という言葉で十把ひとからげにくくられる。いつでも取り替えがきき、「個」としての異質性を認められないというのが一般的なイメージである。しかし、新聞やテレビで紹介されるような特別なキャリアを持つ女性ばかりが働く女性ではない。第一章の性別職務分離で見たように、事務職は女性労働者の最大の勢力である。「OL」の仕事が一般的にイメージされるように、毎日同じことを繰り返すばかりで何ら生産性をもたないものだとすれば、男性労働者は基幹的なやりがいのある仕事に就き、反対に女性労働者の多くが、つまらない、やりがいのない仕事に従事していることになる。しかも、社会保障制度等、今の日本型企業社会の構造の中で女性が経済的に自立していくことは大変困難である。しかし、平凡な「OL」だって、一個の人間として企業社会の中で認められ、「個」として生きることができるはすだ。「女性に適した」と男性たちが考える仕事に従事している女性たちが、一個の人間として生きることを考えるために、この章では、現実に組織の中で働く人々がその意識と行動の両面でどのように性による支配を受けているか2)をまとめながら、女性自身の「被差別者の自由」の享受、ジェンダーシステムの内面化の問題を中心にOLという存在について検討してみたい。


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引用文献


1) 朝日新聞日曜版編集部編『この地球で私が生きる場所-海外で夢を追う女たち13人』
 52頁、平凡社、2002年。

2) 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』6頁、中公新書、1998年。


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「パートのおばちゃん」に「わたしはボチボチと働ければいいんです、自分の趣味に使うお金と家計の足しになる分ぐらいが稼げればそれでいいんです」と昼食をはさんで目の前で言われたとき、言いようのない怒りのマグマが心の中で噴火したことを今も鮮やかに思い出します。大会社が経費削減のために、フルタイムの派遣社員を切ってパートタイマ―二人交替に代替させるようとしていました。その後7年に及ぶ二人分労働の始まりでした。結局「パートのおばちゃん」はほとんど仕事についていくことができず、ご懐妊をもって契約終了となりました。言い方悪いですが、誰もが納得できる一番妥当な理由。「おばちゃん」を雇用した大会社、甘い考えで仕事に就いた「おばちゃん」、どっちもどっち。これ以降大会社はパートタイマーをとっかえひっかえしていくことになり、部署の中で隙間から落ちてくる諸々を全て私が拾うこととなりました。一生懸命に拾ってしまいました。目先の経費削減にとらわれ、雇用形態の多様化を進めた日本株式会社という船はこれからどこへ向かっていくのか。東芝、日産、神戸製鋼、名だたる大会社たちが長年抱えてきたねじれがここにきて露わになってきているニュースをみるにつけ、暗澹たる思いがしています。こうしてねじれはいつかどこかで露わになっていく。組織が大きければ大きいほどねじれは大きく、露わになったときの代償も大きい。大会社たちよ、これからどこへ向かっていくのか・・・。